odd_hatchの読書ノート

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高橋和巳「憂鬱なる党派 下」(新潮文庫)-1 日本の教養主義者の没落過程を描いた大長編。

2024/03/15 高橋和巳「憂鬱なる党派 上」(新潮文庫) 六全協で挫折した活動家たち。大島渚「日本の夜と霧」と同じ主題。 1965年の続き

 

 20世紀にはこの小説は社会運動や革命運動のやりかたについての議論をどう評価するかで読んできただろう。革命家になるのか、党員になるのか、党の方針に無条件でしたがうのか、党の方針を(除名覚悟で)批判するのか。除名されたり離脱したものは運動に参加してもよいのか。こういう議論は1980年ころまではさまざまな党で行われてきたが、21世紀にはもう無効。議論の中心にあった党が運動をするものに権力や権威を発揮しなくなったから。むしろ21世紀には無党派の人々が問題ごとに集まる活動に積極的に乗ってきて、そこで指導力を発揮しようとしなくなった。この小説に登場する1930年代生まれの男性が口角泡を飛ばしていた議論はもうお疲れ様というしかない。

  


 今回の再読で気が付いたのは、西村をはじめとする「憂鬱なる党派」の諸君が日本の教養主義者の典型であること。彼らをみることは、小説発表(1965年)から数年を経ずして、党の学生自身が引導を渡した教養主義を理解することだ。
 日本の教養主義の詳細はリンクの感想を参照のこと。

odd-hatch.hatenablog.jp

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 ここで教養主義の担い手を分析しているのだが、自分のまとめを再録。
「学部では就職難で貧乏である未来であるとされる文学部(法学部や経済学部は専門勉強に集中)で、農村出身・下層から中産階級・スポーツ嫌いで不健康という傾向をもち、不遇さを自覚しているので逆転の矜持や屈折を持っていた(これを逆にすると、都会出身の健康な身体の持ち主は教養主義を嫌い、反感を持っていたのだった。そこには教養主義が無言の権力や権威として働いていたから。」
 この特性は「憂鬱なる党派」の諸君にそっくりあてはまる。このような特性を持っている若者たちが、社会変革の志を持ち、マルクス主義の強い影響を受けて運動家になったのだった。もちろん彼らは学生の多数派ではない。少数の「自覚した人」であるという運動のエリート意識をもちながら、大多数のノンポリで恋愛やスポーツや美食などを楽しむ豊かな人々を羨望と蔑視で眺めていた。彼ら教養主義者がもっとも嫌うのは中産から上流階級出身の健康で知的なエリートたち。彼らは良い勤め先を見つけて、労働組合を毛嫌いしながら出世していく。本書でも学生会館で部屋を隣にする知的エリート(多くは法科、経済科)と敵対する。キャラの一人が激高して怒鳴り込んだが、彼らの余裕ある姿にすっかり意気消沈し、議論でもまけてしまう。教養主義を担った田舎出の文系がもっている劣等感と裏返された虚栄心が如実に表れている。
 また運動に負けた人たちはまともな就職をあきらめて、零細企業に入ったり、逃亡生活を続けたり、組合活動に熱心に取り組んだり。貧乏であり出世を望目ないことを受け入れている。教養主義にある倫理主義とか清貧暮らしを内面化しているようだ。この中には血のメーデーで逮捕された者がいる。彼は火炎瓶を持っていたので重罪になってしまった。ところで、自分はまさにこの1952年の血のメーデーで逮捕され長い裁判闘争を戦った人を知っている。彼はたまたま現場に遭遇して警官に逮捕されたためにのちに無罪になった。では彼は貧困にあえいだかというとそうではなく、裁判中は就職できず無罪になった40代から企業に就職することは無理だった。どうしたかというと、学習塾を作ったのだった。それは成功し、長い間の経営で多くの子供たちを育て、地域から尊敬される存在になった。裁判の支援者が塾の経営を助けたのだろうと想像するが、それでも企業に就職しないで生きることは可能だった。ただの一例なのだが、「憂鬱なる党派」の人々の社会とのかかわり方や見方はとても極端なのがわかる。低い自己評価で自分の可能性をつぶし、懲罰を自分に課すところが。
(そんな潔癖さは運動を狭くするものだし、右翼や自称愛国者の嘲笑のネタにされるので、やめたほうがよい。)

 

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