odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ウィリアム・シェイクスピア「夏の夜の夢」(新潮文庫)-1 夏の夜は、普段目に見えない妖精が姿を現し、普段の人間界の秩序が壊されて、一時だけヒエラルキーが逆転する。

 舞台はアセンズ(アテネ)の町であるが、演出ではその通りにするのもありだし、シェイクスピアの時代のイングランドにしてもよいし、ケルト幻想のどこにもない場所にしてもよさそうだし、無機質・金属質のSF的にもできそう。そういう読み替えが可能なお話(1595 - 96年ころ初演)。

 midsummerを迎えるある夜(劇の設定は五月祭の前夜、すなわち4月末日の出来事)は、長老のもとに相談が来る。娘の結婚相手を決めなければならない。求婚する男は二人いる。父は家柄にこだわり、娘は感情に従いたい。まあ一夜考えよと、熱狂を覚ますつもりで諭したが、そこに現れたのは妖精の王様。妻がうるさいので、妖精パック(ロビン・グッドフェローとも)に惚れ薬を使わせて、別の男に気をそらせようとした。ついでに、上の三角・四角関係のけりもつけようとした。パックは命じられたとおりにしたが、宵闇のさなかではだれがだれともわからない(というのを日中の太陽光の下で演じるのがおかしい)ので、男は目もくれない女に惚れてしまった。なんで捨てるの、あたしを馬鹿にするだけでしょと女がなじる中、男は歯の浮くような愛の言葉を口にし、親友同士なのに剣を交えようとする。パックはにやにやとこの乱痴気を眺め、オベロンは眉を顰める。決闘まで炎上したところで、彼らを眠りにつかせ、もういちどパックに惚れ薬を使わせる。
 夏の夜は、普段目に見えない妖精が姿を現す。太陽光がないので、妖精たちも自然界で踊りと歌の宴を楽しみ、いたずら妖精は人間にちょっかいをだす。人間からすると、なんでそうなったのか訳は分からないから、お痛も失言もすれちがいのいさかいも免責される。そうすると、普段の人間界の秩序が壊されて、一時だけヒエラルキーが逆転する。この一夜のバカ騒ぎもそう。いたるところでひっくり返しが起きる。しとやかで口つつましい淑女が悪口雑言をいい、感情を解放して涙にくれる。礼儀正しい紳士は剣を抜き、そこらを駆け回る。妖精の女王はロバに恋をする、ロバは被り物をかぶった職人という下層階級なので、上流階級が下層階級に惚れるというのも社会的なひっくり返しになる。こういうのは年に一度の祭りなどで体験することができるが、演劇場という常設の場でならいつでも体験できるというのが受けたのだろうな。
 もう一つのひっくり返しは、主筋はアテネの上流階級で起きるのであって、長老もまた結婚式をあげるというので劇をプレゼントしようという職人たちはダレ場をつなぐ脇訳なのである。それが最後の最後に至って、かれらのヘボ芝居を上流階級の人たちが囲んで眺めるという仕儀にいたる。主と脇の役割も交換されて、どこに社会の中心があるのかわからないような状況が現出するのだね。これも演劇ならでは。

(『新訳 夏の夜の夢』(シェイクスピア著/河合祥一郎訳/角川文庫)の訳者あとがきによれば、ここでMidsummerが意味するのは、暑さではなく、狂気。夏至祭前夜から人々は焚火を囲んで踊り、酒を飲んで羽目を外したという。)

ontomo-mag.com


 このひっくり返しや逆転ができるのはトリックスターであるパックの存在ゆえ。妖精の名前を持ち、人間の名前も持つこの存在は人間界と妖精界を行き来でき、しかしどちらにも所属しているわけではなく、叱責されるけれども責任を持たない。こういうのがモラルにも倫理にも従うことなく、プランもヴィジョンも持たないで、出たとこ勝負でただ単に行動する。愛すべきやっかいもの。これを演じるのも、動かすのもむずかしそう。読者や演出家の想像力が試される。

 

