odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

結城英雄「ジョイスを読む」(集英社新書) ジョイスは他人の援助で作家であり続けられた最後の人。小説は読書の中級者以上か作家志望者向け。

 個人的なことから。ジョイスに関心はなかった。20代に「若い芸術家の肖像(講談社文庫)」丸谷才一の旧訳を読んで、ピンとこなかったのだ。ストーリー性がなくてテーマがはっきりしなかったのだ。若い時のつたない読みは反省するが、回復できないので自省はここまで。
 それを読む気になったのはある方のSNSの投稿。自身が厳しい状況にありながら、「ユリシーズ」を読み進めていく様子が不定期に投稿された。自分はその人に直接語りかける言葉も勇気ももたなかったので、代わりに自分も「ユリシーズ」を読むことでその人への敬意を示すことに決めた。そしてついでなので、「若い芸術家の肖像」から読むことにすると決めて購入した。「ユリシーズ」の第5挿話のあたりからはまった。その結果、半年の間に「ダブリナーズ」を3種の邦訳で、「若い芸術家の肖像」を2種の邦訳で、「ユリシーズ」は全巻を読むに至ったのである。ここまでのめり込むことになるとは思わなかった。

 文庫の解説は斜め読み程度にしているから、著者の基本情報や出版の経緯や反響などがわからない。訳注も一生懸命読むようなことはしないから、問題群の把握も不十分。なので、この一冊で補完することにした。2004年刊行。このあとの数年間で、ジョイスの邦訳が複数でたので、本書が読者を増やしたのだろう。

 ジョイスの生没年は1882-1941年。同じくらいの年に生まれた人たちをリストアップすると、コープランドストコフスキーウェーベルンクレンペラーなどの音楽関係者がいて、ピカソツヴァイクヤスパースケインズカフカなどの文化人がいる。ジョイスモダニストといわれているが、これらの同世代人たちを並べると、彼らが成人になってからモダニズムはヨーロッパの潮流だったのだとばくぜんと想像する。
 この人の生涯には大きなできごとはなく、ダブリンを出た後、トリエステ-チューリヒ-パリに滞在。その間に弟を除いては家族の関係は切れたよう。非常に寡作、難解な内容で読者は限定、語学教師を少し務めたくらい。なので自分で金を稼ぐのは苦手で、出版社の好意で生涯に約一億円の援助を受けたという。19世紀にはよくあったが(チャイコフスキードビュッシーなど)、20世紀にはめずらしい。芸術家のパトロンを個人が行えた最後の一人だろう。戦後はそんなことはできないので、少なくとも大学教授くらいを勤めないと生活は破綻するだろう(アメリカでは大学が奨学金のような支援をすることがある)。
 ひとつだけ気になるエピソードがあった。「フィネガンズ・ウェイク」を20年近くかけて完成した後、「もはやするべき仕事も発見できないまま、ジョイスは不機嫌であった」。ライフワークの大作を構想しその実現に向けて努力することはしばしばみられるが、もし完成した後どうするか。虚無に向かい合うのか。そんな大作をつくらずに、創作を継続するか。創作者は難しい選択を迫られそう。俺はライフワークという考えが嫌いなので、ちびちび何かやっていくけど。
 作品解説で著者が類型化した問題群には、宗教支配、植民地支配、アイルランド文芸復興運動(ジョイスは否定的)、神話との対応、性の解放、亡命、内的独白、パロディ・パスティーシュ、夢の世界、言葉遊び、言語革命、性と政治など。なので評価もアイルランドの国民文学から国際的文学者までさまざまな振れ幅がある。また国によって評価にも差がある。戦後は20世紀文学の代表者になったということで、国際学会が作られ、ジョイス産業と呼ばれる程にたくさんの論文や解説書がかかれ、アマチュアを交えたブルームズ・ディでダブリンの観光産業に寄与している。
 ジョイスの問題群は読み取れたものもあるし、見過ごしたものもあったようだ。今後の再読、再再読などで発見できるようにとくにメモは残さない。本書はそつなくまとまっているが、言葉遊び・言語革命の実例があがっていないのが残念。
 あまりたくさんの本を出した人ではないし、邦訳は出そろっているので、すべてを読むことは難しいことではない。でもジョイスは文学の初心者が挑める相手ではない。ストーリーが面白く、テーマがつかみやすいわけではないから。その点ではシェイクスピアエドガー・A・ポー、ドストエフスキーのような文学の初心者から上級者までが楽しめる作家ではない。せめて500冊くらいの小説を読み、アイルランドとイギリスの歴史、キリスト教、その他19世紀の西洋カルチャー全般などの知識を持っていたほうが楽しめるし、関心を継続できる。そういうところでジョイスは読書の中級者以上か作家志望者向け。

 

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