著者は高名な西洋中世史研究者。1980-90年代は人気があった人だったと記憶する。その人が「教養」について書くから、竹内洋「教養主義の没落」(中公新書)で触れられなかった西洋の教養の歴史がわかると思って読んだ。1996年刊行。あとがきによると、大学の要職にあって激務で研究と執筆の時間があまりとれなかったそう。
序章 建前と本音 / 第1章 公共性としての「世間」 ・・・ 日本の「世間」をハーバーマスの公共性で説明しようとする。
(おれにはまったく筋が通らない議論。日本の「世間」は儒教や国家神道で作られたもので、権力によって政治参加ができない共同体だった。世間には「公共性」の実践も概念もない。)
第2章 「世間」の中でいかに生きるか ・・・ ドイツの「教養」概念の歴史。12世紀に都市ができて職業選択の可能性が生まれると、社会に対して「どの位置にいるか」「何ができるか」の問いかけをする人が出てきて、現在に規範になるものがないので、ギリシャやローマの古典を読んだ。彼らは大学を遍歴しながら学問や修業をするようになる。
(「いかに生きるか」の問いに答えを出したりヒントを得るために古典を読むのを教養主義とすると、あらかじめ職業が決まっている人、選択できる職業が少ない人はこの問いが生まれない。たとえば世襲で親を継ぐことが決まっている人はいかに生きるかを考える必要がない。21世紀の自民党政治家のように。この国の江戸時代の武士はあらかじめ職業は決まっていたが、競争社会だったので脱落せず出世するために教養が必要になった。なので中国の古典を勉強した。武士業では礼儀作法・立ち居振る舞いがうるさかったので、修養もしなければならなかった。)
「教養」概念はドイツ観念論哲学由来(18世紀半ばかな)。この時代に宗教的欲求で学問を志す人が増え、教養市民層が生まれる(以下がその理由を説明するだろう。ほかにドイツに官僚制ができたことと資本主義が入ったことも原因になるだろう)。
深井智朗「プロテスタンティズム」(中公新書)-1 2017年
深井智朗「プロテスタンティズム」(中公新書)-2 2017年
ヘルムート・プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム」(講談社学術文庫)-11935年
ヘルムート・プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム」(講談社学術文庫)-21935年
ちょうど大学改革が要求されていた。実学重視の職業教育を行う一方(これは民衆のレベルアップ)、純粋学問(とくに功利主義や出世を目的にしない、それ自体を学び、「いかに生きるか」を問う)をする教育機関が生まれる。ここで教養は暇のある個人が実業界を馬鹿にしながら修養するものとされた。ただし、育成されたエリートや高級官僚はキリスト教から離れていくことになる(ああ、そこにドスト氏は反発したのだね)。
(補足すると、ドイツ観念論哲学が流行したのはドイツの都市にたくさんの大学が作られ、その出身者が官僚や組合などの市民(シトワヤン)になった時期。そのために学歴社会になっていて、大学卒業の素養がないと、ひとかどの男になれなかった。商業や工業で成功して金を得るだけではだめで、都市の組合長や市長などの尊敬される役職にならないとひとかどの男とみされなかった。これらの役職になるには大卒であることが条件だった。金のある市民(フランスの政治参加する市民ではない)は大卒の学歴を求め、教養を身に着けることを率先して行った。なのでドイツの教養主義は現状を肯定する保守主義。この事情はトーマス・マン「ブッデンブローク家の人々」でわかる。つづけて「トニオ・クレーゲル」を読むと、ドイツでも20世紀初頭には教養主義はエリートvs大衆、芸術vsサブカルのような分断を感じていたのがわかる。)
でも20世紀になると、学問・研究が制度化され「いかに生きるか」の問いを必要としないようになり閉ざされた分野の専門化が進む。大学が大衆化し国家と企業が予算を出すようになれば、生きる意味や社会の価値を考える学問は反権力になるので、いらないとされる。「すぐに役立つ」専門知や実用知を重視するような政策と運営になり、研究者がそれに乗っかる。
(日本では、教養主義とマルクス主義の社会変革志向が一緒になったので、組合活動を恐れた企業が入社試験などで教養主義者かどうかをテストした。入社後の社員教育では専門知と実用知しか教えなかった。企業が教養知を不要としたことで、教養主義はなくなった。)
日本の大学はドイツの大学をモデルにしたので(廣重徹「科学の社会史」岩波現代文庫)、ドイツの教養の歴史をなぞるように進展した。学生もドイツ教養主義をモデルに生活した。
竹内洋「教養主義の没落」(中公新書)-1
竹内洋「教養主義の没落」(中公新書)-2
