odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

外山滋比古「思考の整理学」(ちくま文庫) 勉強すること教養を身に着けることの意味や意義がなく、乱雑な構成で使い勝手の悪い仕様のマニュアル本。

 元本が出たとき(1983年)は大学生だったから、そのとき読んでいれば感激しただろうな。大学の専門のこと以外に関心興味が深まっていて、どうやれば勉強できるか考えていた時期だったので。そのような若い年からずっと離れて老年に入ってから読むと、いささか失望になった。調べたら、同じ著者の「知的創造のヒント」(講談社現代新書)を読んでいて、こちらもさっぱり記憶に残っていない。そうすると本書も同じように、再読しないまま放置していただろう(代わりに繰り返し読んだのは花村太郎「知的トレーニングの技術」だった)。

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 全体は6章。勉強の心構えがあって、インプット、編集・加工、アウトプット、環境、継続と続く(以上は俺のみたて)。あまり参考にならないのは、具体的な技術と、こつというか先人のノウハウが一緒に並べられていて、マニュアルとしては使い勝手の悪い仕様になっていること。ノートの取り方と睡眠のしかたと「忘れる」ことの大事さが等置されても、どないするんじゃって感想にしかならない。それに40年前の本では技術も制限がある。ネットとPCの出てこない指南書は21世紀にはどうか、と。またアウトプットとして想定されているのは論文のみ。もともとの想定読者は大学の1・2年生だと思うが、この本の読者にはエンジニアやサラリーマンなどがいて、彼らのアウトプットである企画書やプレゼン資料などは考慮されていない。ここらも年長の読者には役立たないと思わせる理由のひとつ。
 そういう細部だけでなく、俺が困ったのは、最初の章(心構え)の前にあるべき章が欠落していること。すなわち、斉藤孝「読書力」(岩波新書)の感想にも書いたが、勉強すること教養を身に着けることの意味や意義がまったくない。冒頭の章で著者は、外の力がないと飛べないグライダーとエンジンを持っていて自力飛行できる飛行機をモデルにして、自分で問題を設定して解決できる飛行機型の人間になるように勧める。著者のいう飛行機人間にならなければならない理由はなに? 本書を読んでいると研究者として論文を生産するとか、企業で発見発明をするとか、そういう自発的な人間になることを目指すことになりそう。でも、高度経済成長期の巨大工場をもつ企業の従業員や研究者にはけっこうな資質であるだろうが、それでいいのか。俺は足りないと思う。繰り返しになるが、勉強することや教養を持つことは、生活や仕事や社会の不備・不正義などにどう対処し、虐げられたり貧しさに貶められている人たちにどう向き合うか、そこまで考え実践の訓練をすることだと思っている。
 思い返せば、この国の勉強の指南書は本居宣長の「宇比山踏」1798年までさかのぼれる系譜をもっている(もっと古いのもあると思うがそこまで調べていない)。石川淳訳の本居宣長「宇比山踏」も、心構えやノウハウの記述ばかりで、正義や徳を考える契機は乏しかった。そういう考えがこの国では続いているようだ。西洋やロシアでは知識人やインテリゲンツァの役割について長い議論が行われていたが、この国ではそういう議論がなかったことの反映かしら。
<参考エントリー>
桜井哲夫「社会主義の終焉」(講談社学術文庫)
小田実「日本の知識人」(講談社文庫)-1
小田実「日本の知識人」(講談社文庫)-2
 なので、本書を読む前に、たとえばロック「市民政府論」、カント「永遠平和のために」サンデル「これからの正義の話をしよう」などを読むことが必要なのだ。あいにく日本人が著者のもので、入手が簡単で網羅的な正義や徳を書いた古典を思いつかない。

<追記 2019/8/12>

 日本人が著者で正義や徳を書いた古典はこれくらいかな。
吉野源三郎「君たちはどう生きるか」(岩波文庫)

 

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(本書や類書の感想によくあるのは「今の時代に必要なのは情報を手に入れることより"捨てる"ことなのだ」。一見もっともらしいが、現状にはあっていない。なるほど書籍、雑誌、ネット、SNSに大量の情報が流れている。そこで起こるのは情報の洪水に巻き込まれることではなくて、自分の考えや気分にあった情報だけを意図的・無意識に集めること。それに拍車をかけるのがアマゾンやグーグルなどのおすすめ機能。SNSのフォローフォロワーによるタイムラインの形成。過去の行動から推測される、趣味趣向にあうような情報が企業から押し付けられる。それに慣れると、同じような趣味趣向、考えばかりが聞こえるようになって、むしろ情報の多様性が失われる。そのうえ、ネットやSNSにある情報は傾向を持っている。つまりAIにネット情報を集めさせて発信能力を持たせようとしたら、レイシズムや排外主義の「人格」が形成された。あるいは、男優位の発信をするようになった。情報の洪水があるのではなく、選択的に狭い範囲の情報ばかりが届けられ、偏見や差別の考えが刷り込まされてしまうことが問題なのだ(以上はエコーチェンバー現象の説明)。情報を「捨てる」というメタ視点にたつことは、自分が優位にあるようにみせるが、実際は知的衰退をもたらす考え。情報を捨てるとか取捨選択するとかいうより、高校までの学校教育で習う知識を獲得することのほうが重要で、優先すべき。)