odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

エミール・ガボリオ「女毒殺者の情事」(KINDLE)牟野素人訳 1665年のバスティーユ監獄を舞台にした犯罪小説。19世紀の探偵小説は脱獄トリックに関心を持つ

 原題「毒殺者の恋(バスティーユの悪魔) Les Amours d'une empoisonneuse(1863年)(牟野素人の翻訳タイトルは「女毒殺者の情事」)は、ルコック探偵ものを書く前に書かれた歴史小説。1665年11月15日という日付が書かれていて、ルイ14世の時代であることがわかる。まさにこの時代を舞台にした小説が第デュマによって書かれた。「三銃士」の続編にあたる「ブラジュロンヌ子爵」がそれ(邦訳は後半だけ。アレクサンドル・デュマ「仮面の男」(角川文庫))。大デュマの長編は1668年のできごとなので、その直前にあたる。
 大デュマはバスチーユ監獄に収監された「鉄仮面」を題材にしているが、こちらは実在の毒殺者をモデルにしている。この前の世紀のイタリアでは、貴族や大商人などで毒殺が頻繁に行われ、中には大量殺人までおこしていた。その影響が国内の治安がよくなく、王侯と貴族が反目を繰り返しているフランスの上流階級にあったのだろう。同じ事件を題材にしてコナン・ドイルが「革の漏斗 The Leather Funnel」という短編を書いているとのこと。下記に収録。

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 翻訳者によるサマリーを引用する。

1882年(注:ガボリオの死後)に発表された小説のフランス語からの完訳。本邦初翻訳。ときは1665年、ルイ14世の治世、トラシー連隊のサントクロワ大尉は、ブランビリエ侯爵夫人の愛人であったが、ある夜、二人が密会している現場を侯爵夫人の父親とその息子により取り押えられる。侯爵夫人の方は助けを得て逃げおおせるが、侯爵夫人の父親ドリュー・ドーブレは司法官で、その力を利用してサントクロワをバスチーユに送り込む。獄中でサントクロワは有名な毒殺魔であるエグジリと知り合い、その該博な知識、誇大妄想的な野望に惚れ込み、弟子にして貰う……。当時、世間を震撼させた実在の美しき女毒殺者ブランビリエ侯爵夫人を巡り物語は展開する。
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 以上は前から3分の1まで。サンクトロワは優秀な弟子となり、もう教えることがなくなったエグジリは脱獄計画を立てる。実行の直前、サンクトロワは釈放をなる。エグジリは仮死化する毒薬をのみ、24時間以内に解毒剤を飲ませろとサンクトロワに命令する。
 脱獄トリックのめぼしいのはフットレル「十三号独房の問題」1905年くらいかと思っていたが、実のところは19世紀の歴史小説で盛んに書かれていたのだった(デュマの「モンテ・クリスト伯」、黒岩涙香「鉄仮面」「死美人」など)。アイデアが出尽くし、20世紀になって監獄・刑務所が変わったので、誰も書かなくなったのだ。20世紀は密室に関心が移り、密室からの脱出トリックが多数考案された。
 時は遡り、若い利発そうな子供がイタリアの貴族に預けられる。実の父同様に育てられたが、彼が17歳の年に急遽イタリアを脱出することになり、貴族は行方不明になった。成人した子供は裁判官の秘書として有能ぶりを発揮したが、隣の屋敷の乙女に一目ぼれ。どうにか話ができる間になったものの父が縁談を持ってきたので別れないとと紅涙を流す。よし駆け落ちだと準備を進めるものの屋敷の様子がおかしい。ある婦人が急いで帰っていくので馬車の手配を助ける。中に入ると、父が毒殺されていた。これで今生の別れと乙女が泣き伏すのをようやく障害がなくなったと喜ぶ。債権者をさばいて資産を残せる算段ができた頃に、不審な手紙が届く。深夜、墓地に行き、新しい死体がが埋められたら同封の薬を手順通りに飲ませろと。なんのことやらわからないが老僕は事情を知っていそう。言われたとおりに墓地に行くと、貴族風の男が手紙通りにいた。これが俺の復讐、裏切りよと哄笑して立ち去るまでを見守る。そして死体を回収し、指示通りにすると、なんと生き返った。その恐るべき告白・・・
 作者は当時31歳という若さ。若さのせいなのか、オリジナルな物語を構想するのが不得意なのか。前半はデュマの「モンテ・クリスト伯」で、後半の前半分は「ロメオとジュリエット」、後ろ半分はゴシックロマンスの定番。デュマやディケンズならここまでが大長編のイントロで、ここから復讐とロマンスの大冒険譚が始まるはずなのに。またキャラの善と悪の構図が前半と後半で入れ替わる。とくにサンクトロワとエグジリに著しい。エグジリは地下に住む悪の叡智の老人、魔術師の生まれ変わりかと凄みさえ湛えていたのに、仮死から生き返るととたんに清廉な政治犯になってしまう。人の役割が入れ替わるのは、ガボリオの小説によくでてくる小説テクニック。
 この先をもっと読みたいものだが、最終章で謎ときが終わり、ロマンスがハッピーエンドになったので続けようがなかった。連載マンガが不人気で唐突に打ち切りになったようだ。悪の凄みが横溢していたので残念。

 


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