著者は 弓削達「世界の歴史05 ローマ帝国とキリスト教」(河出文庫)を書いた人。このエッセイでは、ローマという都市でおきた約2000年のできごとをみる。
ちょっと話をずらせば、この国ではエッセイは身辺雑事の「心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつく」るものになってしまうのだが、西洋では「essai」の原義は「試み」であり、「試論」という意味を持っていて、研究や思考を続けた中で体系化しずらいようなことを書くものである(ということをどこかで読んだ)。当時60代半ばであって、これまでの学究生活で蓄積した論文にはなりがたいことを手堅くまとめたものがこの本。なので、本書こそが西洋的な意味での「エッセイ」に他ならない。吉田兼好の先達があったにしても、本書のような形式のエッセイがあらねばならない(と大上段に構えてみる)。
本書の主題は、聖書に登場するマグダラのマリアについて。共観福音書には複数のマリアがいて、イエスの足を香油と自分の髪で拭った「罪深い女」がいて、これがイエスの臨終と復活に立ち会ったマグダラのマリアと混同された。そのために、古代から中世、ルネサンスにかけて絵画と彫刻の主題になり、夥しい数の作品を生んだのである。著者は福音書や使徒行伝、数々の手紙を読むことによって、マグダラのマリアを総合的に見ようとする。その結果、自分のような素人聖書読みには驚きであるような「実態」が明らかにされる。
すなわち、イエス集団には十二弟子に代表される男が所属していたが、それとは別に女性の集団もあったのである。イエスの十字架刑から復活までの福音書の記述を読むと、男性集団がイエスの拘束と磔刑において恐れをなして逃げたり集団にいることを否認したりしたのであるが、女性たちはそのようなことをせず磔刑に立ち会い墓を訪れるほどの忠誠を尽した。彼女らは信仰心に篤いだけではなく、集団を財政的に支える力をも持っていた。そのような女性イエス集団の指導者がマグダラのマリア。しかも、イエスの死後マグダラのマリアはローマにわたり、伝道者として信仰を伝えた。あいにくネロらによるキリスト信者弾圧は厳しく、おそらくそのころに女性伝道集団は壊滅したと思う(というのは著者の考えではなく、自分の妄想)。彼女らはテキストを残さなかった/無学のために残せなかったのであり、男性エリートらが残したテキストでは女性伝道者の存在は消された。しかし、復活伝承の記述にあたってマグダラのマリアの名が残ったのは、伝承を使ったとしても覆せないほどの強烈な印象をキリスト集団に残したからであり、福音書の記述者も消すことができなかったからである。
聖書はときたま読んだりもして、とくにマイノリティや弱者へのアクションを考える参考にするのだが、男性優位の書き方は受け入れがたいところがある。男性優位になるのは当時のユダヤ社会がそうだからで、女性の証言は子供や精神障碍者(ママ)の証言同様の信頼できない扱いとされていたそう。その印象を覆す読みをした著者はみごと。こういう方向のフェミニズム神学があるのだろうなあ、と妄想もしたくなる。
(ローマのユダヤ人をみると、すでに多くのユダヤ人が移住していた。帝国の支配地域から多くの人が来ていた多民族社会のローマで、ユダヤ人集団は厳格に安息日(キリスト教は日曜、ユダヤ教は金曜)を守り割礼の風習を持つことと、イスラエルで問題を起こす厄介な民族として差別されていた。それを覆そうにも、ローマのユダヤ人は十数個の共同体に分かれていて、政治的な共同性を持っていなかったのだ。ユダヤ人社会は男性優位であったので、マリアらのような女性伝導集団はユダヤ人社会からも疎外されていた。)
キリスト教の女性たちについては、遠藤周作「聖書のなかの女性たち」(講談社文庫)があるが、聖書だけの読みでは本書に及びもつかない。そこも踏まえて学究の徒が書いたエッセイは珍重しなければならないなあ。
(ダン・ブラウン「ダ・ヴィンチ・コード」(角川文庫)の与太よりも、こっちのほうがずっとエンタメ向きだと思った。)
日本基督教団の「マグダラのマリア」解釈いいなあ。マグダラのマリアはキリストの弟子の中でも傑出していたのに、男性の権力を守るために堕落した女とのレッテルを貼られ続けていたんだって。で、ジェンダーバイアスから自由になる日としてマグダラのマリアの記念日を作ったhttps://t.co/q67NVGY3u9 pic.twitter.com/Qz9i7hoGng
— みづかね (@MZKNIPO) 2022年7月17日