odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

竹内洋「教養主義の没落」(中公新書)-1 戦前日本の教養主義:デカンショは外国への憧れで、反学歴社会運動だった

 「最近の大学生は本を読まない」「大学生の学力が落ちている」「大学がレジャーランド化している」という言説はよく聞こえてくる。それは、過去の大学生は本をたくさん読んで、勉強をしていて、遊ぶ者は少数だったということを前提にしている。この前提は正しいか。
(個人的な観察に基づけば、誤り。本を読む層は昔も今も少数。若者は本を読むが、就業した中高年の大人が本を読まなくなった。1970年代、午後6~9時の本屋には仕事を終えて帰宅途中のサラリーマンやOLが多数集まって本を買っていた。そういう人たちがいなくなった。)
 そこで著者は「教養主義」という観念を物差しにして、20世紀の思想動向をみようとする。「教養主義」を語ることは知識人を語ることでもあって、さまざまな知識人論も俎上にのぼるのである。

 本書がほかの教養主義批判や知識人論と異なるのは、教養主義を担った人たちを社会学的に調査していることだ。作中で引用されるピエール・デルビューらの方法を採用している。データと複数の観察者の意見をすり合わせた議論は、これまでにない客観性をもっている。データの分析も面白いが、以下では本書を通じてみた教養主義の歴史をまとめる。
教養主義を担った人たちとして、大学生と出版社と知識人をあげる。(大卒後の読者は対象外)

教養主義の要点は、主に西洋の歴史・哲学・文学を読書によって学び、人格を形成する修養が大事であり、社会改良に取り組みことである。これは日本の修養主義の影響を受けている(対象になる古典が中国から西洋に変わった)。

・日本の教養主義の起源は、大学に弁論部ができたことと、講談社岩波書店の本が売れたこととする(だいたい1920年代)。その背景には、若者たちが大学の講義で教師から西洋の古典を学び憧れたことがある。
(その教授らはどうやって教養を得たかというと、1880年代以降に西洋に留学してかの地の教育を受けたからだった*1。その当時の西洋もまた教養主義の時代で、ブルジョアの基礎素養として古典講読、芸術鑑賞などが必要だった。また修養主義と社会改良志向も明治維新後、若者が熱中したキリスト教の影響もあるだろう。なので日本の教養主義は西洋由来であることも大事だとおもう。あるいは、国内や植民地の官吏を養成するのが大学に要求されたので、西洋文化の教育が教養主義を広めたともいえそう。若者や学生の内発的な動機だけではないでしょう。そうでないと、西洋の教養主義が自国の古典を読むのに対し、日本の教養主義が西洋の古典を読むことの違いが説明できないと思う。)

・1920-30年代は教養主義マルクス主義の影響が大きい。修養主義と結びついて学生運動は倫理的ストイシズムを持つようになった(これを右翼は左翼の攻撃に使う。運動するものは貧乏で清廉でなければならないと揶揄するのだ)。1936年から思想統制の法律ができてマルクス主義は表向き排除されたが、教養主義は社会改良志向を除いた形で継続する。
マルクス主義の影響が大きいというより、大正時代の教養主義は大日本雄弁会のようなナショナリズムに対抗する運動として現れたものだったからだ。社会変革の志が当時最先端の社会改良思想であるマルクス主義に向かった。)

・このような教養主義が没落したのは、1965-75年の大学闘争の時代。大学文化が破壊され、大学生の矜持が失われた。

 では教養主義は大学生に普遍的であったかというとそんなことはない。1920-1970年にかけての大学進学率は5-20%くらい。そのうち教養主義を実行しているのは最も多かった1950年代でも学生の20%程度だった。大多数はレジャーやスポーツや恋愛を楽しんでいたのだった(それは学生運動でもそうで、全共闘の時代でも参加者は学生の10-20%だったという)。

 どのような層が教養主義を担ったかというと、学部では就職難で貧乏である未来であるとされる文学部(法学部や経済学部は専門勉強に集中)で、農村出身・下層から中産階級・スポーツ嫌いで不健康という傾向をもち、不遇さを自覚しているので逆転の矜持や屈折を持っていた(これを逆にすると、都会出身の健康な身体の持ち主は教養主義を嫌い、反感を持っていたのだった。そこには教養主義が無言の権力や権威として働いていたから。まあ、不健康な田舎者が横文字を並べて小理屈をまくしたてるのに、口で対抗できないってのがあったのだろう、と妄想。

