odd_hatchの読書ノート

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堀田善衛「路上の人」(新潮文庫)-2

2022/08/26 堀田善衛「路上の人」(新潮文庫)-1 1985年の続き

 

 人々が森を出て、隣の村と交易を開始する。ローマ帝国の道が残っていたが、教会と王の物だったので、新たに道を作った。すると無数の人々が道を行きかう。路上を歩くのは商人、職人、下級聖職者・学生、芸能の民、他人をだます人など。当時、村の耕作地は限られていたから、あとを継げるのは一人の男のみ。それ以外は家と村をでて、路上の人になるしかない。彼らはどこにでも放浪する。騎士や聖職者の従者となったり、芸能の民に紛れ込んだり、群盗の一員になったり。行く先々は言葉を異にする人たち。中に入れば、耳で覚えた言葉をちゃんぽんにしてつかう。すると、どんな地域の言葉もしゃべれるが、自分の言葉をもたない人になる。1200年ころに生まれたと思しき、他人に「ヨナ」と名付けられたわれらの語り手はそういう路上の人の一人だ。エーコ薔薇の名前」で同じように複数の言語を同時にしゃべるサルバトーレというキャラは異形の者とされたが、本書では路上の人ならず騎士や僧ですら複数の言語をしゃべる当たり前のこととされる)。

 ヨナが一人の謹厳な僧の従者となった時から、運が転がりだす。トレドの修道院イスラムの占領地に近いことからアラビア語の書物が多数あり、なかにアリストテレスのものがあった。研究途中で毒殺されたと見え、羊皮紙は盗まれる。ヨナは僧が所属する修道院に報告に行くと、小間使いにさせられ、さらに迷路を使う騎士に従者を命じられる。騎士はドイツ出身の法王庁秘書官となのる(教会と地方王権の代表であるが、それは後ろ盾が弱いということ)。騎士は「黒い樹木」と呼ばれる集団を追いかけ、接触を試みる。彼らは教会の権力の外にある宗教集団。「清浄なる者(カタリ派)」の一部であるらしい。13世紀の半ば、異端審問はさらに過酷になり、「黒い樹木」を一掃する大弾圧が行われようとしていた。騎士は教会と「黒い樹木」を仲裁し、安全を図ることをもくろむ(そこには個人的な事情、騎士道の記憶、もある)。しかし、1243年、「黒い樹木」が立てこもったモンサヴァールの城はトゥルーズ伯の軍隊によって包囲された。そこには騎士の思い人もいるらしい・・・
 騎士アントン・マリアは近代的な人権感覚の持ち主。そうなるのは、ひとつは古今の書を読むことによって相対化する視点をもっているから。僧や聖職者のような組織のしがらみがないので、個人として教義や組織の掟にとらわれずに読むことができた。もうひとつは路上を歩くことによって、地面に近い人から高い塔の上にいる人までを知ることができたから。無学文盲のヨナに知性があることを知ると、身分相応の権力関係はあるもののヨナを人間として扱う。そしてヨナのような路上の人や民衆も、高貴な人々同様の生活と生存ができるべきであると考え、そのように行動する。あいにく騎士に同調する人がいないので、騎士の行動は十分な成果を上げられなかったが(このあとの数百年の運動でようやく人権概念が成立)。
(ドスト氏の「大審問官」には騎士アントン・マリアのような人、あるいはウィリアム・ヴァスカヴィル@薔薇の名前のような人がいなかったのだよな。なので、同じような状況で苛烈な問答、弾劾に終始し、誰も救われない。)
 中世を舞台にした小説は数多いが(あまり読んでいないけど)、これほどにリアリティをもつものはない。ストーリーは簡単であるが、その背後の歴史、社会、宗教などの記述は簡単には消化しきれるものではない。複数の書物を読んで再読しないといけない。その苦労をしてでも読むべき。
(本書は1985年初出であるが、ほぼ同時期に「定家明月記私抄」を連載していた。東西の1200年前後を見て、古代から中世への歴史の転換、乱世、今に変わることのない知識人の役割などを探求していた。こちらも併せて読んで、中世を考える手掛かりにするべき。)
堀田善衛「定家明月記私抄」(ちくま学芸文庫)
堀田善衛「定家明月記私抄 続編」(ちくま学芸文庫) 

 

 

  

 

 解説から引用。

この「路上の人」の名前は小説のなかでヨナ・デ・ロッタJona de Rottaと明記されるが、作者があるところで自分のささやかな悪戯として明かしているように、作者ヨシエ・ホッタをローマ字でYoshie Hottaと記して、その姓にフランス語ふうに定冠詞をつければYoshie l'Hottaヨシエ・ロッタとなる)(P324)