odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

竹内洋「教養主義の没落」(中公新書)-2 戦後日本の教養主義:教養主義が終りサブカルが始まる

2023/08/07 竹内洋「教養主義の没落」(中公新書)-1 戦前日本の教養主義:デカンショは外国への憧れで、反学歴社会運動だった 2003年の続き

 

 本書の記述にそって、ある教養主義者を仮構してみよう。


 彼は1900年から1910年の間に、田舎の中産階層に生まれた。周囲のボンボンが持っている文化資産にあこがれを持ち、1920年代に苦学して都市の大学に入学した。そこで先行とは別に、19世紀ドイツの古典(哲学、歴史、文学など)を独学し、あわせて当時流行のマルクス主義に傾倒して社会変革の意思をもったのである。しかし周囲はスポーツや娯楽に熱中する学生が大半であり、彼らの金や交遊に嫉妬することもある。というのも、彼の学部からは教師になるかサラリーマンになるかの選択肢しかなく、出世や栄達には縁遠いのだ。1930年代に教師になった成年は自由主義個人主義を主張したいが、軍国主義表現の自由を奪っていき、周囲に逮捕者が出て、拷問のうわさも聞く。そして戦時体制ができあがると、彼は沈黙を余儀なくされ、内面に深く籠らざるを得ない。1945年の敗戦は解放の高揚をもたらし、若い人たちの民主主義運動や組合活動に呼ばれるようになる。リベラルな立ち位置を獲得。1960年代には社会の要職に就くものの、後半の大学闘争では戦後生まれの若者に突き上げられ、危機対処能力がないことを露呈した。以後、沈黙する。少数の知的エリートによる運動が、マスのポピュリズム運動に巻き込まれてしまったという構図、といえそう。
 この教養主義者は架空のものなのだが、戦後の知識人の中にこのような軌跡をたどったものを何人も見つけられそう。そして彼の人生と教養主義の栄光と没落を重ねることができる。栄枯盛衰があるということは、教養主義は普遍的な価値を示したものではなく、ある時代の運動であるとみなせるだろう。

 さて、1960年代の大学闘争で教養主義は終わった。のであるが、若者から知的好奇心が失われたわけではない。日本の教養主義を担った「農村(田舎)出身・下層から中産階級・スポーツ嫌いで不健康という傾向をもち、不遇さを自覚しているので逆転の矜持や屈折を持って」いる層は常に生まれている。70年代以降のそういう層は大学闘争に飽きているので、社会変革の意思を持たない。同時にドイツの古典やマルクス主義ハイカルチャーを軽蔑する。社会の事象を斜に構え過度な相対主義で見るので、正義や善、公正などを深く考えたことがない。そのような彼等が選んだのはサブカルチャーだった、とおれはみなす。彼らの政治嫌悪や古典無視という傾向が、ハイカルチャーから軽視されるサブカルチャーを持ち上げるという運動になったのだ。あわせてサブカルチャーは国産の商品を愛でるので、ナショナリズム愛国心を強化する。その点ではサブカルは現在の「国学」になるのだろう。オタクが志士きどりになるのはそこらへんに理由がありそう。
(オタクの「何もしないでしゃべってばかりいる」という特性は、ドスト氏の「地下室の思考」と合致する。そこからすると、「オタク」は知的エリートを社会が必要としていないので、出世競争から脱落し挫折したモッブであるともいえる。田舎出で経済・文化資産がすくないという特性は彼らの収集癖や分析癖、トリビアリズム・瑣末主義をうまく説明できると思う。また、高いプライドと鬱屈したルサンチマンを一緒に持っていて、教養知を持たないことも、「オタク」の社会性のなさ、倫理感の欠如もうまく説明できると思う。)
 サブカルチャーを好む層も「体育会」と同じ男性中心の集団を作るので、ホモソーシャルな傾向を強く持つ。「逆転の矜持や屈折」をもっていて、社会とうまくいかないところから「オタク」が生まれる。1980年代後半のバブル時代。健康で運動好きな「体育会」のノリを持っていない「オタク」は不健康でおしゃべりばかりをすることで、体育会に対抗していったのだ。かつてなら教養主義にいった若者が行き先として作ったのが「オタク」。
(「オタク」が知的エリートの運動になった例として「と学会」を見ることができると思う。1990年代にオカルト、ニセ科学代替医療、月着陸デマなどが流行った。これに注目して、デバンキングやデマ打ち消しを有志が行った。ときには100名以上の会員を持つような集まりになる。いくつも書籍を出して、おれも楽しんで読んだものだ。でもこの運動は2010年代で終了する。会員の高齢化だったりネタが枯渇したりだったりなのだろうが、重要なのは21世紀に増えたネトウヨや歴史捏造者に対抗し切れなかったことなのだろう。彼らの「トンデモ」に対して「と学会」は専門知と実用知で対抗したが、ネトウヨたちは知識やデータに圧倒されることがなかった。「と学会」が冷笑や嘲笑を浴びせても、ネトウヨたちは恥を感じることはなかった。究極のバカたちに対抗する際、「オタク」の専門知と冷笑は無効だったのだ。おれは「オタク」が教養知を持たないので、正義や善、公正の概念を持たなかったことが原因だと思う。)


