odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

宮田登「冠婚葬祭」(岩波新書) 祭儀を通してみる日本人の祖霊感・霊魂感

 日本人の生活といっても、土地ごとの差異は大きい(それこそ近世までは蝦夷、東国、西国、九州など複数の国が列島にはあったと考えるべき)。でも、ある共通する信仰、観念があるので、日本人の特質を抽出することができるだろう。そういう目論見はいろいろあるが、本書では冠婚葬祭という列島に共通する祭祀に焦点を当てることにする。
 生活習俗、日常の風習で日本人の一生を描いたものには、牧田茂「日本人の一生」(講談社学術文庫)がある。

序 冠婚葬祭と日本人 ・・・ 日本では、人間の一生は異界からきた霊魂が異界に戻り再生するという考えにあった。幼児期の死亡率が高く、成年期を過ぎるとはやく死んだので、異界にはやく持っていかれないように祭祀を何度も行った。近代になって成長に伴う祭祀は学校制度に取り入れられたり、商業化されるようになった。(というのは冠婚葬祭では慶弔金などをだすものだが、贈与経済なので相場があってないようなものだった。そこで現代では、簡素化と商品化が進み共同体の祭儀が貨幣経済の商品パッケージになった。)
 冠は元服や成人の祝い、婚は結婚、葬は霊魂の生まれ変わりの祭祀、祭は祖先供養・悪霊退散の祭祀。(斎藤美奈子は「冠婚葬祭のひみつ」(岩波新書)で、「冠婚葬祭」は男性の見方であり、女性には冠はなく13歳前後のけいであり、産が省かれていると指摘している。)(冠婚葬祭には出生儀式や七五三などの成長祝いもない。これらの成長儀式は近代になって学校制度に取り込まれた。なるほどなので21世紀でも学校は根拠のない規則で未成年を縛り、逸脱者にさまざまな圧を加えるのか。武士道を学校に求めたので、軍事訓練を経由して、武士の禁欲と規則遵守が定着したのだね。)
 以後は日本の様々な習俗を紹介。一般化抽象化を目指す議論ではないので、気になったところをメモする。

1 老人の祝い ・・・ 厄払いは陰陽道の影響。老いは追(加)いであって、悪い意味はない。

2 誕生と育児 ・・・ 誕生にあたって「川で拾ってきた子供」のつくり話は全国でみられる(西洋の「コウノトリが運んでくる」の対になりそう)。7歳までは神という考えがあったので、それ以前に亡くなった子供の葬儀は成人のものとは異なる。ウブヤには陰陽道の影響が認められる。七五三は東アジアの聖数。千歳飴は江戸の神田明神脇の飴屋が土産物として売り、流行して定着した。

3 成人と結婚 ・・・ 公家や武家には元服、成女式があったが、庶民は若衆宿体験や労働力の基準クリアなどで成人と認められた。中世までは婿入り婚、近世は嫁入り婚。1900年の天皇家の結婚式の影響で神前結婚式が普及した。式次第は伊勢家や小笠原家の礼法から。20世紀には婿と嫁が独立して家を持つようになったので、自宅ではない式場の結婚式が普及した。六曜は16世紀に中国から伝わり、ほとんど広まらなかったが、近代化によって人びとが気にするようになった。

4 葬送と供養 ・・・ 列島に住んでいる人は、霊魂が生まれたばかりの生命体に宿り、死とともに霊魂が抜けて帰ると考えている。霊魂は家の周りに浮かんでいて、死から年を経るごとに個性を失って「みたま」になる。ときに霊魂が再び生命体に宿る。死んだ後の霊魂を粗末に扱うと、怨霊化無縁仏化して祟りを起こすので、定期的に祭って鎮めなければならない。というわけで、死のあとに葬式、先祖参り、年中行事を行って、さまざまな段階にある浮遊した霊魂を祭るのである。問題になるのは、死の際に霊魂が肉体から抜けるときで、明確な基準がないうえ、死体は汚れたものなので忌まねばならない(という死生観は、脳死の判定基準に合わないので、日本では脳死判定と臓器移植をなかなか受け入れない)。
 葬式は地元の互助会が行うもので、土葬が一般的で、喪服は白だった(覆ったのは明治の後期から)。通夜は遺体と徹夜で過ごすこと(なるほど大嘗祭と同じ意味なのね)、通夜は食事の呪力でケガレを排除して清める行為で、仏壇は家の祖霊の象徴的存在であり、お歳暮やお年玉はみたま祭りのお供えが起源(こういう祖霊観に合致する8/15の終戦の日やクリスマスは日本人に定着した)。

