odd_hatchの読書ノート

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堀田善衛「海鳴りの底から」(新潮文庫)-5

2022/10/04 堀田善衛「海鳴りの底から」(新潮文庫)-4 1961年の続き

 ここは点描的に。
・16世紀、キリスト教を伝えたのはポルトガル人で、世界を公開して植民地を作った。それがスペイン無敵艦隊の敗北によって、海上の覇権はオランダ(とイギリス)に移る。17世紀初頭、列島に来て国際貿易の担い手になっていたのはオランダ人。彼らは幕府の名を受けて原城の沖に艦船を送り、数週間砲撃を行った。そうするのは幕府との貿易を優先するオランダ商人の思惑があるからであるが、一方で日本人のキリスト教信仰者を見捨てた。オランダがプロテスタントの国であり、カソリックとは相容れない立場にあった。同じキリスト教であって、なぜ異端に冷淡や敵対になるのか。島原の乱の数十年前にはフランスでプロテスタントの大量虐殺があり、さまざまなヘイトクライムが起きていたのに。宗教の寛容を実現するのはこれほどに難しいのか(という問題意識があったのか、この20年後に著者はモンテスキューをとおして16世紀フランスの不寛容の時代を書く)。

・幕府側には、キリスト教の教義を調べることを仕事にしようと言い出すものがでる。後に、その男は幕府の宗教弾圧の責任者となり、17世紀のキリシタン弾圧を取り仕切った。近代でも昭和の公安はマルクス主義新左翼の文書をよく読んで理解し、調査や取調べを担当した。あるいは企業は学生運動出身者を採用して、労働組合潰しにつかった。この国の異文化理解のありかたのひとつ。
保守主義者や転向者がマルクス運動批判を書くことが過去あったが、整理されていてわかりやすかった。https://odd-hatch.hatenablog.jp/entry/20110930/1317331661:title=猪木正道共産主義の系譜」(角川文庫)]、小泉信三共産主義批判の常識」など)

・この小説には総勢100人を超える固有名を持つ人物が登場する(数えていないが)。著者は砦の中にいた山田右衛門作(えもさく)に注目する。彼は武士でも農民でもなく絵師だった。ポルトガル人絵師に教わって日本で最初に洋画を書いたとされる。当時使われだした遠近法を学び、種々の画材を自作することなどで、合理的思考を持ち、信徒との対話を通じて方法的懐疑に至ったものと著者はみた。なので、農民の一揆は失敗し全滅することがあらかじめ決まっていることを知り、キリスト教の教義を十全に信頼できないので周囲の信徒らの熱狂や集中にはついていけない。幕府側に旧知の家臣がいる(絵の制作を頼まれていた)ので、ひとり内通の矢文を送る。その結果、リーダー核の中では唯一人生き延びた。右衛門作をユダに、四郎をイエスに例える見方があるというが、著者はそのような図式化にならないように注意する。むしろ乱世における知識人の苦悩としてみる。考え詰めても行動にはなかなか至らず、普遍的な正義を実行するより個人の利益で動いて、生き延びても汚名を着せられる。そのような右衛門作は乱の後平穏に生きることは難しいだろう、変死したであろうとみる。彼の葛藤は原城内の虐殺をみることで終わったのではなく、その先も続いたのであろう。
(右衛門作の行動は書かれたころに文芸評論や政治評論で話題になっていた「転向」問題にもかかわっていたと思う。また、転びそのものを主題にしないで、知識人の在り方を主題にする点では遠藤周作「沈黙」よりこちらのほうがより重大であると思った。)

遠藤周作「沈黙」では幕府の役人が日本にキリスト教は根付かないという。本書でも著者は、ポルトガル人宣教師がいなくなった後では、日本ではキリスト教が根付かなかったと考える。本書でも過去にキリスト教から「転向」して虚無僧になった男が原城のなかで農民や信徒に説教する。それは仏教用語や仏教の救済思想でキリスト教を説明する。ほとんど加持祈祷と変わらないところまで変質したのを見る。
(それは明治維新の開国以降に、この国の人が西洋の哲学思想を受容する過程を見るよう。西洋化するモダンとその反動の日本化するポストモダンの揺り返しが起きる。それは音楽でも文学でも。)

・そのオランダ人だが、艦船に日本人が無遠慮に乗り込むのに閉口する。包囲戦で閑な武士(土木工事ばかりなので出番がない)は、めいめいが小舟で船にやってきて、すべての部屋をのぞいていく。オランダ人船員のプライバシーなどおかまいなし(まあ日本家屋にはプライバシールームはなかったからなあ)。質問攻めにし、挙句の果てはお土産を物欲しそうにする。外国人の目からすると、列島に住む人々は「極端な野蛮さと洗練、偽りの礼節と鋭敏な好奇心」の持ち主であるという。商売の交渉にしても、一筋縄ではいかない。そのような交渉や対応の面倒くささが、このあと積極的に列島に介入しようという意欲を失っていったのだという。
(「極端な野蛮さと洗練、偽りの礼節と鋭敏な好奇心」はこの国の「精神」を端的に表していると思う。見事な要約。しかし、大日本帝国帝国主義植民地主義はそこに外国人嫌悪とレイシズムを加えてしまい、21世紀には世界中の極右とファシストが羨む国になった。洗練と偽りの礼節は失われている。)