当時50代前半の作曲家と40代後半の音楽学者による対談(1976年)。この国は明治政府ができてから音楽教育に力を入れるようになった。その一部は堀内敬三「音楽五十年史 上下」(講談社学術文庫)に詳しいが、ようするにヨーロッパ音楽を規範としたが、一方で日本の伝統音楽は軽視した。20世紀の初めから唱歌運動や軍歌運動が起きて、国民は西洋音楽に慣れてはいった。1960年を過ぎたあたりから、クラシック音楽の演奏家が世界各地で活躍するようになった。寿ぎたいといいたいところだが、日本の音楽は貧しいものになったのではないか、というのがこの二人の問題意識。
2012/08/09 堀内敬三「音楽五十年史 上」(講談社学術文庫)
2012/08/08 堀内敬三「音楽五十年史 下」(講談社学術文庫)
小泉文夫は民族音楽の研究家としてさまざまな民族音楽との比較において批判し、團伊玖磨は創作家として日本の音楽の在り方を批判する。
箇条書きにすると
・音楽教育と文化がつながっていなくて、自国文化を軽視している。音楽を表現する、作ることが貧しく、受け入れる、聞くことが一方的に大量に押し付けられている。
・西洋音楽偏重で、自国と西洋以外の民族音楽も軽視。そのうえ文化に対する計画性も持たないし(主に行政側)、教える方法を知らない(教育する側)。
・マスコミは西洋音楽を追いかけ過ぎ。低学年向け過ぎ。
・創作において日本の素材を分析的に研究しない。なので、たとえば、クラシック音楽の専門家は母語を正確に発音できないとか、日本の音楽の形式に根差した創作がないとか。
(おもしろい指摘。日本の音楽は分立だけがあって統合がないから、どんどん細分化されていって、細かな差異が流派を決める。流派内で見ると大きな違いも、外から見ると大枠でよく似ている。流派を立てることのメリットは世代を超えた継続と収入の安定にあって、今でもそのシステムで残っている芸能がある。いっぽう、細かな差異を「型」として純化していきアレンジしたり組み合わせたりすることを極端に嫌う。そのうえ流派ごとの対立も激しい。この国のつくるシステムはこういうものなのだなあとため息をつく。ひとつの組織の中に複数のグループをつくって競争させるというのも、このシステムにありがちだし。そのうえ、幕末の攘夷グループの対立、昭和の新左翼の抗争とかを思いだしてね。)
團伊玖磨は、日本の音楽は文学と密接に結びついていて、歌謡において優れていると考え、一方、ソナタ形式のような構築性はなく組み合わせによる多様化や繰り返しのないところが特徴だという。なので、この作曲家の仕事はオペラと歌曲を中心においた。日本の創作オペラとしては「夕鶴」「ちゃんちき」などが繰り返し上演されている(これは専属上演グループをもつ林光をのぞくと珍しい)。とはいえ、存命当時から、そして没後も、この人の評価はあまり高くない。自分もほとんど知らない。
だいたい同じ時期に武満徹/小澤征爾「音楽」(新潮文庫)にまとめられた対談(1979−80年)がある。こちらも日本の音楽システムに対する批判。大きな違いは、小泉文夫/團伊玖磨の一回り下の世代である小澤と武満が、この本の主題になる日本の伝統や文化との断絶を軽視しているところ。まあ小澤や武満は西洋音楽の仕組みの中で成功した人であって、そこには文化の日本と西洋の対立はほとんど問題にしていない。日本と西洋の共通性に注目して、いいとこどりした融合が可能だと考えているようなのだ。
二つの対談を読むと、自分は小泉文夫/團伊玖磨のほうに共感する。とはいえ、この声は小さいし、成果やパフォーマンスに乏しいし、実現するには苦労がありそう。