odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

斎藤美奈子「冠婚葬祭のひみつ」(岩波新書) 冠婚葬祭のやりかたは20世紀に3度大転換した

 古今の冠婚葬祭マニュアルを集めて比較しているから、マニアかと思ったが、以前マニュアル作成の仕事をしていたとのこと。時代の変化だけでなく、業界の事情にも詳しいと思ったが、そういう理由でしたか。それでも多数の類似本を読みこんでいるので、知識の量が質に転化し、無味乾燥なマニュアルに意味を見つけることができました。慧眼。

 さて、著者によると冠婚葬祭のやりかたは20世紀に3度大転換したという。これは人口構成と流動化、産業の変化、メディアの変化などで説明できるという。いずれもロイヤルウェディングがきっかけになっていて、皇室のやり方を模倣する人と業界が多いせいだという(20世紀の皇室は日本の家族のモデルでもあった)。子の転換は以下のようにまとめられる。
 それまで冠婚葬祭は自宅で行う民間行事で、地域共同体や互助会で行うもので宗教団体はあまり関与しなかった。それが20世紀初頭に宗教団体と商業施設が商品パッケージとして販売し、専用施設で行うものに変わった。その際に式に呼ぶ対象が変わる(家は兄弟姉妹と親族からなる)。
1900年初め:家と地域共同体 → 冠婚葬祭マニュアルが道徳教育と性指南の役割を果たす。
1960年代:家と企業共同体 → 戦後の団塊世代が対象。この時代は多産少死。
この時代のベストセラーが、 塩月弥栄子「冠婚葬祭入門 正・続」(光文社カッパブックス)1970年。この分析が興味深いので、リンク先の追記を参照。
1990年代:個人と家族 → 少子高齢化、企業社会の崩壊で出席者減少。
 このように結婚式と葬式は不変の形式をもっているわけではない。事業主が商品を変えて行ったり異業種が参入したり(神道のが結婚式をパッケージ化したのでのちに仏教とキリスト教が参入した)、人口構成の変化による家族親族の人数が変化したことで、形式も大きく変更したのだった。21世紀の傾向は、式に費用を出せなかったり出席者が少なかったりするので、少人数の家族だけで行うようになった。一時期は葬儀業界は成長産業と思われたが、式の簡素化によって葬儀と周辺業界(花屋、仕出し屋、墓石屋など)がいっせいに凋落している。
 このような社会分析がとても興味深い。右翼やカルト宗教は「日本の伝統的家族観を守れ」というのだが、彼らが見る家族観というのは19世紀後半の民法が規定した家族制度が確立し、多産で家族と親族が多く、人の移動が少なく、地域共同体との縁が深かった時期のものだ。その家族観も皇国イデオロギーや商業主義の影響を強く受けている。伝統でも歴史でもない一時的な形態にすぎない。右翼やカルト宗教が伝統を守れというとき、そのモデルや経緯でデタラメや歴史捏造を使うことが多いので、対抗する際に本書は役に立つ。
 結婚観は憲法の改正により個人の意思を尊重する意識に変わったが、戸籍制度が残されたので「入籍」「嫁に行く」などのことばは使われ続けた。戸籍制度に基づくことばが残されたので、著者が言うには「半分だけ民主主義」。建前は平等公平だが、家族制度を温存することになり、仕組みのおかしなところの押し付けは女性に集中する。姓を変えたり、相続で冷遇されたりするところなど。婚姻を役所に届けるのは、配偶者同士が法の保証を受けられることだが、それが非対称的だし、一部の人には保証が受けられない。なので21世紀には、選択的別姓や同性婚などが求められている。右翼やカルト宗教はこれに反対するが、それは一部の人たちの自由や公正を抑圧することだ。
 もうひとつの重要な指摘は、戦前の冠婚葬祭マニュアルには優生思想が含まれていた。ことに結婚するまえに、相手の健康診断や一族の身元調査を行うことが推奨されたこと。身元調査を行う理由は、一族に犯罪者や精神疾患のものがいないことを確認するためだった。戦前の1920-30年代は人類遺伝学と犯罪学が流行していて、犯罪や精神疾患の原因を遺伝としていた。相手にそのような人たちがいると、遺伝因子が「血」に加わることを恐れ、婚約を破棄する原因になった。おれが思ったのは、このような身元調査が推奨されたことで、犯罪者や精神疾患、さらに障がい者への差別感情が国民に定着したのではないか、ということ。結婚は家族制度を維持するというイデオロギーが差別を強化して根強いものにしたのだろう(もちろん身元調査は、部落差別・民族差別を引き起こすものでもある)。

 結婚の優生思想は1960年代でもあったなあ。こんな本がでていたくらい。
田中克巳「結婚の遺伝学」(講談社現代新書