(日本の大学はどの階層にも開かれていたので、田舎の素封家(資産持ち)の子供やその援助で成績優秀な者が入学できた。彼らは田舎の貧困の現実を知っていたので、格差解消のための社会変革の意思を持つものがでた。)
(デルビューが「ディスタンクシオン」で分析したフランスの文学部学生とは傾向が異なる。フランスの教養主義の担い手は都市出身で中産から上流階級で健康的な人びと。サルトルが「知識人の擁護」「サルトルとの対話」で述べた知識人論が日本の知識人と齟齬があったのを思い出すと、フランスの都会人であるサルトルと日本の田舎出の知識人では社会基盤が共通していないのだ。)

 さらに構造分析をみると、エリート層には日本の町人・武士文化のエートス西洋文化への憧れで、教養主義・ハイカラ・修養主義・江戸趣味に分割できる(画像)。画像の軸に垂直方向のエリート-庶民の軸を立てると、1970年代にエリート層の文化が総じて解体して、より庶民寄りの中間文化やサブカルチャーに移動していったのだった。なので教養文化の没落はサブカルの隆盛につなげてみたほうがよい。


 ここまでは学生や若者の分析だったが、本書で重要なのは教養文化を没落させたのは企業(それも大企業)にあるとみなせること。すなわち、1950年代の復興期に労働組合運動を恐れた企業は試験や身元調査で、教養主義に関係していないことを明示するような思想統制をした(なので21世紀でも「学生運動経験者は就職できない」などのデマが流れる)。業務につかせる際にも教養知不要とし、専門知や実用知を要求していった。これが就職を迎える学生の志向を変えていった。
 そうして、1970年代以降、若者は、西洋文化(とくにハイカルチャー)への憧れがなくなり、修養観念をもたなくなり、学生がエリートではなくブルーカラーや不正規雇用やアルバイトになる状況で、金と時間のかかる教養知の習得は行われなくなった。かわりに「社会ですぐに役立つ」専門知や実用知を勉強するようになった。
(ドイツやフランスの教養主義は学歴社会と連動していて、大学で教養知を獲得することは社会のエリートになることと一致していた。日本の教養主義は反学歴主義であったので、社会エリートを目指すものではなかった。これは明治政府が「和魂洋才」をスローガンにして、もともと教養知を重視しなかったことと影響がありそう。)

 というわけで冒頭の嘆きは、教養主義に立っている者からの問いかけであった。SNSで漏れ伝わる21世紀の大学生は1980年代の大学生であった自分よりもずっと熱心にまじめに勉強をしているのだ。みかけやわかさで不満や愚痴を言っても仕方がない。俺らも当時の大人からは軽薄で不真面目と思われていたのだし。

<参考エントリー>
2015/09/07 小田実「日本の知識人」(講談社文庫)-1
2015/09/04 小田実「日本の知識人」(講談社文庫)-2
2015/12/23 久野収/鶴見俊輔/藤田省三「戦後日本の思想」(講談社文庫)-1
2015/12/24 久野収/鶴見俊輔/藤田省三「戦後日本の思想」(講談社文庫)-2
2012/07/04 鶴見俊輔「戦時期日本の精神史」(岩波現代文庫)
2017/02/22 サルトル/ボーヴォワール「知識人の擁護」(人文書院) 1966年
2011/10/07 桜井哲夫「社会主義の終焉」(講談社学術文庫)
2019/07/05 外山滋比古「思考の整理学」(ちくま文庫) 1983年
2016/12/23 山形浩生「新教養主義宣言」(河出文庫) 1999年
2019/07/04 斉藤孝「読書力」(岩波新書) 2002年
2016/09/07 福岡伸一「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書) 2007年

追記
 19世紀半ばのドイツで教養主義が始まったが、その背景には以下が影響していると妄想。
・17世紀のプロテスタンティズムの修養概念
・18世紀の科学主義
絶対王政の官僚の増加
・商業革命と産業革命による事務仕事の増加
・植民地経営のための現地に派遣する官吏の養成
・以上のための総合大学設置。大卒者を高級官僚や政治家になる条件にした社会状況
・18世紀市民革命と議会制度と政党活動による文筆家の需要増
・19世紀初頭の貴族たちのディレッタンティズム
 教養知のような知識を習得するのは、王侯貴族・ブルジョアの素養であり商売の必需であったのが、19世紀半ばから中産階級都市の大学生などにも普及していった(というか、そのような層が上の人たちのマネをした)。そういうストーリーをみれそう。

 

 

2023/08/04 竹内洋「教養主義の没落」(中公新書)-2 戦後日本の教養主義:教養主義が終りサブカルが始まる 2003年に続く

*1:たとえば夏目漱石が外国留学を経験して教養を日本にもたらした一人。