odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

鹿野政直「日本の近代思想」(岩波新書)

 本書の紹介を出版社のページから引用(2002年刊行)。

軍事大国から,敗戦を経て経済大国へ.そしてその破綻による閉塞感.このような歴史を背負いつつ,百年余にわたる日本の近代は思想において,どのような経験を重ねてきたのだろうか.戦争と平和・民主主義の問題から,いのち・暮らしの問題まで,日本の近代が経験した思想の情景を描きだし,その思想的意味を探る.付・索引.
https://www.iwanami.co.jp/book/b268586.html

 少し古い久野収/鶴見俊輔/藤田省三「戦後日本の思想」(講談社文庫)と方法は似ている。久野らは人やグループにフォーカスしたが、本書では9つのテーマに絞って論じられ方の変遷をみる。

第1章 日本論 ・・・ 1894-95年の日清戦争後、侵略的帝国主義ナショナリズムが生まれ、ミカド崇拝の宗教といっしょに日本人が受容するようになる。西洋拒否・乗り越えの試みから家族主義・農本主義・精神文化・死をいとわない思想が「日本的」であるとされた。国体・超国家主義は政治的権力と精神的権威の一体化。1895年ころに「国語」が制定され、日本人と非日本人を区別する道具となる。戦後はこれらのナショナリズムを批判する日本論もでてきた。そこでは島国・水田耕作・単一民族単一国家という日本観を批判することが試みられている。

第2章 民主主義 ・・・ 1890年以降の民主主義運動や思想の歴史。中江兆民田中正造、吉野作蔵、丸山真男竹内好小田実阿波根昌鴻ら。普選運動、女性の権利、生存権などの運動。ひとりひとりが動く、人々からの広がり、現場。(1880年代の自由民権運動はない。日本の民主主義運動は天皇イデオロギー超国家主義に対するアンチとして生まれ、今も在る。)

第3章 戦争と平和 ・・・ 反戦論が出てきたのは日露戦争後。日本の軍隊では反乱が起こらない。「とられる」側の兵士、女、少国民、抗日運動家などの戦争(国防婦人会が大阪の有志に由来する民間運動で、反インテリ反ブルジョアであったというのには驚いた)。「だまされていた」という無知の責任の取り方への批判。

第4章 沖縄・在日 ・・・ 日本の都合で、国家の外に置かれた人々。差別被害。

第5章 女性の問い ・・・ 与謝野晶子平塚らいてうイプセン、丸山秀子、石垣綾子高群逸枝ウーマンリブ、主婦論争、女性学など。女性問題は実は男性問題。

第6章 暮らしの思想 ・・・ 武士道や天皇イデオロギーは死の思想。日常や暮らしを軽視(と著者は書くが自分は嫌悪といいたい)。それに基づく富国強兵は政府主導・国家本位・急速・画一的な近代化。それに抗する反「近代化」として暮らしの思想が生まれた。柳田国男河上肇今和次郎。戦後の経済成長以後は、1960-80年代の幸福・安楽を維持する「保守」になった。この幸福や安楽は大量消費、他国の搾取で成り立っている。これへの批判や対抗運動が起きている。

第7章 社会主義という経験 ・・・ 1901年の社会民主党結党以後の日本の社会主義運動の歴史。運動内部の差別問題(とくに女性差別)と転向論に注目。

第8章 核時代の思想 ・・・ 原爆文学、原水爆禁止運動、第5福竜丸保存運動、市民としての科学者。

第9章 いのちの現在 ・・・ 環境、弱者(幼児、こども、生徒、女性、障がい者、老人、部落民など)が尊重されない社会。ここにでてくる大阪人権博物館(リバティおおさか)は維新(政党)につぶされた。
(20世紀最後の10年間の傾向として「生と死」の意味を考える本が増えているという。俺からすると、それは靖国神社に集約される国家神道イデオロギーが死を賛美することはするが、国家が賞賛するような死に方が実現不可能であり、その結果生の意味をまったく伝えられないところにある。WW2のあと天皇のために死ぬことはできないし、天皇もそれを望んでいないために生も死も意味や価値を与えられていないのだ。その代替物が必要にされているため。)

 

 こうやって通覧してみると、日本の近代思想は、天皇イデオロギーが成立して帝国主義国家が成立してから、そのイデオロギーに対抗する形で生まれたというのが分かった。倒幕運動で西洋の政治思想を翻訳していったが、それを受容し実践する貴会は権力につぶされる。そして監視と管理の体制が出来上がり、近代化が進むにおいて現れてきた人権無視と排外主義をどうするかというところから近代思想が生まれた。本書にでてきたトピックは1890年の大日本帝国憲法成立以後に現れた諸問題をあげている(ということは日本の近代はこの機会からはじまったというわけだ)。
 もとは新聞に連載された短文集。ひとつの項目につき1200字(本書収録にあたって400字追加)というわずかな分量なので、深堀りした議論はできない。これらの問題に通じているひとにとっては、整理に役立つだろう。なお、第8・9章になって、科学技術を取り上げる際には知識があやふやなので説明は不十分だったり、未整理になったり。「自然治癒力」を強調するような反科学を持ち出したり、広瀬隆ユダヤ金融陰謀論を紹介したりと危険な領域に足を踏み込んでいたりする。ここは編集者が指摘することができなかったのかなあ。二つの文化を横断する知ができる可能性はあると思うが、今のところは専門外のことはリテラシーがないことが多い。とても残念。