odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

西村京太郎「発信人は死者」(光文社文庫) 敗戦から30年たっても消えない戦争責任の追及。団塊世代はインターナショナルをめざす。

 1960-70年代のこの作家の仕事はとても力が入っている。ミステリや推理小説には入らない作品だし、サスペンスというにはいささか浮世離れした荒唐無稽さがあるのだが、それでもこの作品を書きたいという意欲がとても強く伝わってくる。

 1977年、アマ無線のマニアがモールス信号無線を聞いていると、「SOS245109」という信号を受信した。警察や海上保安庁に尋ねても事故は起きていない。不思議だと仲間らと相談していると謎の男が旧軍の暗号だと示唆する。調べると、海軍の暗号でトラック諸島冬島で伊五〇九潜水艦の発したものだと知れる。伊509潜は欧州で調達した金塊700kgを運んでいたのだという(おお、「D機関情報」の続きだ!)。
 若い彼ら3人は貯金をはたいてトラック島に行き、小船を買って、日本軍の軍艦が沈没した海域を調べる。潜水艦を発見し、さらに艦長が記した航海日誌を持ち帰ることができた。そこには、金塊を運んだことが記されてあり、同乗していた民間人が管理していたことがわかる。この潜水艦の関係者を調べると、敗戦後直後に皆行方不明になっていた。
 一方、伊五〇九潜の関係者がこの一年の間に複数名が事故で死んでいる。十津川はそれは殺人らしいとあたりをつけ、存命の関係者をしらみつぶしに探していた。そこから上の若者3人の冒険が行われていることを知り、彼らに私的報復はやめるよう警告する。というのも、若者らは航海日誌をネタに、存命の生き残りである私立大学の学長をゆすり、金を奪ったものの一人が死亡し一人が片腕をなくしているからだった。
 若者の考えは短慮だし行動は浅はか。なのに爽快さを感じるのは、反権威と反権力、そして戦争責任の追及が根底にあるせいか。1977年(初出)は戦後32年なので、上記の設定(死者からの無線、旧軍が隠した財宝探し、極右による政治暗躍など)はすでに荒唐無稽な時期になっている。1950-60年代なら「鉄人28号」「海底軍艦」「24年目の復讐@怪奇大作戦」のような旧軍を扱うフィクションは可能だった。1970年代では「宇宙戦艦ヤマト」のように新しい意匠を着せないといけない。でも、設定の不自然さはあっても、10年前の学生蜂起が喚起した気分はまだ漂っていたのだった。若者たちは27歳の男、23歳の娘、37歳の中年男なのだが、21世紀から見るととても大人びている。自分で決断し、正義と不正を判断し(誤っているけど)、他人の尽力を期待せず自力で物事を解決しようとする(個人の幸福を最大にするために犯罪を行うというのは誤っている)。1980年以降の「新本格」などに登場するモラトリアムを無責任にすごそうとする若者ではない。
(こういう若者を想像する手助けになるのが、同時代の映画。藤田敏八八月の濡れた砂」「妹」「赤ちょうちん」「帰らざる日々」など。若者らの「同棲時代」は卑劣なテロによって終焉した。そこで一人無傷で生き残った若者は復讐に向かう。この浅慮な行動にはいっさい共感できない。私的制裁は許されないというロックの「市民政府論」に同調するからであり、戦争犯罪に対して傍観者を決め込む冷笑や相対主義がだめだからだ。ここでは「生まれていなかった時代の戦争犯罪に責任はないが、二度と起こさない責任はある」くらいのタンカをきってほしいところだ。戦争を我こととする論理はこういうものであるべき。1970年代の若者にかけていたのはこの論理。)
 若者の計画は、沈んだ伊五〇九潜におびき出しそこで襲うというもの。アメ横の銃砲店で水中銃を改造させ、税関を潜り抜けるトリックを用意し、トラック島の海で銃の練習を繰り返し、心悸を整える。一方、十津川の捜査も黒幕の特定と復讐計画の察知にいたり、十津川は休暇を取ってトラック島まで彼らを追いかける(フォーサイスジャッカルの日」のフォーマットを借り、十津川に私的捜査のために海外旅行をさせるのは「消えたタンカー」を繰り返す)。十津川はゼロ時間に間に合うことができるのか・・・
 もう一度、若者のことを言えば、すべてが終わったとき、若者はもはや日本に居場所はないものと悟る。そして島で手に入れたクルーザー船と手持ちの金で「世界」に出ていくことを決める。ナショナリズムは彼らの心根にはない。どこにも所属しないインターナショナリズム国民国家の間、境界に生きること)を決意する。この気分も、どうしてもドメスティックな場所、家族や疑似家族を求めねばならない1980年以降の「新本格」などとは一線を画したものだ。
 物語としてみれば、リアリズムとファンタジーの混交に失敗して、どっちともつかない中途半端なものになってしまったが、1970年代を同時代として知っている俺からすると、その時代の空気を思いださせる稀有な小説だった。この作家は、1980年以後の膨大な小説には一切興味を持たないが、60-70年代には読めるものが多数あった。

