odd_hatchの読書ノート

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堀田善衛「審判 上」(集英社文庫)第一部

 雑誌「世界」に1960年から1962年にかけて連載された。

第一部
 全体のイントロダクションと登場人物紹介。
 寒冷地研究をしている出(いで)信也東大教授。戦前は陸軍の協力があり、戦後はアメリカ軍の協力があって、学究生活をしているインテリ。過去の経歴から反共親米(といってカルトな右翼ではない)。妻の弓子は家にいないで日本舞踊のサロン活動に熱中。元華族のライバル視に神経質になっている。5人の子供がいて、長男信夫(しのぶ)は国際関係論の助教授で、反米の論調でメディアの売れっ子になっている。次男吉備彦(きびひこ)は東大教養学部の学生。戦後派の無責任世代みたいであるが、千葉九十九里浜の漁村調査を一人で行っている(近海が米軍の演習場になっていてきわめて貧しく、安保条約下では漁場補償も受け取れない)。理由もなく(ここがアプレゲールらしい)、薬学部前にあるお雇い教授の銅像を家に持ち帰ってきた。長女雪見子(ゆきみこ)は新劇女優。テレビによくでていて、民主党の花樹清介外務大臣の恋人になっている。家を出てホテル暮らし。次女はすでに死亡。三女唐見子(とみこ)は家のブルジョア・インテリの雰囲気を嫌って会社勤めになって独立。英語が喋れてアメリカのバイヤーの秘書的な仕事をしている(おもちゃ問屋に努めているが、末端の家内制工場の悲惨さに心を痛めている)。出教授は都内に部屋数10ほどもある大きな家に住んでいるが、妻弓子のもの。弓子の弟高木恭助を住まわせるという条件で安く購入した。恭助は二回の招集で中国戦線に行かされた。そこで中国人の虐殺にかかわり、PTSD(という言葉は当時にはない)になり下肢硬直などの症状が出たことがある。症状がよくなってもフラッシュバック(という言葉も当時にはない)。以来、ほぼ引きこもり(という略)になっている。彼の理解者は唐見子だけ。恭助は深夜街を徘徊することがあり、唐見子の部屋を訪れることがある。そこの肉体関係が親に知られ、憂慮されている。信也の母も同居していて、御年90歳。耳は遠いが頭はしっかりしていて、ときに明治10年代の自由民権運動のことを思い出す。廻船問屋の娘であった郁子刀自は、国事犯として収監されたことがあり、地方の一揆や強訴などを見てきたのだった。そこから共和主義的な考えを強く残している。
 ある家族の肖像であるが、そのまま1960年当時の日本を象徴するような人々ばかり。敗戦後十数年で、日本は多少の資産持ちになり、その変貌が子供たちの現在の姿をシンボライズしている。一方で戦後世代の親は戦前と変わらない観念や思想を残している。戦前のような父権を行使することはできず、コミュニケーションがうまくいかない(信也と吉備彦は「先生」「君」と他人行儀に呼び合う)。家族はおもに社会の上層との付き合いがあるが、吉備彦と唐見子によって下層もみえてくる。みかけは平和で裕福であるが、内には危機と分解の可能性を秘めている。
 そういう危うい社会にアメリカ人が訪れる。極致研究でグリーンランドに信也がいた時に知り合った元空軍少佐のパイロットであるポール・リボート。彼もまた戦争体験があり、PTSDをもっている。言葉かずが少なく、精神病の治療を受けている。彼もまたコミュニケーションをうまく取れず、内にこもるタイプの人。
 戦後の日本に、厚かましくなく民族差別意識のないアメリカ人がやってくる。
 この仕掛けは、ドストエフスキーの「白痴」を借用している。本作中では言及されないが(代わりに「悪霊」を滑稽小説として読むという会話がある)、別の小説に意図が書かれているので、見てみよう。「若き日の詩人たちの肖像(下巻)集英社文庫」から。

「このド氏の場合は、それは違う。(シェイクスピアのような)新物好きなどではない。汽車にでも乗せなければ、到底、この不可能な白痴の天使を、阿呆天使、バカ天使を小説のなかにさえつれ込むことが出来ない、この不自由で限りのある人間の世界というものについての、刺すような悲しみが若者にとりついていた。たとえ小説のなかでも羽根をつけて飛んで来るわけには行かないから、天使は、やはり、外国、すなわち現場の現実に生れうるものではなくて、外国、すなわち外界から汽車にでも乗せて入って来ざるをえないのだ。/しかもその純粋な、本物の悲しみの裏には、天使を汽車の三等車にのせてつれ込むという、小説家というものの腕前の、そのしたたかさ加減という、まことにむき出しの現実そのものまでが付録になってくっついていた。(P99-100)」
「小説を読み通じて行って、その終末にいたって、天使はやはり人間の世界には住みつけないで、ふたたび外国の、外界であるスイスの癲狂院へもどらざるをえないのである。表題の“イディオト”は、文字通り白痴であり馬鹿であり阿呆である。白痴、というと何やら聞えはいいかもしれないが、天使は、人間としてはやはりバカであり阿呆でなければ、不可能、なのであった。(P100)」

 まさしくポール・リボートは貨物船(氷川丸)で一か月をかけて太平洋を渡り、横浜に到着したのだった。

 

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2022/09/29 堀田善衛「審判 上」(集英社文庫)第二部 1963年に続く