 教養主義は没落した。なるほど、しかし、古典知や教養知を知らないで、とくに自国の歴史をしらないで、他国の人たちと交通できるのか、学べるのかは不安がある。日本の問題は、言文一致体ができた1890年代より前の日本語の文章が読めなくなったこと。西洋の人たちや中国の人たちは、シェイクスピアデカルトやトーマス・ペインや論語など自国語の古典を原文のまま読める(はず)だが、日本人は明治20年より前の文章は読めない。日本は伝統があるとかいうが、文化的な断絶はとても大きい。日本人の思想や精神の貧しさは昔のことを知らないことに由来しているのではないか、と妄想している。
 また、教養知は不要であるかとなるが、そうではない。専門知や実用知は、ルーティンを回したり、ゆるやかな変化をに対応したり、ビジョンやミッションが明確なプロジェクトを進めるには有効(なので高度経済成長期に専門知や実用知が要求された)。しかし、予想しなかった激変、カタストロフ、危機には対応できない。「想定外」なので専門知や実用知には対処法が書かれていないのだ。そのときに、過去に人々が経験したり考えてきた古典をモデルにして考えることになる。同じような激変やカタストロフを経験したり、将来起こりうるかもしれないことを先んじて考えたりした人たちの考えを参考にできるのだ(なので2020年からのコロナ禍でカミュ「ペスト」を再読する人がたくさんいた)。また、専門知と実用知は、世界や社会を構成する原理原則を考える参考にならない。正義、善、公正、平等、自由など。これらは人々の活動の集合知として形成され、他者の複数性(@アーレント)を認めることが必要だ。その際には、社会や世間に隠されているマイノリティや過去や未来の人の複数性も考慮しないといけない。その際の参照先に古典を加えることは妥当。

 まあ若者に教養主義を復活させる必要があるかというと、そうでもない。屈折やルサンチマンなどが表出することがあるからね。むしろ、卒業後の「大人」が本を読まなくなったことの方がより重要で深刻な問題だ。子育てが終了したり、会社を退職したりした老人がネトウヨニセ科学陰謀論などに取り込まれる例が激増しているからね。極右思想やニセ科学陰謀論などに染まると、マイノリティ差別をやったりヘイトクライムを起こしたりして、実刑や罰金刑を食らうことがある。社会にも個人にも実害になるのだ。
<参考エントリー>
小林和之「『おろかもの』の正義論」(ちくま新書

 また、激変やカタストロフ、危機に直面したとき、政策や方針を決定する大人が教養知を持っているかどうかはとても重要。政策や方針を提言する知識人、研究者にも教養知は必要。教養知がない人たちは皮相な知識と軽薄な判断で、人々に混乱を広げ、損害を与えるのだ。21世紀の日本の政治家が成熟した大人の判断ができていないのを思い出そう。
<参考エントリー>
2023/03/08 アルベール・カミュ「ペスト」(新潮文庫)-1 1947年
2023/03/07 アルベール・カミュ「ペスト」(新潮文庫)-2 1947年
2022/10/31 井上栄「感染症 増補版」(中公新書) 2006年

 というわけで、「教養主義の没落」は若者の問題ではなく、彼らを批判する大人の側の問題なのだ。


ショウペンハウエル「読書について」(岩波文庫)→ https://amzn.to/3w7WjS4 https://amzn.to/3w62RRb
三木清「読書と人生」(新潮文庫)    → https://amzn.to/3UBBHLv
梅棹忠夫「知的生産の技術」(岩波新書)→ https://amzn.to/4dgvRpQ
本多勝一「日本語の作文技術」(朝日新聞社)→ https://amzn.to/4dsC6az https://amzn.to/3UykSkr

外山滋比古「思考の整理学」(ちくま文庫)→ https://amzn.to/3WgTCYV https://amzn.to/3Wj03e2
斉藤孝「読書力」(岩波新書)→ https://amzn.to/3xSSLUh
桑原武夫「文学入門」(岩波新書)→ https://amzn.to/49WvwWF
山形浩生「新教養主義宣言」(河出文庫)→ https://amzn.to/49StQxp

竹内洋教養主義の没落」(中公新書)→ https://amzn.to/3Wj07KO
阿部謹也「『教養』とは何か」(講談社現代新書)→ https://amzn.to/3w7WiO0