odd_hatchの読書ノート

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児玉幸多「日本の歴史16 元禄時代」(中公文庫) 貨幣経済が盛んになってインフレが起こり米本位制の武士は窮迫する

 前の巻になる佐々木潤之介「日本の歴史15 大名と百姓」(中公文庫) は大名と農村から17世紀を見たが、ここでは都市と商人から17世紀をみる。
 徳川家光が死んだ1651年から吉宗が将軍になる1716年まで。すでに国内統治体制はでき、鎖国で外国との交通も閉じた。由比正雪の乱や佐倉惣五郎の乱などがあったがおおむね天下泰平。天変地異と大火が多いのが玉に瑕。社会問題が少ない時代だった。
 というのは、幕府が大名になにもない江戸に屋敷をつくれと命じたからであって、普請事業が継続的に行われ、地方の武士と家族らが上京して住むようになった。おのずと普請の仕事が恒常的にあり、彼らに食わせる食糧を供給し、ときに享楽サービスも必要ということになって町人が多数集まった。地方の農家で家を継げない次男、三男坊以下は江戸に来て低賃金労働者になるしかない。もともとは低湿地帯の埋め立て地だった江戸が数十年の間に人口数十万人に膨れ上がったのだ。意図したわけではないが、公共投資をしたために需要を喚起し、好景気が続いた。
 このころには商人・廻船人などの交易ネットワークが列島を覆うようになっていた。各地の分業化された商品や特産品、それに年貢の米を運んでいた。年貢は物納であったが、主に大阪に送られて商人に販売して藩の収入にしていた。このころには国産の貨幣が流通していて、貨幣で決済されるようになっていた。両替商も信用取引や手形決済などを行っていた。ここまでを見ると、同時期のイタリアの海洋貿易に似ているのであるが、ここから資本主義は起きなかった。各地の手工業はさかんになったが、ちょっとあとのイギリスのような技術革新は起きなかった。俺の妄想では、その理由は鎖国。一国内経済で回していたので、市場開拓の意欲がなく、多すぎる人口は生産性向上の必要がなかった(低賃金労働者に重労働させればよい)。
 この好景気も17世紀後半にはおしまいになり、幕府の財政が赤字になる。おそらく税収が増えないことと、貨幣経済の発達によりインフレが進行したことと、金銀の産出が激減し貨幣量が減少したこと、適切な投資や技術開発がなく生産性が向上しなかったこと。財政のひっ迫は藩のほうで先に起きていて、以後幕末まで悩み続けることになる(幕府が藩に利益がたまらないようにさせ、江戸で蕩尽させるようにした政策にも原因がある)。
 網野善彦「日本社会の歴史 下」(岩波新書)を先に読んだので、日本最初のネトウヨである豊臣秀吉徳川家康が極右政策をしたという認識にいたっていた。本書によって、ネトウヨ政策そのものである鎖国政策がいかに日本をだめにしたかを再確認。
 それは経済に関することだけではない。社会の隅々までを幕府権力が統括・監視するようになったので、日本人からは正義や公共の概念が生まれなかった。政治に参加して喜びを得るという公的自由を実践する経験が生まれなかった。その結果、商人は己の利得の最大化のために不正義を行い、幕府の旗本は退屈と閑に飽きて堕落し、町人は一時的な快楽にふけるか趣味にふけるか。
 この時代の文化として本書にのったのをリストアップしよう。殉死を肯定し(17世紀なかばに殉死が流行したので幕府が禁令をだした)、法治主義に違反する集団を賛美する「忠臣蔵」、現実逃避の「奥の細道」、性の快楽を肯定するが風俗描写に終始する井原西鶴好色一代男」、人の死を悲壮に歌い上げるが社会の不正に目をつむる近松門左衛門曽根崎心中」、吉原と衆道と大奥。なんという堕落かねえ。この時代に惣・庄などの自治組織が解体させられ、武士に管理・統制される村や町になったことで、日本人は公共空間をつくりだし公的自由(@アーレント)を楽しむ実践をしなくなった。それが近代化をはばみ、民主主義の実行に足をひっぱる。「家」の問題なんぞたいしたことではない。
(町人の生活が詳しく語られるので、時代小説の読み手には参考になりそう。とはいえ、多くの時代小説は風俗・意匠が元禄時代、物語が起きるのは19世紀前半という齟齬があるので、歴史を知る参考にはならない。)