odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

エミール・ガボリオ「他人の金」(KINDLE)牟野素人訳 放蕩息子も極悪おやじの悪行を見れば改心するという教訓小説、かな。

 「他人の金」とは、強欲のファヴォラルが信用詐欺で一攫千金を夢見たことのいいであるが、この小説のキャラはみな金に執着している。持っている者はより多く獲得しようとし、持っていないものはなんとかして獲得しようとする。資本主義の勃興期を終えたとなると大方の問題は金で解決がつくものであるとみな考えるようになり、しかし社会保障制度はまったくなく、都市でアトム化孤立化したモッブたちはコモンを作って相互扶助する気もないのである。ごく少数者の慈善にたよるしかないとき、人の幸福のうち有用的価値をどのように獲得分配するのか。
 というような社会や正義や幸福の問題は後付けの話であり、1873年に書かれた家庭小説を読む。1860年代のガボリオの小説と異なるのは、1871年のできごとを経験したから。普仏戦争でパリが包囲され、帝政は敗北。ルイ・ボナパルトは捕虜になるという屈辱を浴び、70日とはいえパリコミューンは国家のない世界の可能性を開いたのである(その間、ガボリオは沈黙)。そして共和制になる。
 さて巴里にファヴォラルという名士が住んでいたが、1872年4月27日に突然警察の手入れにあう。家族の知らないことであるが、信用詐欺で巨万の現金を蓄えたようだが、配当が払われないのに腹を立てた債権者が警察に訴えたのである。氏は逮捕直前に逃亡、家族は無一文のまま取り残される。
 ファヴォラル氏は勤勉、実直、まじめなビジネスマンと世間から思われているが、家族からすると真逆の独裁者だった。生活費をわずかしか渡さないので、妻と娘は内職小遣い稼ぎをしなければならないし、息子は父の暴力への反発と母の甘やかしで放蕩三昧となり母と妹から小銭を巻き上げては浪費する。しかし息子が20歳を過ぎて債権者に囲まれる事態になり父も救わないとなったときに改心が訪れる。家を離れて独立する。下宿屋で奇妙な美しい娘に一目ぼれし、どうやらファヴォラル氏を巻き込んだ詐欺事件の秘密を握っているらしい。ファヴォラル氏は娘に結婚相手を見繕うが、娘は否を宣言し、街中であった貧しい発明青年(電気モーターの開発中)と一生添い遂げる覚悟を決める。しかし戦争と不況はそれを許さない。発明青年に縁談が持ち込まれ、娘は機が気でない。
 以上第1部。犯罪があるが、ルコックもタバレも登場しない。全体を把握して下知する者がいないので、物語は延ばされ、勘違いとすれ違いが繰り返される。ここでも見かけと実際は異なるよというキャラの性格の反転が技法でありテーマ。上の事情も、最後に明かされれば立派な犯罪小説になりそうなものを氏の逃亡から即座に回想シーンになってしまう。およそ現代的でない小説。
 第2部は、改心した息子と発明青年によるファヴォラル氏捜索。彼が属していた信託銀行の関係者を次々訪れる。そこでさまざまな情報の断片を得て、一つの絵にまとめていく・・・ということを書いていたら世界初のハードボイルド小説(先駆にエドガー・A・ポーの「マリ・ロジェの秘密」があるといえばあるが)になったものを。あいにくこの小説では第1部ですでに判明している過去を追確認していくだけなので、興趣はとぼしい。それに信用詐欺事件はファヴォラル氏を操る黒幕の存在が示唆されていたのに、そちらはさっぱり解明されない。ラストシーン直前に息子が見初めた娘が襲われて重傷を負うのが挿入されているのが少し近代的。クライマックスは行方をくらました父と改心した息子の再会。そして悪漢の死で幕を遂げる。
 ガボリオ最後の作品と思われる。上記普仏戦争とパリコミューンの後、創作は激減しているようだが(wikiでは短編が少々で長編はこれだけ)、社会の変化についていけなくなったのではないかしら。ガボリオは小デュマをライバル視していたようだが、このストーリーではちょっとねえ。

 

 牟野素人さんの活躍でガボリオをいくつか読んできたが、同工異曲な作風でへこたれた。黒岩涙香が何冊も翻案したが、それは出版後20年ほどたった時代。貴族と庶民がいて、電化が進んでいない社会なので、当時の日本の世情と重ね合わせることができたのだろう。くわえて、キャラの性格や善悪が入れ替わるという技法が当時の日本人には受け入れられやすかったとみた。江戸からの草紙や怪奇物でも似たような技法で書かれたからねえ。そして虐げられたものが最後の幸福にいたるのも解りやすい。
 でも20世紀になってからは、これらの小説では残らなかったのもやむをえまい。テーマや人へのまなざし、犯罪への関心はディケンズに似ている。ディケンズは残ったがガボリオは忘れられた。自分が思うには、ガボリオが主に目を向けるのは上流階級やブルジョアたち。庶民や貧民は無視している。そのために社会状況をつかみ損ねた。くわえてガボリオの小説にもキャラにも教養がない。ひとかどの人間になろうとする意志やそれに必要な知識や処世術、道徳に関心を向けない。小説を読んでも読者は成長しないのだ。これでは歴史的価値以上のものはない。古典になれなかった。
 「ルルージュ事件」は未読なので判断保留だが、推薦できるのは「ルコック探偵」と「バティニョールの爺さん(黒岩涙香の「血の文字)」のみ。ほかは「ファイルナンバー113(書類百十三)」がまあ読めるかも。コナン・ドイルの長編に関心があれば、あの奇妙な構成がガボリオ由来とわかるので、手にしてもよい。どれも19世紀半ばのものだから、よほどの好事家むけですな。「ルルージュ事件」「パリの奴隷」「シャンドース家の秘密」の大長編が未読なのだが、もう読む気力はわかない。

 


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