odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

夏目漱石「草枕」(新潮文庫) 絵と詞と書くべきところ日本にはない画と詩に拘泥する。観察と解剖に徹し、自我の価値を身に着けた「余」が「人の世」を窮屈に感じるのは当然

 30歳の「余」は画工具をもって旅に出る。雨に降られたので、海の見える山のうえに宿を求める(どこなのかきっと考証されているのだろう。たぶん愛媛松山近辺あたりか、まあどこでもいい)。「余」は非人情を求める。そのとき「余」が考えている人情界は日本そのものなのであろう。というのも、彼は画と詩に拘泥するのであるが、1906年当時であれば絵と詞と書くべきところを別の言葉を当てているのは日本にはない思想・観念であるからに他ならない。なにしろ彼が景色を見て思い浮かべる「画」もターナーほかの英国絵画。山野を好んで歩き、絵の具や三脚を持ち歩くというのはまさに西洋の趣味である。それに絵にしろ詞にしろ、当時は技工であって画題や詞のテーマが山川草木であったとしても、自然をそのまま模写したものではない。型を覚え、形式を模倣し、画題にあわせてさまざまな先行作をパッチワークのように組み合わせるものだからだ。
 それに対して「余」はこう考える。

「おのれの感じ、そのものを、おのが前に据えつけて、その感じから一歩退いて有体に落ちついて、他人らしくこれを検査する余地さえ作ればいいのである。詩人とは自分の屍骸を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している」

 絵や詞には自分はなくてもよい。パトロンが気に入るように作るには自分などないほうがよい。でも19世紀西洋の芸術運動は創作物に自分を反映させずにはいられない。むしろ自分が、自分は、自分のと主張を加えるほど良いとされる。観察と解剖に徹し、そういう価値を身に着けた「余」が「人の世」を窮屈に感じるのは当然なのだ(ところで「余」は俳句をよくするが、思い返せば漱石の盟友・正岡子規によって俳句は自然の写生が大事と、いち早く非人情の形式に移行していたのであった)。
 「余」が窮屈を感じる人情の世界とはたとえば、都会の探偵であり、夫婦や兄弟のしがらみであり、茶その他の芸事のならわしなのである。加えると、生活を効率化する技術も嫌い。

「汽車の見える所を現実世界と云う。汽車ほど二十世紀の文明を代表するものはあるまい」

 この感想は小川未明にもあるのだが、未明は漱石門下だっけ(追記。そうではなさそう)。
 日本の風景をみても画興が起こらないのであるが、一人だけ、夫に三行半をたたきつけて帰ってきた那美だけに関心をそそられる。というのも、およそ日本人離れした那美は謎めかして「余」を翻弄するのである。西洋の学芸に知識を持ち、芸事もたしなみ、機知にとんだ会話をし、しかし男に唯唯諾諾としたがうことはしない。「余」の関心を先回りして読み、裸を見せることに躊躇しない(当時の銭湯は男女混浴であり、路上で授乳したり放尿することが日常茶飯であるとすると、裸に抵抗はまだ少ない時代。なお、女の裸に美をみるのはとても西洋的な感性)。もちろんこのような女性が日本にいるわけではなく、彼女の動向を見るにつけ、西洋の文学(俺がとくに想起したのはシェイクスピア、とくにオフェーリア)から引用されたキャラクターであり、「余」の画や詩のイデアを表すものであると思える。そういう点では、日本の人情界になじめない「余」がイデアとしての女神に非人情を見出すまでの「余」だけに起きた物語といえる。とはいえ、「余」と那美の関係はこれ以上に進むことはない(「余」が欠けていると思っていた「憐れpity」が那美に宿ったとき、それ以上を求める意味や意義は失われた)。
 徴兵されて日露戦争に出征する男や日本で食い詰めて中国や満州に渡る男(ひとりは那美の元夫)がいるのにのんきなこった、という感想になるのは、「余」自身がこの国に根を持たないはみ出し者、余計者であるからに他ならない。非人情というのは他人に無関心で、他人を手段をしてみることのいいわけであるのか? 30歳で旅に暮らし、一つも作品を売らずに生きていけるというのは、漱石の考えたお伽話であって、こうでもしないと西洋文学の主題と方法を日本で日本語で書くことはできないとでも思ったか。
 思い起こせばガンディーは漱石とほぼ同い年であり、中級以上の階層に生まれロンドンに留学したという経歴もいっしょ(杉本良男「ガンディー」平凡社新書)。でも漱石はガンディーのような差別体験を思想の核にすることはなかった。やはり日本人の西洋体験は軽佻浮薄なものだったのかなあ。20世紀初頭には内には立憲主義、外には帝国主義の体制になっていて、漱石ら知識人もその影響から逃れるのは困難だったと見える。

 

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 漱石の「文学評論」にはなかったロレンス・スターンの逸話がおもしろい。

「トリストラム・シャンデーと云う書物のなかに、この書物ほど神の御覚召しに叶うた書き方はないとある。最初の一句はともかくも自力で綴る。あとはひたすらに神を念じて、筆の動くに任せる。何をかくか自分には無論見当がつかぬ。かく者は自己であるが、かく事は神の事である。したがって責任は著者にはないそうだ。」

 通常「猫」ではホフマンの「牡猫ムルの人生観」の影響が論じられるが、あんがい「トリストラム・シャンデー」の方法を模したのではないか(と素人妄想する)。誰かがすでに指摘済だろうから、ここまで。
 この「筆の動くに任せる」はロード・ダンセイニもそういう書き方だった。彼に傾倒した荒俣宏も「帝都物語」はこのやり方で書いたという。荒俣は「お筆先(もとは天理教教祖のナントカさんの言葉)」なんだそうだ。筆の動きには任せないが、一度書いたものは推敲しないという主義でいたのは開高健
(一方に、推敲を繰り返す大江健三郎のやり方もある。作家によって、書き手によって「推敲」の方法は千差万別。)

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