odd-hatch.hatenablog.jp

odd-hatch.hatenablog.jp

 各地の習俗を並べているので、ときにへこたれそうになるが、日本で生まれて日本で育ってきた読者には自分の体験と重なるところが多いので、親密な感じになるだろう。先祖供養や日常行事などは理屈では受け入れがたくても、こういう説明を聞いた上では自分もやらないという気分になる。その感覚は自分が近代化されたり、コモンから切り離されて孤立していることの証しなのだろうけど。
 いくつか。
 日本人の霊魂や生死の観念は「4 葬送と供養」のところにまとめたところが基底にあって、その上に仏教や儒教陰陽道)などが幾重にも重なっている。これは100年前に柳田国男が言っていることと同じ。さらに、神道聖徳太子桓武天皇によって仏教化されたり、鎌倉期以降の中性に儒教の考えを取り込んでいったり、江戸期になって仏教で惣や村を統合していったりしてきたことの結果なのだろう。われわれが日夜やっている先祖供養の行事も千数百年の歴史を反復しているのだ。
 単純化すると、日本人は生と死の意味を共同体の記憶に残ることに置いていた。だから共同体の墓地に埋められることが大切で(異国で死んだ場合に死骸を回収することにこだわるのはここに由来)、時がたつと肉体から分離して霊になる。霊は共同体からそれほど離れていない山や林の上に漂っていて、定期的に帰ってくる。そこで帰ってきた霊をなぐさめ、元に戻ってもらう儀礼をおこなわないといけない(霊を粗末に扱うと共同体に居ついて悪霊を呼び寄せ、時にはそれ自体が怨霊になって禍になる)。江戸時代まではこうだった。
 その土地に根差した祖霊観や先祖供養行事などを転覆してしまったのが、明治政府。この政府が目指した帝国主義化、植民地主義化で、国家神道が作られ、国家や自治体の行事だけでなく、庶民の日常風俗までも国家奉仕になるように変えてしまった。結婚式や葬式の形式を変え、互助会を機能させなくした。代わりに生死の意味をコモンの安寧にかかわることではなく、天皇のために死ぬことに変えてしまった。その変更と転覆が起きたのは1890-1910年にかけて。そこから100年が過ぎたので、多くの人は伝統や歴史と思うようになっている。伝統や歴史を持ち出されるとなかなか覆しがたいが、由来を知ればたいしたことではない。それに明治政府が進めた(極右やネトウヨが支持している)形式や伝統は、マイノリティの人権を侵害し、植民地だった国を差別する根拠になっている。

odd-hatch.hatenablog.jp

odd-hatch.hatenablog.jp

odd-hatch.hatenablog.jp


(この国では明治20年ころからキリスト教が普及する。若者がキリスト教に影響されたのは、社会改革の新しい思想と道徳的な実践を持っていたからだが、明治政府によって日本人の生と死の意味が筑替えされてしまったので、国家神道とは異なる生と死の意味を持っていたからではないかな。)

 なので本書や斎藤美奈子「冠婚葬祭のひみつ」(岩波新書)などで、歴史を明らかにする作業は必要。明治以降の近代化で日本人は流動化し、その地に根差した伝統や伝承に関わらなくなり、家族も小さくなっているので、先祖や祖霊の概念をもたなくなった。そのうえで伝承を継続するかどうかは各人の判断で。

2012/06/02 宮田登「神の民俗誌」(岩波新書)