odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

五味文彦「大系日本の歴史5 鎌倉と京」(小学館ライブラリー)-1 気候変動による寒冷化によって平安末期は乱世になった

 平安末期が乱世になるのは、「方丈記」などで知っていたが、その理由がわかった。

「平安初期(西暦820年)の嵯峨天皇の頃に最高気温(25.9℃)を記録しました。一番寒かったのは、平清盛の生きた平安後期(11~12世紀,約24.0℃)で、聖徳太子の活躍した飛鳥時代初期(600年頃,24.7℃)、応仁の乱の後の戦国時代初期(1450年頃,24.4℃)も寒冷でした。奈良時代後期、室町時代などは温暖で概して平和、寒冷期は社会の変革の時期に対応していました。/ 950~1250年頃は、ユーラシア大陸を中心として「中世温暖期」として有名です。しかし、本研究で得られた結果は予想外に「寒冷」でした。「日本には中世温暖期はなかった」ということになります。たぶん、大規模なエルニーニョが原因と考えられます。」
https://www.aori.u-tokyo.ac.jp/research/topics/2017/20170104.html

 奈良か平安初期にかけて開墾が進んだが、当時の技術で可能なところはすでに開墾していた。そこに寒冷期が訪れて不作と自然災害が続く。海外からの輸入などできない時期なので、リソースの奪い合いが起きていたわけだ。王朝国家の呪術的権威は落ち、減収のために地方の荘園も統制できない。そこにおいて、中央の権威の行き届かないところで「武士」が生まれた。荘園官吏の補助をしたり、自力で開発して所領にしたり。「武」を名乗るだけあって、下人所従関係を強くし主人の成敗権で処断した。まあ法ではなく暴力で支配し、しかし面倒見はいいという関係を作った。そのような小集団は小競り合いを起こして所領の拡大を狙う。地方では次第に武士が作る地頭が荘園と対立するようになる。同時に、中央の王朝では武士の協力がないと荘園は維持できず、王朝の官僚のなかに武士階級が生まれるようになる。古代の階級構造が経済発展と自然条件で解体していったわけだ。
(このまとめは古いし乱暴で誤りを含んでいる。高橋昌明「武士の日本史」(岩波新書)を読んでください。)
2023/02/02 高橋昌明「武士の日本史」(岩波新書)-1 2018年
2023/02/01 高橋昌明「武士の日本史」(岩波新書)-2 2018年

 源平合戦は王朝にはいった武士階級の闘争とみたいし、勝利した源氏は東国政権を作って、王朝国家の支配を受けない領域をつくったといえる(なので1988年刊行のこの本では鎌倉幕府の成立を1192年としていない)。でも幕府はいちおう王朝の承認を得ていたし、多くの家人を王朝に送っていた。家人の中には王朝と幕府の両方に奉公するものもいた。なので日本の中世は複数の政治権力が複雑に入り乱れていたといえるだろう。1220年代の承久の乱は王朝による倒幕運動だったが、失敗し、王朝の権力はさらに制限され、西国武士の所領が幕府のものになる。


<参考エントリー>
高橋昌明「平家の群像」(岩波新書
 この東国政権などを「中国化」「江戸化」という視点でみたのがリンク先。
2021/04/13 與那覇潤「中国化する日本」(文芸春秋社)-1 2010年
2021/04/12 與那覇潤「中国化する日本」(文芸春秋社)-2 2010年

 

 

2023/06/19 五味文彦「大系日本の歴史5 鎌倉と京」(小学館ライブラリー)-2 13世紀の温暖な気候が政治を安定させ、経済発展と海外貿易増大を生んだ 1988年に続く