odd_hatchの読書ノート

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小田実「何でも見てやろう」(河出書房新社)

 終わりのところに、この国のインテリが外国とどのように向き合ってきたのかのをある種世代論的に語っている。分かりやすい図式なので、それを書くと、大雑把に明治維新から現在(1960年)までを第1、2、3の3つの世代にわける。最初の世代は、まあ、明治生まれであって西洋をまずは身体で体験したというのか。書いたり読んだりは苦手だが、喋りができて、いかにこの国を西洋に追いつくかという視点でみる。代表は森鴎外かな。次の世代は、原書で読んで理解した人で、西洋の問題をいかに自分の問題にするかを考えてきた人。これは漱石から永井荷風、そして当時存命中の堀田善衛加藤周一(自分の考えでは吉田秀和も含まれる)など。ここでは、この国vs西洋みたいな図式で世界を眺めているような感じ。で、第3世代になると、すでに西洋の書物は翻訳されてTVや映画で(ほぼ)リアルタイムに情報を知ることができる。この世代になると第1世代のような喋りも苦手で、読み書きも第2世代みたいにうまくない。その代わりに、この国vs西洋という図式などからは自由になり、同時にアジアとかイスラムとかアフリカなどの前の世代が見なかったことをみることができるようになるのではないか。こんな感じのまとめでいいかしら(この図式を使うと吉田秀和が「西洋」の理解にこだわる理由がわかる気がする)。
 その後の50年を見てきたので、第4、5、6世代はどう外国と向き合っているのか、ということに意見を持たないといけないのだろうが、どうも自身のことになると自信がない。こと自分に関しては、この国に閉じこもって、外国を「何でもみてやろう」と歩き回ったわけではないからなあ。なにしろ、この本が書かれた1960年からあとの経済成長のおかげで円はどこにいっても強く、1万円札を両替すると、分厚い束になって返ってくる。そうなると、著者の体験したような貧乏旅行とか路上泊を経験することはないし、きっといろいろな国の「貧困」を無関心、無視して歩くすべを覚えてしまったように思う。
 左翼学生には反米気運の高いころ(1957年)、フルブライト留学生に志願し、アメリカにいる1年半を奨学金で過ごし、その後半年を一日1ドルですごして北欧から順次南下、ギリシャ、エジプト、レバノン、イラン、インドを経て帰国するまでの記録。この種の貧乏旅行をする人は少なくないが、この内容の記録を書いたという人はまず見当たらない。いくつか気のついたこと。
・本人は自分をセンチメンタルというが、こと文章に関してはその種の感傷癖はない。同時期の北杜夫「どくとるマンボウ航海記」のほうがずっと文学している(たとえばトーマス・マンの生家を訪問するところなど)。語られることは、とにかく具象で、体験に基づく。さらに、気持ちの書き込みが率直であること。インドの貧困に逃げ出したく思うし、イスラムの堕落に辟易するし、アメリカ南部の差別体験に怒りと安心を同時に感じるし、という具合。もうひとつ、彼はしきりと女の子をデートにさそう。アメリカ暮らしがそうさせたのだろうし、「日本」という国に対する好奇心がたいていの外国では強いので、デートはたいてい成功する。
・それは彼の思考の方法でもあって、たとえば「貧困」を問題にするとき(それはアメリカの富裕を強調することになる)、彼が語るのはメシに寝床にホテルに服装に水道にトイレにコジキに、という具合。そこでたとえばマルクスの資本の自己生産とかレーニンの前衛による革命とかサルトルの社会へのアンガージュとか毛沢東ガンジーの自力更生とか、そういうインテリの語りそうな別人の思想はいっさい出てこない。ものごとを具体で見ること、安易にメタな思考に向かわない。理想論をぶつことで問題を他人に押し付けることはしない。このあたりはインテリの苦手なことなので十分留意されるように。自分がそういうメタ思考とか妄想思考をやりがちなので。
・おおざっぱにいうとテーマは「1)西洋」なるもの、2)「貧困」について、3)知識人について。自分らは西洋ということでアメリカとヨーロッパをまとめてみることに慣れているが、ことはそれほどたんじゅんではなくて、アメリカとヨーロッパ(というひとくくりもものごとを単純化しているらしい)の間にも相克というか、相容れない羨望と軽蔑、希望と失望が同時に生まれているらしいということ。そのあたりをたぶん第2世代のひとたちは単純化しているなあ(時に加藤周一堀田善衛が婉曲に非難されている)と著者は言いたいらしい。面白かったのは、著者はアメリカ人とヨーロッパ人(この場合、イギリスでもフランスでもドイツでも北欧でも同じらしい)が同時にいたとき、アメリカ人には親近感を持つが、西洋人にはどこか遠慮というか不気味なものをかんじるというところ。この国が1945年以降にアメリカに擦り寄るのもこのあたりの心性にあるのかな。でも、この図式を自分vs白人vs黒人(というかカラード)にしたとき、自分が皮膚はカラーがついていながら、カラードの側に立つのが難しくなるというのを苦渋と共に語ることになる。同じ心性を第三世界のインテリは持っているはずで、しかも植民地の宗主国への憧れと反発を同時も持つというねじれた感情になっていて、それがこの国に生まれた自分らと同じ心性なので余計に重苦しくなってしまう。
・同様に、インドの絶対的な貧困を体験したとき、彼は「逃げたい」というのであって、ことは簡単になるのではないことも明らかにされる。この本の数年後には、若い左翼のインテリ学生はベトナムキューバや中国などの革命勢力と革命的に連帯しようと革命的大声でわめいたのであるが(ここには当然揶揄の意思が含まれている)、革命的に連帯した党派はまずなかったのだし、翻って政府の行った支援活動もそう簡単に現地で成果をあげたわけではなく、絶句してうなだれてしまうのであった。重要なのは、その種の後ろめたさとか悔恨とか情けなさをちゃんと書いたことなのだろう。ほぼ同時期に、西洋諸国を巡り歩いた加藤周一「羊の歌」吉田秀和「音楽紀行」堀田善衛「インドで考えたこと」にはこの種の自己省察は書かれていない。
・前半は「アメリカの匂い」について書かれていて、つまりはどこにいっても同じストア(同じ商品が同じ陳列)、同じファストフード(同じ大味)、同じ町つくりになっていて、そこにある無機質で資本主義的な(とは著者はいっていないが)雰囲気を「匂い」と呼んでいる。当然若い人やインテリはこの状況に辟易としていて、その具体的な現れが「ビート」であるとのよし。彼のいた数年前には非米活動委員会とマッカーシズムがあって、いわば冷たい「政治の季節」(反抗するのにおびえて政治のことを口に出せないような)があった。その反動として「ビート」があるのかしら。だとすると、ケルアックの社会への無関心というのも、すぐ上の世代への反抗でもあるのかな。ケルアック「路上」は名前だけ出てくるとしても、著者によるとビートの活動は幼児性な反応だよ、みたいな評価。
・1960年代、この国のTVでは「兼高かおる世界の旅」という旅番組が20年近く放送され、南洋諸島に住んだ経験のあるお嬢さん作家・森村桂の本がベストセラーになり、「アップダウンクイズ」で10問正解して「夢のハワイ旅行」にご招待されたいと庶民は夢想していたのだった。それほどに外国は遠かったし、基地のある町以外では外人をみることはなく(プロ野球とプロレスのガイジンくらいしか知らない)、英語を喋る機会などなかった。そこにこの本があるというのは、好奇心を刺激するし、自分の居心地を悪くする。どうにも落ち着かない本であるが、重要なことに変わりはない。できれば、上記第1、第2世代の海外旅行記と読み比べないと。