odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

大江健三郎「広島からオイロシマへ」(岩波書店)

 1981年ころに岩波書店は「ブックレット」というシリーズを作った。一冊60-70ページで、比較的大きな活字で、図表・写真を入れ、読みやすい文体で社会や世界の問題を紹介するというもの。最初はたしか「人口」「戦争」「貧困」だったと思う。これを使って、「市民」「学生」「グループ」が学習する資料にすることを望む、という目的のものだった。
 そのうちのいくつかに大江健三郎が著者に名を連ねたものがある。2冊を紹介。


広島からオイロシマへ ・・・ 1982年春に行われた反核運動の記録。前年に、アメリカの大統領と西ドイツの首相が西ドイツ国内に核ミサイルを数千発配備する計画を承認した。そこからヨーロッパ中央部での核戦争が現実に行われる可能性が高まり、反核運動が始まった。作家は3月21日の広島の大会に参加、以後、オーストリア、西ドイツ、スイスなどの都市の反核運動をテレビチーム(テレビ朝日だったとおもう)と一緒に報告することになった。最後は5月23日の東京の大会で締めくくられる(これは自分も参加した)。その2週間後にこのブックレットは出版されている。
 ついでにいうと、統一ドイツはまだなくてベルリンには壁が建てられたまま。数年後、ソ連の大統領が核兵器削減交渉をアメリカに提案し、ほぼソ連の譲歩で決着し、核兵器の廃棄が進められた。あとは、この国の被爆の実体は文章・写真・映像を通じて知られていなかった。なので、この西洋諸国の反核運動はとてもナイーブなものに見える。「オイロシマ」という言葉はヨーロッパ+ヒロシマの合成語。ヨーロッパ全域が広島と同じ被曝で壊滅するのではないかという危機から生まれた言葉。
 これくらいの説明がないと、わからない人が多いだろうなあ。

「世界の40年」 ・・・ 1985年に、雑誌「世界」が刊行して40年が経過。初代編集長の吉野源三郎を継いだ安江良介とよく寄稿していた作家である大江健三郎の対談。雑誌の性格は変えなかったつもりだが、時代によって「政治的にすぎる」「政治に関心がない」という批判を受けていた。1945年8月15日は大事な日で、ここでの改心とか希望を継続することをめざし、憲法を選んだ人々がその精神でもって生きていくための提言をしようとした。その中で、沖縄・韓国問題を取り上げたのは、雑誌の性格を決めたできごとであると考える。
 自分は「朝日ジャーナル」は読んだが、「世界」は読まなかったので、この対談の中身には特に意見はない。新聞にでる雑誌の目次をみて、変化がなくてよいことだと時代の読み方がすこしずれているのだなあという感想をときどき持つくらい。同じ時期に作家は友人たちと「へるめす」という雑誌を作ることにし、岩波書店が制作・販売した。なので、すこしその宣伝も兼ねているみたい。こちらの雑誌はあまり長続きしなかった。

 感想は「な〜つかしいなあ」。そういえばそういう時代だったなあ。作家の主張はほかの本で検討するので割愛。