odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

西村京太郎「消えたタンカー」(光文社文庫) 海洋炎上事故の生き残りに届いた殺人予告。姿なき暗殺犯を追う日本版「ジャッカルの日」

 平成以降の日本のエンタメは列島を舞台にするどころか、半径50m程度の日常を書いたりして、どうもせせこましいという印象をもっている。本屋でみかけてもめったに手にしないし、読むまでにいたらない。そこで50年前のエンタメ(1975年刊)を読む。スケールがでかいぞ。

インド洋上で原油を満載した巨大タンカーが炎上沈没した。船長以下六名が救出されたが、残り二十六名の生死は不明のまま、捜索は打ち切られた。だが、その船長が変死を遂げ、十津川警部補のもとに、犯人を名乗る人物からさらなる殺人を予告する挑戦状が届く。警察の必死の捜査を嘲笑うように次々と殺害される元乗組員たち。十津川は狡猾な犯人を挙げられるのか!?
https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334777012

 救出された6人を殺害するという手紙だったので、十津川警部補らは必死に捜査するが、ネットも携帯電話もない時代にはだれがどこにいるか補足するのはとても困難だ。その結果、観光道の途中で、スキー場のリフトの上で狙撃され死亡。続いて日本を脱出するヨットも時限爆弾で爆破されたのが見つかる。最後の一人は、最近(1972年)返還された沖縄に逃亡するものの、海水浴中にボートから狙撃された。最後の事件では十津川らは犯人の攻撃を予期して検問をかけていたというのに。しかし犯人と目された炎上したタンカーの生き残りが国内で自殺したのが見つかる。
 十津川らの捜査が進む一方、狙撃犯の行動と心理を描く章が挿入される。フォーサイスジャッカルの日」の趣向だ。あいにく銃の入手や改造を詳しく描くのではなく、アメリカ軍の装備が盗まれたの一言で終わらせるのは、この国の事情からしかたがない。「ジャッカルの日」は狙撃犯のプロジェクトマネジメント描写がよみどころなのだが、それがない本作ではときに笠井潔「ヴァンパイア戦争」を思い出したりしましたよ(こちらの連載は1982年から開始と、本作とそれほど遠くない)。伊豆あたりの高速道、長野のスキー場、沖縄の観光地などが舞台になるのは、観光小説の趣き。そういえばこの時代には自動車の所有率が上がり、家族でドライブして旅館に泊まるのが一般的になっている。それでも長期休暇を取って、国内を旅するのは難しい。旅に出たいサラリーマンの欲望に応えている。
参考エントリー

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 狙撃犯の自殺で幕を閉じたかにみえたが、十津川は納得いかない。すなわちこれだけの殺人(死者十数名)を犯すのに復讐と目された動機は弱いのではないか、犯人は狙撃時には極めて慎重なのに行動の足跡がはっきりするのはひとりの人間の行動にしてはつじつまがあわない。そこで最初のタンカー炎上事件から考え直すことにする。その結果、十津川はアパルトヘイト政策中の南アフリカに飛ぶことになる。いったいなぜかは本書で確認してくれ。
 作家は「名探偵」シリーズを書いているくらいに古今東西のミステリに詳しい。ここでも「ABC殺人事件」を「ジャッカルの日」に組み合わせるという技術を使っている。そのうえ、石油ショック、巨大船の自動運転化、沖縄返還ベトナム戦争終結などの世相を持ち込んで、小説のうそと読者のリアルをつなげる工夫をしている。それだけでなく、本書でもどんでん返しが複数回起こり、その都度坐りなおすことになる。最後の「犯人」が途中でさりげなく登場していることがあきらかになり、うまく隠しているものだと感服した。途中だるいと思っていたのだが、作者の掌で踊らされました。みごと。

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 十津川が南アフリカに到着したときの感想。

ヨハネスブルグの空港に降り立つと(略)いやでも人種差別を肌で感じないわけには行かなかったが(略)むしろ逆だった。日本人は白人並みに扱うという法律が出来ているせいか、オランダ系らしい赤毛の入国管理者は、十津川に人種差別を感じさせまいと一生懸命になっているのがわかった。それが、逆に、この国の取っている人種差別政策の強さを十津川に感じさせるのだ。日本人を準白人としているのも、日本人への尊敬というよりも、日本は重要な貿易国のひとつだからという政策的な理由からであろう。そこに、やはり無理があるのだ(P360)」

 オランダ系の入国管理者が「人種差別を感じさせまいと一生懸命になっている」のは法律に罰則規定があるからと思われる。差別意識を表現しないようにするには国家がヘイトスピーチにブレーキをかける意志と規則をもっているからだ。もちろん国内のアパルトヘイトは放置し、「日本人」へのヘイトは取り締まるのは貿易関係を維持するという「国益」のためであり、差別撤廃を意図したものではない。日本人が「世界に尊敬されている」「世界が羨む」といわれることがあるが、そんなことはない。十津川が見抜いたように貿易相手として配慮しているだけだ。ある民族や国民が特定の民族や国民に敬意を持っているというのは妄想にすぎない。
 読み捨てられるのが前提のエンターテインメントで、かつ1975年において、ここまでの記述をする作者の気概に拍手。

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