小澤征爾と大江健三郎は同じ1935年の生まれ。2001年にハーバード大学で名誉博士号を同時に受賞した。それを受けて二人の対談をが計画され、同年9月秋に行われた指揮者が主催する音楽祭で実施された。数年前に大江がノーベル文学賞を受賞したり、翌年に小澤がウィーン歌劇場の音楽監督に就任するなど、二人の仕事が世界的な評価を受けていた時代だった。というわけで、本書はリヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」の第4部「英雄の業績」にあたる。
小澤征爾の本や対談を読むと、この人は自分の考えを整理して発言することがとても苦手。たぶん音楽家に向かって曲のことを説明して自分の意図を伝えることはとても上手なのだろうと予想するし、その能力は高く評価されているのだろうが、こうやって社会のことを説明するとつたない。芸術全般のこともあやふやになったりする。どうしても自分が手掛けている目前の仕事やその協力者の範囲に限った話になってしまう。自分で起業して大きな会社にした創業者がこういうしゃべりをするのに似ている。これまでの対談相手は年上(武満徹)か年下(村上春樹)で話がかみ合わないと思っていたが、本書は同世代であり、知識と思考は圧倒的に上の人。インタビュアーとしても慣れている人なので、大江の喋りに呼応して小澤の発言はとても雄弁になっていた。これまでの対談ではもっとも読みがいがあった。
ハーバード大学は名誉博士号を授与した人たちを紹介する冊子を作っている。その中で経済学者のガルブレイスと作曲家のジョン・ウィリアムズが小澤のことを書いていたという。小澤は音楽の言葉を音楽の文学を通訳している、演奏家に音楽を創り出させるときのリーチが長い、小澤は実現された夢のところがあり強い義務の思いがあり守るべき基準を持っていて他人がそれらを守る世話人である、などの指摘が出てくる。指摘の妥当性を考慮するよりも、ガルブレイスやジョン・ウィリアムズがこのように優れた人物評をかけることに驚いた。文章による人のスケッチ。こういう文章を書く練習があったのだと思うけど、人物をどう見るかという訓練があり的確に見抜く目が養われている。日本人が書くものだとエピソードを連ねるかとても観念的なものになるかで、その人らしさを浮かび上がらせる文章はまず見ない。欧米人はこういうところが優れているなあ。
上にある小澤の「実現された夢」とは東洋人が西洋古典音楽をやることだと言っている。もちろん彼自身の個性にもあると思うが、彼にスポットのあたった昭和30年代は西洋全体で日本に注目が集まっていた。1960年のショパンコンクールで中村紘子が入賞し、同年にNHK交響楽団が渡欧し、小澤が指揮者コンクールで優勝した。そのような実績を背景にして日本人音楽家を採用する気運が西洋にあった。小澤のウント努力と同時に、西洋のアファーマティブアクションも後押しになっていることに注目したほうがよい。2021年には、西洋のオーケストラでは「アジア人の女性指揮者」を求めていて、エージェントが活動しているという記事を読んだ。これもエスニックやジェンダー平等をめざす活動にあたる。西洋が進める機会の平等がクラシック音楽でも進んでいる(社会全体より先に実行されることが多い)ことの証だとおもう。機会をつかんだあとは能力で評価されるようになることも含めて、日本の情実や縁故による採用よりもずっとよい。
二人の対談で出てきたことをいくつかメモ。
・日本人は批評するが比較しない。IT革命で閉じこもり国粋主義になる。他人を同格に受け入れない。金がないとプライドをなくす。ユーモアがないので人間性に乏しい。
・日本では人間を支える芸術の力が弱い。芸術家が古典を繰り返すのは、古典を生きているから。
・大江健三郎のいう「新しい人」(というタイトルの短編集がある)は、個として責任を取り、誇りを持つ人。制度の益が個人の益より大事と思う。そのために個人は個を失う。日本人はグローバル化と日本には日本のやり方があるというダブルスタンダードをいっしょにいう。
大江健三郎は1961年に小澤征爾にインタビューしていた。単行本になったのは翌年。
大江健三郎「世界の若者たち」(新潮社) 1962年
そこから小澤征爾の発言を抜粋。
小澤 音楽しているときにはね、自分が日本人だとか、どこで生まれたとか、そんなことを考えてる必要はないですね。もっと厳しいものです。
小澤 指揮者はね、練習の時に棒の代わりに口を使うほどヘタだといわれるんです(略)音楽家はあまり音楽の話ってせんですね。音楽という部門が人間の内面的なところで占める位置は、大江さんのように作家なんかのほうがかえってハッキリ考えているようでおもしろいですね。大江さんのように聴衆の側にいてしかも書いたりしゃべったりできる方が、音楽をみつめていて音楽を製造する側との橋渡しになってくれるととてもいいと思います。
二人が20代半ばの会話から抜粋したが、その40年後にもほぼ同内容の発言をしていた。早熟というべきか、変化しかなったというべきか、なんともはや。
(2001年の対談では、大江のパートナーが珍しく二人の会話を立ち聞きしていたというのだが、小澤の話に耳を傾けたくなるのは、「レコードマニア@小澤征爾)」にはめったに聞けないバックステージの情報がきけるからではないかしら。)