odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

加納朋子「モノレールねこ」(文春文庫) 「大切な人との絆」を大事にしすぎると現状維持がよいことになってしまう

 2006年に出た短編集。ミステリーというよりは「ふしぎ小説@都築道夫」の味わい。

モノレールねこ ・・・ 小学校5年生のサトルのところにふとったものぐさな猫がやってくる。あるとき首輪にメモを挟んでみたら、返事が届いた。そこからタカキとモノレールねこを介した通信が始まる。でもねこは交通事故で死に、それから十数年して会社でモノレールねこをみつけた。乱歩「算盤が恋を語る話」の再話。スマホSNSがでた2010年以降にはありえない話になったな。恋の主導権をとるのが20世紀以前と逆になった。

パズルの中の犬 ・・・ 母子家庭で育った若妻は夫の帰りを待つまで、ジグソーパズルをやっている。あるとき模様のない白いパズルをやっているとき、犬が見えた気がした。その犬の記憶をたどる。母との記憶に重なり、母の秘密が暴かれていく。最近は母娘は友人のような関係になると言われているけど、シンデレラを見る継母のような感情もあるのだね。母娘喧嘩は和解に昇華したのかしら。パズルに浮かぶ犬の姿、という趣向からM.R.ジェイムズ「銅版画」を期待したけど、21世紀にこんな古風な怪談は無理でした。

マイ・フーリッシュ・アンクル ・・・ 女子中学生の家族は海外旅行で全員が死亡してしまった。そのあと、ダメで怠惰な叔父と二人暮らしを続ける。中学生が叱責してもダメな叔父は全く変わらない。あるとき叔父が母にあてた手紙を読んだ。男からするとこれはお伽話であるのがまるわかり(下半身を感じさせない禁欲な男は存在しないし、女性を支配したがらない男も存在しない)だが、女性からするとこのダメ男がいとおしい、愛すべき存在になるのか。共依存にならず、女が主導権を取り続けられてなにより。
荻上直子監督の映画「かもめ食堂」もこんな感じだった。登場する男は性的欲望を持たないし、激高して体格で圧倒しようとしないし、など。)

シンデレラのお城 ・・・ マリッジハラスメントに閉口している女性が飲み屋で偽装結婚の話を振ると、その中年男性はのってきた。私がいっしょにいる<女性(ほかの人には見えない)>のことを迷惑に思わなければ。二人の共同生活はうまくいく。あるとき<女性>がこどもを生み、中年男性がこの名前にしたという。それは女性が過去に友人だった小学生の男の子の名前と同じだった。同性婚があるのなら幽霊婚もありだよな、という冗談はさておき、偽装結婚・偽装家族のイメージがヴォネガットの「拡大家族」と全然違うんだね。こちらの偽装家族はある記憶を共通するもののあつまりで、ヴォネガットのはある理念を共通するものの集まり。イエスの男性弟子と女性弟子の違いを説明しそう。
2022/04/07 弓削達「ローマ 世界の都市の物語」(文春文庫) 1999年

セイムタイム・ネクストイヤー ・・・ こどもをなくして傷心の妻は命日にこどもと一緒に泊まったホテルに泊まる。そこには娘の幽霊がいた。翌年も同じ日に同じ部屋に泊まる。幽霊が出た。キング「シャイニング」のほのぼの版。

ちょうちょう ・・・ ラーメンオタクが叔父に頼んで二号店の店長になった。うまくいっていたが、次第に客足が減っていく。自信を失いそうな店長にバイトの女の子が話しかける。店長の人を見る目のなさと、さばさばした女の子の観察眼と人情の対比、かな。

ポトスの樹 ・・・ ダメ親父だった男が孫のために一身を投げだす。

バルタン最後の日 ・・・ 池で釣られたザリガニ(タイトルは名前)が核家族を観察する。

 

 後半の4編は失速。文庫版裏表紙の惹句にあるように「大切な人との絆」をテーマにしたのだが、絆を強調すると現状維持を選択するのがベスト、変化が起きないようにするのがよいという処世訓になってしまう。社会や世間で起きている問題があっても、絆の中にいる人たちに降りかかってこなければ無視してよいという処世術になってしまう。危険な者との付き合いも継続しているうちにいいところが見えてくる、というのは共依存を誘発しそう。これらには強烈な違和感があった。
 気になったのはすべてが一人称で書かれていること。ここまで数冊を読んできたが、三人称で書かれた小説がひとつもない。一人称であるのは観察を精緻にして感想や思考の過程を明らかにするので、この作家の文体に会っていると思う。でも、ひとりの観察は偏見や思い込みなどを排除してしまって、独我論や唯我論に陥らせる。あるいは観察の対象外にある存在を無視してしまう。その弱点が前の「大切な人との絆」での不満に至ったのではないか。