1909年に朝日新聞に連載。小説では点描的にしかかかれない状況をみてみよう。日露戦争の四五年後。引用すると、
「今は日露戦争後の商工業膨張の反動を受けて、自分の経営にかかる事業が不景気の極端に達している。」
「平岡はそれから、幸徳秋水と云う社会主義の人を、政府がどんなに恐れているかと云う事を話した。幸徳秋水の家の前と後に巡査が二三人ずつ昼夜張番をしている。一時は天幕(テント)を張って、その中から覗(ねら)っていた。秋水が外出すると、巡査が後を付ける。万一見失いでもしようものなら非常な事件になる。今本郷に現われた、今神田へ来たと、それからそれへと電話が掛って東京市中大騒ぎである。新宿警察署では秋水一人の為に月々百円使っている。」
「広瀬中佐は日露戦争のときに、閉塞隊に加わって斃れたため、当時の人から偶像(アイドル)視されて、とうとう軍神とまで崇められた。けれども、四五年後の今日に至って見ると、もう軍神広瀬中佐の名を口にするものも殆んどなくなってしまった。」
憲法発布後、植民地拡張による経済伸長策と人々を帝国臣民にする政策をとっていて、前者は停滞気味になり(改善するのはWW1勃発後)、後者は着々を進行中。そういう帝国主義国家が背後にあったのだ。
しかし「代助」など作中人物にはほとんど関係ないようにみえる。というのは、彼らは資産家階級にあって、当面は生き延びるだけの資産をもっているから。もっとも貧しい生活をしている「代助」にしても、紅茶とパンの朝食をとり、チョコレートやマニラ葉巻を好み、ピアノを弾いて、シルクハットをかぶって、ベースボールに興味を持っている。なにより家事・賄いは婆さんと書生に任せているという具合。ほとんどの日本人からするとふつうと隔絶した生活をしている人々なのだ(そのてんで、漱石が国民作家といわれる理由がよくわからない。漱石の小説はイギリスやロシアであれば貴族たちに起こるような出来事を書いているのだ)。
その代助は30歳になるのに、なにもしない。大学を卒業したあと、親や兄から小遣いをもらって、洋書を読むだけ。学生の友人の妹にほのかな恋を持ったが、別の友人に譲っていた。「草枕」の「余」や「虞美人草」の「小野君」のような生き方。
代助の考えの特長はここに現れている。
「代助は凡ての道徳の出立点は社会的事実より外にないと信じていた」
イギリスの経験論みたいだし、個人の判断を重視する個人主義や自由主義。それは彼の学生時代の勉強に由来するだろうし、どうも自閉的で非社交的な彼の行動性向に起因しているように思える。この人が芸術家であれば、社会や世間をかっこにいれた創作ができるであろうが、そちらへの興味はない。というのは、代助は自分に価値があると思えず、他人にほぼ無関心であるから。おそらく個人主義や自由主義を謳歌できない帝国主義国家の政策と資本主義の拡張のため。
それにあわせてこんなことも、結婚に消極的な理由になる。()内はブログ主の補注。
「代助は友人の手紙を封筒に入れて、自分と同じ傾向(英文学を原書で読む)を有っていたこの旧友が、当時とはまるで反対の思想と行動とに支配されて、(親の命令で結婚し子供の成長に興味を持つような)生活の音色を出していると云う事実を、切に感じた」
景気がよければ代助に支障はでないはずであるが、不景気と父の加齢は余裕をもたらさない。すなわち日本の家では独身であることはあってはならないことなのだ。そのために、父と兄は縁談を持ち掛け続ける。いいかげんに聞き流して断り続けたが、ついにはどうしようもなくなる。そこで思い出したのは、先に譲ったはずの友人の妹・三千代のこと。結婚後、子供に死なれ、心臓病で余命が少ないと診断されている。夫が就職先でのいざこざで辞職し上京したので、数年ぶりに再会し、彼女の薄幸に強く打たれたのだ。そして父や兄の持ち出す縁談を断る口実として三千代を口にする。ここで重要なのは、先に三千代への「愛」があったのではなく、縁談を断ってから三千代への愛を思い出したこと。なるほど、これは三千代からの不信を招くことになった。そのうえ、縁談を断ることを決めたとき、最初に思いつくのは、財政問題であり、避けてきた就職問題であるのだ。
明治の時代に個人主義や自由主義を貫くことは難しい。個人一人が決意すれば決着するのではなく、理解する周囲の人たちがいなければ、どうにもならない。代助を支持し支援する人はついに誰もあらわれない。それは普段の生活がほぼ引きこもりであったからなのだろう。
実は代助には解決の方法があった。すなわち、日本社会では無用の術である英語が植民地では貴重な技能なのだ。単身植民地にわたり、先にわたっている企業や軍隊などの組織に潜り込めれば、彼は重宝されたはずである。これは妄想でしかないが(留学でノイローゼになった漱石にはそういう解決は思いつくまい。追記:いや後の小説で植民地に行く独身男が多数出てくる)、「満韓ところどころ」などにでてくる現地の得体のしれない日本人は、おそらく代助のような日本社会の脱落者、余計者だったのだ。そういう見方をすると、漱石の小説はモッブ(byハンナ・アーレント)を描いたものにほかならないと言える。代助の不遇や不幸は、資本のグローバル化に伴って生まれるモッブに共有したもので、彼の心情は所を得ないモッブのそれにほかならない。案外、植民地に渡った代助は世俗的な成功をするかもしれない。かわりに植民地の人々を理由なく罵倒・懲罰するレイシストになっていただろう(なので、漱石が国民作家であるというのがよくわからない)。
三千代も漱石のほかの小説のキャラクター同様に日本人離れしている。この慎ましさやひっそりとしていながら男を誘惑するのは西洋の小説のキャラのものだ。彼女と代助の心情は近代のものなので、この小説は彼らのような日本の慣習、仕組みに従わない「非人情」の人たちが日本の「人情」によって排除される物語に読める。「虞美人草」の「藤尾」に近しいが、藤尾はほとんど発言の機会を持たなかった。三千代は代助にだけは自分のことを語るが、男には本心を明かさない(経済的な差異があるので三千代はしゃべれなくなるのだ)。なのでこの二人の「恋愛」であったのか疑問。ドスト氏「白夜」と同じく、男の恋愛妄想譚でリアルではないのだよなあ。加えて、この「悲劇」において、彼女一人が罰を与えられるというのもよろしくない。女性の死で物事が解決され浄化が訪れるというのはロマン主義の傾向で、それを思い起こさせるから。そうでなくても、漱石の小説では女性は抑圧させられているのだし(というわけで、このエントリーは高校の読書感想文や大学のレポートの参考にはならないぞ)。
「それから」になって書き方が大幅に変わった。代助の三人称一視点でストーリーが語られ、ナレーションで作者の心情や説教は現れず、代助のカメラアイを忠実に写し取るものになっている。まるで、このあとのハードボイルドのような冷徹な筆致。西洋や芸術に関するうんちくも語られなくなる。「三四郎」のあと漱石になにかあった?と問いたくなるような変貌がおきた。あいにく修善寺の大患は連載の翌年。同じ年の「永日小品」が「それから」のようなハードボイルド風の文体と観察だ。
(そうなんだけど、過去の因縁などを地の文で説明するのはいただけない。こういうのを会話でさらっと説明するのが、西洋の小説なのだが。新聞連載なので、事情説明の回を作らなければならなかったのだろうと推測する。ここはのちの作家が模倣した悪い習慣なので、漱石がどうにかしてほしかったなあ。)
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