odd_hatchの読書ノート

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堀田善衛「ミシェル 城館の人1」(集英社文庫)-2

2022/08/23 堀田善衛「ミシェル 城館の人1」(集英社文庫)-1 1991年の続き

 乱世、というしかない時代。そこにおいて知識人(という言葉はこの時代にはないが)はどう生きるか。
 通常フランスのルネサンスは尻つぼみとされるが、それは文人のビッグネームを上げていった時の話。議会その他の記録を見ると、貴族・ブルジョア・市民などが発言するようになり(多分公的自由を行使していたのだ)、そこにはユマニズムや人権思想などが書かれている。内容は200年後のフランス革命時に引けを取らない。
 もうひとつ、この時代の特長は性の解放、自由化があった。ミシェル自身、若年時代は性の放蕩、奔放を繰り返していたのであるし、文人ときには僧侶まではあけすけな語彙を使って愛と性を称え喜びを語ったのである。行為自体よりも「触ること、見ること、語ること」に快楽を見出すもの。これは当時が視覚・触覚の時代であったことの証し。なるほどクレマン・ジャヌカンなどが作ったシャンソンには、性行為をうたうものが多数あったが、それはこのようなわけか。さらにフランスの色好みは18世紀フランス革命の時代の性愛文学や19世紀末からのエロス文学にも続くのであり、もう一つの文学史を構想できるのである。

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 ようやくモンテーニュのことを語るところにきた。
 「随想録」(著者によると、この訳は物々しすぎるので、別の訳のほうがよい。「経験録」あるいは「経験の記」を著者は提案する。哲学を期待して読むと、身辺雑記のほうが多いので挫折しやすい、とのよし)を書いたミシェル・モンテーニュの話。通常は、フランス・ルネサンスの一人物として、せいぜい人権の提唱者の一人とみなされて、ダ・ヴィンチやトマス・モア、エラスムスなどの陰に隠れる人とみなされる。ところが、この人を中心にすると、16世紀のフランスとヨーロッパが一気に見通せることが可能になる。そして、「ゴヤ」「定家明月記私抄」と同じ方法でミシェルを見ていく。
 まず、この人の経歴が面白い。
・祖父、父が15世紀の商業家。一世代で莫大な富を築いて、3代目のミシェルに宮廷入りを望む(ちょうど中世の地方都市ごとの権力が弱まり、代わりに王を中心にする国家が形成される時代だった。資産の保全のために、宮廷入りを目指すのはとても合理的な判断)。
エラスムスの教育論に影響された父はミシェルにラテン語教育を行う。家庭教師を雇い、家族、使用人すべてにラテン語を話させるというエリート教育。おかげでフランス語(は当時はなくて、同時期の王様によってパリ周辺の地方語であるオック語をフランス語に定めたばかり)の知識はあまりなく、のちの寄宿舎学校では苦労した(周辺がラテン語初等教育で苦しんでいるときに、一人でローマやギリシャの本を読んでいたという、ファインマンみたいな経験をしている)。
【数学に天才的な才能を持っていたファインマンには、高校の数学は退屈だった。そこで、教師は大学の教科書を与え、自習することを容認していた。(「ご冗談でしょう、ファインマンさん」から)】
・記憶にないくらいの年齢で童貞を喪失。その後は、行く先々で浮名を流す。
・20代前半に高等法院の法官になるが、父の死をきっかけに37歳で引退。そのとき相続した資産が1973年の日本に換算して165億円! あとは領地の城館に書斎を作って、ずっと引きこもる。
 第1巻は父の死までで、まだミシェルは文章を書きだしていない(事績や人となりを紹介するために、著者は盛んに引用するがそれは後年に書かれたもの)。そうすると注目するのは、ミシェルは母語を習わず、ほぼ人造言語ともいえるようなラテン語で物事を考えていたこと。彼の言語教育のために家庭教師が雇われ、使用人にもラテン語使用が強要された。でも、ほとんどの家族と領地の人とは地元の言葉による交流がない。それは10代の寄宿学校でも同じ。ミシェルからすると、言葉を異にする人の中で孤独に暮らすことになる。そしてフランス語は長じてから学習した。そのあとはフランス語でものを考えるようになる。母語と思考原語が異なるという稀有な体験をした知識人だった。彼が当時の思考範例に従わないで、懐疑を常として物事を考えられたのは、言語をめぐる違和があったためと妄想した。
(大仰にいってしまったが、現代では移民・難民がそういうのを体験する。モンテーニュだけが体験したことではない。それに中世からルネサンスラテン語が共通言語だったので、知識人には習得が必須だった。)

 

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2022/08/19 堀田善衛「ミシェル 城館の人2」(集英社文庫)-1 1992年に続く