ウィリアム・シェイクスピア「リチャード三世」→ https://amzn.to/4dnRAfC https://amzn.to/4deFaHb https://amzn.to/49YFlDC https://amzn.to/49XyMRz
ウィリアム・シェイクスピア「間違いの喜劇」→ https://amzn.to/3UkS0e3 https://amzn.to/4a2KSsP https://amzn.to/4aXaQPE
ウィリアム・シェイクスピアじゃじゃ馬ならし」→ https://amzn.to/4bj0n0Q https://amzn.to/44l8OWS https://amzn.to/3QpyWuf
ウィリアム・シェイクスピアロミオとジュリエット」→ https://amzn.to/3WnTOG2 https://amzn.to/4dmP9dc https://amzn.to/4di0mMn https://amzn.to/4aU4FvR https://amzn.to/4a2TFuJ
ウィリアム・シェイクスピア「夏の夜の夢」→ https://amzn.to/3WhbdA5 https://amzn.to/3QsxcQJ https://amzn.to/4b2yJFt
ウィリアム・シェイクスピアヴェニスの商人」→ https://amzn.to/3UEIO5B https://amzn.to/3wqUMGG https://amzn.to/3xRvh1F https://amzn.to/3y05STI https://amzn.to/4diindn
ウィリアム・シェイクスピア「ヘンリー四世 第二部」→ https://amzn.to/44n4cj4 https://amzn.to/3UDcOis https://amzn.to/4dj1XS6
ウィリアム・シェイクスピアジュリアス・シーザー」→ https://amzn.to/3Qr9ggu https://amzn.to/3xZZMTe https://amzn.to/44pxsWk https://amzn.to/3wcB2Xt https://amzn.to/4a1OgE4 https://amzn.to/4bj1bmo
ウィリアム・シェイクスピア「お気に召すまま」→ https://amzn.to/3JGw6Nv https://amzn.to/4dcZgBo https://amzn.to/3Qr3X0V https://amzn.to/4bAXwk3
ウィリアム・シェイクスピア「から騒ぎ」→ https://amzn.to/4bj0n0Q https://amzn.to/3Uus0gG https://amzn.to/3UGS3kT https://amzn.to/49V8rnn https://amzn.to/3xZTinl
ウィリアム・シェイクスピアハムレット」→ https://amzn.to/3Wqrd2H https://amzn.to/4bkXrAv https://amzn.to/4a68e0p https://amzn.to/3UmB7zJ https://amzn.to/3UESc9j https://amzn.to/4aXaxV0
ウィリアム・シェイクスピア「オセロー」→ https://amzn.to/3wh99xm https://amzn.to/4bmn58l https://amzn.to/4bh2mCO https://amzn.to/3QpIG7v https://amzn.to/4bh30jI
ウィリアム・シェイクスピア「尺には尺を」→ https://amzn.to/3y00iAE https://amzn.to/4bjrPeQ
ウィリアム・シェイクスピアリア王」→ https://amzn.to/3wcB0yP https://amzn.to/4agnFUd https://amzn.to/3y95xhl https://amzn.to/44l8OWS https://amzn.to/3wmPyf6 https://amzn.to/49ULBfy 
ウィリアム・シェイクスピアマクベス」→ https://amzn.to/4b947lo https://amzn.to/3wjvOsT https://amzn.to/3xW37mq https://amzn.to/3JNl2y1 https://amzn.to/3wgpNNw https://amzn.to/3y7nBbE https://amzn.to/3UlfH6a
ウィリアム・シェイクスピアアントニークレオパトラ」→ https://amzn.to/4aYKRqZ https://amzn.to/4dmPlJs
ウィリアム・シェイクスピア冬物語」→ https://amzn.to/3xXfFd8 https://amzn.to/3JEYmAj https://amzn.to/3JEaJMO https://amzn.to/4bfLlc4
ウィリアム・シェイクスピアテンペスト(あらし」)→ https://amzn.to/3wi5Jui https://amzn.to/3WhbdA5 https://amzn.to/49ZjYC2 https://amzn.to/3xXg3Z8

小田島雄志小田島雄志シェイクスピア遊学」→ https://amzn.to/4a1Lf71
大場建治「シェイクスピアを観る」(岩波新書)→ https://amzn.to/3UEpm97

 

2023/12/19 ウィリアム・シェイクスピア「夏の夜の夢」(新潮文庫)-2 妖精パックの塗った塗り薬(惚れ薬)で女性たちは感情を激しく表出する。貞節が求められた中世には珍しいキャラ。 1596年に続く