odd_hatchの読書ノート

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堀田善衛「キューバ紀行」(集英社文庫)

 キューバ(地元の人はクーバと呼ぶらしい)は突然視界に入ってきた。1959年カストロがバチスタ軍事政権をおいだし(このときには共産主義革命とはいっていない)、1962年に米ソの間に「キューバ危機」が生じる。そして、1965年、作家はキューバに招かれる。その記録とキューバを含むラテン・アメリカの近現代史のまとめ。
(明治の後半からのこの国の人々は南米などに出稼ぎに行ったのだが、行き先のひとつがキューバだった。ほかにコンデ・コマこと前田光世も一時期滞在している。そのような記憶は、15年戦争でいったん断ち切られたらしい。)

苦い砂糖 ・・・ まずキューバの歴史。16世紀にスペインの植民地にされることで歴史が始まる(それ以前の無文字時代はよくわからない)。現地の「インディオ(ママ)」は虐殺され、スペイン人が入植し、奴隷を購入して単一栽培のプランテーションが作られる。アフロ系と混血は差別にあい、経済格差はすさまじい。アメリカ人はキューバの経済を好き勝手にして、収奪する。「こういう極端さがキューバだけではなくて、あのあたり一帯、ラテンアメリカや北アメリカ一帯には普通のこととして存在しているはずである(P37)」。そこから現れたのがカストロの「革命」。
植民地の宿命からの脱出 ・・・ 1953年のモンカダ襲撃から1965年現在で進行中の「キューバ革命」。これが軍事政権を追い出した後の政権は学びながら、社会主義化を進めていた。そうなったのは、アメリカの資本と人が引き上げ、それに追随していた富裕層30万人が亡命して社会機能が衰え、アメリカが経済封鎖他の嫌がらせをしたため。「低開発国における状況の論理化、常識化のための革命的な運動と、それに対する帝国主義的な先進国の干渉、これがおそらく二十世紀後半を特徴づける最大のものとなるものであろう(P78)」。残された人々が、予算のない中で社会を運営しようとするとき、必然的に資本や資産を国有化することになった。1964年7月26日の「革命」5年記念のカストロ演説を作家は現場で聞き、演者の論理性や生一本な真面目さなどに驚く。「フィデルの演説を聞き、かつ読むとき、そこに生一本の人間というものと、政治というもののかかわりあい方の、その一つの極点を見るような気がするのである(P59)」。
キューバの内側から ・・・ 作家が数人の通訳といっしょにキューバをみてまわる。そのときの態度は「私は、短い時間で、この国の人々の気風と、それがもたらしているもの、これからもたらすものなどを主として知りたい(略)、学校と図書館は、出来るだけたくさん見よう(P186)」というもの。当時のキューバは何ともノンシャランで、あけっぴろげで、生真面目。通訳の裁量でどこにもでいけるし、見せる(さすがに売春婦の矯正施設には顔を赤らめる)。技術者、官僚がいなくなり、経済封鎖のある中で素人が国の仕組みを作るのは何とも神話的なほのぼのさがある。それは海上の水平線にアメリカの軍艦が見える中でのもの。その象徴が婆さんの手書きのポスター「SIN MISERAI(英語になおせばWithout Misery)」。でも作家は通りすがりの旅のものにはたとい話して聞かせてもこの心持はわからぬと感じていたのではないか、と釘をさす。
シエラマエストラ山にて ・・・ キューバ訪問の後半。当時唯一邦訳のある作家ホセ・ソレル・プイーグ氏とあって原稿料や印税の話をしたり、浅沼稲次郎工場を見学したり、革命学校で子供をインタビューしたり、ホテルでフィデル・カストロとすれちがったり。帰りの飛行機からフロリダ半島が見え、アメリカはキューバを自国の辺境のように処遇していたのだと述懐したり。


 この国はキューバから遠く離れているので、なかなか視野に入ってこない。それこそ1962年の「キューバ危機」と1980年代のスポーツ躍進(とくに野球とバレーボール)くらい。ビザを取りにくいこともあって、観光で注目することもなかった(周辺だとジャマイカプエルト・リコのほうが人気)。文学でもアレッホ・カルペンティエール(この本だとアレホ・カルパンチェとフランス語風の読み)が紹介されたくらい。このレポートによると、昭和30年代には技術支援でキューバにいる日本人がたくさんいたようだが、アメリカからいろいろいわれて引き上げるようになり、次第に疎遠になる。アメリカの経済封鎖で社会主義国の支援を仰がねばならず、それもソ連の崩壊以後減額されただろうから、経済はずっと苦しいままだったらしい。そういう具合に、キューバ鎖国を強いられたのだが、2015年になってアメリカ・オバマ大統領が関係改善に動き、両国の国交が回復し、それぞれが領事館を作るところまでの合意ができている(2015年8月現在。2016年3月にオバマ大統領はキューバを訪問し、ラウル・カストロ首相と会談)。そこにいたるまでにキューバ革命から55年もかかったのかと、国と国との関係はかわるものだ(それも良好な方向に)、と心やすらかな気持ちになる。一方で、アメリカの人々が55年前に失った資本を回収して、再度経済支配するようにならないかと懸念もする。
 アメリカとキューバの関係や歴史は、この国と沖縄の関係や歴史に重なるところがあり、キューバを見ることが沖縄を見ることのように思える。
 それにしても、と思うのは、キューバ革命から5年間のなんともユーモラスで神話的な言行の数々。カストロや彼の仲間たちを通してみると、革命も苦しいものではなく、学園祭を作り上げるような祝祭の感じにみえる。健康で若々しい国つくりに思える。もちろん、作家の目を通した狭い範囲の見聞に限られ、そこでも国民の暮らしは苦しく、不平不満のある人が多数いたとされているので、実際には厳しさや苦しさはあったのであろう。この「革命」は興味をそそられる(自分はチェ・ゲバラに共感できないので、これまで背を向けていた)。
 さて、作家は旅をして、その社会や歴史を書くことに長じている。これはのちの「ゴヤ」や「ミシェル 城館の人」「定家明月記私抄」で明らかなのであるが、その片鱗はここでもみられる。前半のキューバの歴史と革命の記述のわかりやすさ、通常の歴史書には書かれない生活や人物の的確さ、挿入されるエピソードの選択の見事さ。歴史と社会と生活を編集して提示するという仕事のお手本になる。そのうえで、「私は自国の文学に徹底して通じることが、外国を見るについていちばん大切なことであるとかたく信じている(P206)」という矜持があり、対象に対しても「旅と人生の大達人であった柳田氏から、私もまた、やはり旅人の節度と礼儀というものを学びたいと思う(P208)」と配慮をするなど、旅の達人で、ともあれ見習うことが多すぎる。ここでは「節度と礼儀」という作家の態度に強く共感し、どうにか自分のものとしたい。

キューバ紀行 (集英社文庫)

キューバ紀行 (集英社文庫)