第3章 個人のいない社会 / 終章 「世間」と教養 ・・・ アイスランドサガの分析。「教養」概念には関係ないので割愛。
(著者は明治以降日本人は西洋的自我に憧憬し、生活で無理を重ねてきたというが、これは誤り。資本主義と科学技術導入で労働は西洋化し自由であろうとするのに、国家神道イデオロギーの強制で暮らしは監視と抑圧で自由であることができず、政治参加の道を閉ざされていた。そのために自由と世間の間で分裂させられているのだ。)
自分が読みたかったことは第2章で書かれていた。本書では歴史の広がりを描くまでにはいかなかったが、12世紀の西洋都市で職業選択の可能性がでたのは、その前に農業革命と製鉄革命があって生産が向上し人口が増えたせいだとか、18世紀末の純粋学問の誕生がハイドンやベートーヴェンらの純粋音楽の誕生と同時期だとか(金聖響「ロマン派の交響曲」講談社現代新書 参照)の気づきがあった。あと「いかに生きるか」の問いが職業選択に大きくかかわっているというのが面白い。なるほど、自分が何者か、何ができるかという問いはなんで食っていくかに深くかかわっている。そういう視点は重要と思うが、宗教的情熱で純粋学問に熱中することが教養とされると、「いかに生きるか」の問いが生まれたところを見えなくしてしまった。
近代以降に教養主義が成立するには、学歴社会であることが必要。大学で教養を学ぶことが、ひとかどの市民であることの条件とされる。高級官僚や政治家になるには、教養を持っていなければならないという社会だから、教養主義が成立したのだ。(そこにドイツのようなナショナリズム運動が入ると、教養知に基づくドイツ精神とその表れである芸術が国民と国家を救うという奇妙な議論になる)
ただ、日本では「和魂洋才」の皇国イデオロギーと国体ヒエラルキーがあったので、学歴社会にはなっても西洋の教養知は不要とされた。それがあってか、日本の教養主義は反学歴社会運動という性質を帯びる。そのために戦後の企業は教養主義と教養知を排除しようとした(ことに入社試験での思想選別)。田舎の学生たちが社会変革の志をなくし、大学の大衆化と職業訓練化が進むにつれて、学生から教養主義は消える。西洋の古典(哲学、歴史、芸術)のかわりに国産のサブカルを愛好するようになる。教養主義のかわりにオタクが誕生する。サブカルチャーは国産の商品を愛でるので、ナショナリズムや愛国心を強化する。その点ではサブカルは現在の「国学」になるのだろう。オタクが志士きどりになるのはそこらへんに理由がありそう。
トーマス・マン「ブッデンブローク家の人々」(筑摩書房)
トーマス・マン「トニオ・クレーゲル」(新潮文庫)
あと著者の専門である中世の身振りに関してはメモを残そう。()はおれのつっこみ。
西洋中世では言葉はコミュニケーションの手段としては重視されなかった(いくつも理由があって、領主・王侯を含めてほとんどが読み書きできない。文書を作成する機会がほとんどない。いくつもの言語や方言があって全部を覚えるのが困難)。代わりに身振りや身体運動がコミュニケーションの手段になった(手話があったのだって)。職業ごとに特定のダンスやステップを間違えずにできることが身の証しになった。あるいは一人前と認められる手段になった(時代が下った17-18世紀のパリの宮廷でも踊ることが貴族の重大な技能だった。日本では和歌が詠めるのがステータスだったのと対照的)。身振りが異なると、悪魔が憑いたり、異端であるとみなされたりした(そういや映画「エクソシスト」でも悪魔憑きは身振りの異常さを表したものだ。スパイダーウォークや空中浮遊など)。神学でも身振りが重視され、イエスは笑ったか、物乞いをしたか、手作業をしたかは重大な問題になった(なるほどエーコ「薔薇の名前」でそのシーンが出てくるわけがわかった)。ミサも身振りが意味を持っていた。パンとワインが実体変化するのは司祭の身振りによって(なるほどミサの手順が厳密に決められているのはそういうわけだったのか)。
中世は身振りの文明だった。これがテキストの文明になるのは13世紀以降教会が文字の占有をやめてから(ヨーロッパの共用語であるラテン語の代わりに現地の方言で書こうという言文一致運動がおこるとか、印刷術ができて本が大量に流通するようになったとか、海外貿易の収支を記録する必要が生まれたとか、地中海貿易で異国の文書が入るようになったとか、いろいろな要因が重なってのことだろう。とはいえ、身振りの文明のなごりは残ったし、いまでもそこかしこにあると思う。東洋人からすると西洋人がオーバーアクションにみえるくらいに。)
自分の関心事に重なるところは全体の4分の1くらいしかなかった。それ以外の話題は興味をひかなかったし、日本の世間の説明は誤っていると思う。碩学にして専門以外には躓くことがあるのだね。安心した。
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