odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ウィリアム・シェイクスピア「リチャード三世」(新潮文庫) 他人を見下し屈服することが目的で、それだけが行動の原理の主人公は王位についたとたんに次にやることがなくなる。

 実在の暴君リチャード三世を主人公にした史劇。上演は1594年と推測されているようで(新潮文庫福田恒存の解説による)、この戯曲の背景にあたるのは薔薇戦争。その中の1484-85年にかけてのできごと。大まかな流れはwikiを参照。

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 シェイクスピアはおおよそ100年前のできごとを1594年にフィクションにした。2021年の日本で考えれば、日露戦争かシベリア出兵を背景にした政争劇とでも思えばよいか。とすると、主要な人物は言の葉に残り、残虐なできごとのかずかずは酒場など繰り返し語られるようなヴィヴィッドなものであったに違いない。しかし事件から500年後、戯曲から400年後の極東の読者が翻訳で読むには、時事の知識が足りない。多数の登場人物の入り組んだ関係を覚えるころには、戯曲の印象も薄れてしまおう。なので、他のシェイクスピア作品同様、手元にあるテキストだけで感想を書くことにする。
 とはいえその意欲が萎えてしまいそうになるのは、シェイクスピアの若書きのために(このまえには「ヘンリー六世」3部作があるばかり)、覚えきれない多数の登場人物、冗長すぎるセリフ量、単純素朴な人物像などいくつもの瑕疵が目に付いて、集中力を失うのである。それらの弱点は著者も気づいていたのか、死者がやたらとでるわ(10名:ただし舞台上で行われるのはクラレンスとリチャード三世のみ)、亡霊が入れ替わり立ち代わり登場するわと、観客の興味を引き付けるかのようなあざとい技法が使われる。


 エドワード四世の容態がうるわしくない。身体障碍をもち、兄弟姉妹に貴族や武官、女官などから馬鹿にされてきたグロスター公(のちのリチャード三世)は復讐の機会をうかがっていたが、時は今と王権奪取に決起するのである。金にものをいわせて、他の王位継承者を暗殺し(そのなかにはこどもの甥二人も含まれる)、敵対する忠臣を陰謀で死刑を命令するのである。暗殺の首謀者ではないかという噂は流れるも決定的な証拠はなく、法に則った処罰を断罪するものはいない。こうしてライバルを一掃し、恐怖で武官や貴族をだまらせ、そして四世の死のあと、イングランドの王につくのである。ここで劇の半ば。彼の栄光の絶頂は転落の開始である。暗殺を繰り返してきたリチャード三世は頂点にたつと自分以外誰も信用できなくなる。なので、彼を憎むがゆえに妻になった女を放置し、部下への報償をあとまわしにする。彼に提言する忠臣をなおざりにしたので、まともな判断もできない。決定的なのは最大のライバルを逃がしたことであり、彼はリチャード三世追討の旗をあげて、城を攻めてくるであろう。
 リチャードはシェイクスピアの戯曲では最大の悪党であるだろう。その陰湿な性格、繰り返す残虐行為、家族であっても冷淡な仕打ち、愛するものは誰もいない孤独。異様な風体をしている。それに基づく差別が彼を化け物にした(まあ中世のことなので、人権尊重の面から周囲の人々を批判したり、リチャード三世に同情を持つのはやめておくことにする)。彼に不足するのは自己愛や自尊心。「自分で自分を憎む」と本人が言うように、自分の評価が極端に低く、身体を嫌悪し、他人の命や存在を重要に思わない。自分が嫌いだから他人が嫌いなのだ。他人を見下し屈服することが目的で、それだけが行動の原理なのだ。それゆえ、王位についたとたんに彼は疲労する。目的を達成したので、その次にすることが何もないのだ。猜疑にとらわれた彼は人を殺すしかない。とすると、この孤独な残虐王を分析することは20世紀の独裁者を分析することになるだろう。俎上にのせられる候補者にはヒトラームッソリーニスターリンフランコ毛沢東、朴正煕、ポルポトピノチェトプーチンなど枚挙にいとまがない。南米、アフリカの独裁者をよく知らないのは関心の不足。(暴君と独裁者の違いも指摘しておかないと。独裁者には彼を支持する大衆運動があるが、封建制の暴君にはない)。
 考えることはいろいろあっても、リチャード三世は変容も改心もしないので舞台上では単調。彼は自分を破滅させる予言に怯えているが誰が言ったものかは舞台ではわからず、でてくる亡霊は恨みつらみのみで未来を予見しない。リチャード三世を憎みながらも妻になるアンだけが気にかかったが、夫婦の確執は描かれず、再登場の時には絶縁を宣言しているわけで深堀りすることもできない。こういう欠点はのちの「マクベス」で見事に克服されたなあ、と嘆息するしかない。

 

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 身体障碍を持つ残虐王リチャード三世のイメージはこの戯曲で決定つけられたという。しかし、実際のリチャード三世は愚昧な人物ではない。聡明であったが、はめられたという説が定期的にでてくる。我々に近しいのは、次の歴史ミステリーの古典。

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