(ちゃんと描写ができるのも好印象。同じようなシチュエーションの書き方を比べる。
本書「柔らかいくせに、妙に量感のある彼女の身体を、抱きしめる格好になった(P244)」
今村昌弘「屍人荘の殺人」(創元推理文庫)「比留子さん!小柄なくせしてなんて凶悪なものをもっているんだ!」
後者の幼稚さは読書を続ける気持ちをなくさせる。)

 

 この物語には、「南原機関」なる秘密組織が登場する。戦争にあって連合国との貿易が途絶したため、国内および植民地では生産できない原料や資材、機械などを同盟国や中立国で手配し、日本に密輸するための専門組織だ。作家の著作でも「D機関情報」がそのような戦争物資調達組織が描かれる。このような組織が実在したらしいことは、たとえばこういうフィクションがあることでもわかる。
2022/09/23 堀田善衛「スフィンクス」(集英社文庫)-1 1965年
2022/09/22 堀田善衛「スフィンクス」(集英社文庫)-2 1965年
(上記にあげたフィクションも、南原機関のような旧軍の秘密特定期間が黒幕として登場していた。)
 このような組織は敗戦で壊滅したとされるが、作家の想像力では、関係者が物資や貴金属などを隠匿し、戦後のし上がるための資金源であると考えた。この金を教育界に投資し巨大な私立学校(中高から大学まで)の系列を作る。たぶん日本大学東海大学がモデルになっているだろう。成功を収めたのち、この男は政界進出をもくろみ、日本道徳連盟なる極右団体を創設する。5万人を動員できると豪語する巨大組織に育て上げた。学生組織も作り、彼の私兵としてどぶ板政治活動に参加させ、ときにはテロやリンチの要員にする。これらの力と金を使って、政権与党に近づき、首相はこの右翼組織に賛同のメッセージを出すに至る。1977年ではこの設定は妄想の範疇だっただろう。むしろさまざまな新左翼や草の根市民運動のほうが政権に近い所にいる印象があったかもしれない。
 しかし、21世紀から振り返ると、作家の設定はリアルなのだ。児玉誉士夫が旧軍の物資を隠匿して戦後に財を成し、自民党を陰から支えるフィクサーとなった。他にも笹川良一の右翼運動。彼らは田中角栄をターゲットにした疑獄事件で没落した。しかし、もっと小さな皇国保守の右翼運動が生き延び、組織化される。小説に書かれるような全国組織や学生組織を作り、各地で運動させた。30年の草の根運動は各地に拡がり、再び政権与党に深く食い込んだ。
2022/06/28 山崎雅弘「日本会議 戦前回帰への情念」(集英社新書) 2016年
2022/06/27 青木理「日本会議の正体」(平凡社新書) 2016年
 本書を予見の書とは思わないが、21世紀に読むとここだけは恐ろしいほどのリアリティをもっていた。

 

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