odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

ウィリアム・シェイクスピアを読む前に:エリザベス朝期の劇場について

 戯曲の解読に取り掛かる前にエリザベス朝期の劇場がどういうものかを調べてみよう。現代の舞台を想像すると、シェイクスピア時代の様子を誤ってしまう。「ロミオとジュリエット」訳者の中野好夫の解説を参照する。

1.小劇場で寄席程度の大きさ。当然肉声。
(文庫の解説からすると、妄想をたくましくすることになりそうだが、当時の劇場はどれも舞台の形式を同じにしていたのではないか。下図の二階舞台や外舞台の二本の柱などは共通していたのだろう。)

2.通常の舞台のほか、平土間に突き出た外舞台、二階舞台の三つがあり、それぞれに意味があった。なので俳優が舞台を移動することが場面転換を意味したりした。
(二階舞台をうまく使った例が「ロミオとジュリエット」のバルコニーの場面。役者が移動すると、ジュリエットの寝室に早変わり。)

3.外舞台は平土間に突き出ていたので、俳優は三方から見られる。
(というか最も安いチケットを購入した客は平土間で立ったまま見て、自由に移動できたのね。参考になるのはミロス・フォアマン監督「アマデウス」の「魔笛」初演シーン。)。



4.太陽光のみ。深夜の場面でも明るい。なので、場面の最初のほうで昼夜や時刻を示すセリフがある。舞台や桟敷に屋根があるが、平土間にはない。雨が降ると上演は中止される。町には街灯などないので、夜に上演することはない。
(これは江戸時代から明治の芝居も同じ。当時の小説で商家の奥さんや娘らが朝から芝居見物に出かけるシーンが書かれるのはそういう理由。夏のロンドンは日没が21時ころなので、日に二回上演することもできたとのこと。)

5.ほとんど無背景。わずかな道具があるくらいで、書割などない。場所の指示はセリフで。セリフから想像力を働かせる。
(自前の劇場だけで上演するわけではなく、出張して上演することが多々あったため。今日の劇団のようにトラックや鉄道などを使った運送ができるわけではないので、人が自分で持てるだけのものしか運べなかったのだ。)

6.舞台前面に幕はない。芝居の開始や場面転換で幕は下りない。舞台から俳優がいなくなると、場面転換の意味になった。

7.女の役は少年俳優(女優は法律で禁止されていた。許可されるのは1660年以後)。歌舞伎の女形のようなものはいない。少年俳優には技術・技能を期待できないので、女の登場人物は少なく、あっても消極的な役柄で、男装する作品が多い。
(なるほど、だから「ヴェニスの商人」でポーシャが男装し、老人を遣り込めるシーンが笑いにつながるわけね。)

 以下、「小田島雄志シェイクスピア遊学」(白水ブックス)で補完。
8.二階舞台の上(桟敷席三階と同じ高さ)に楽師席がある。伴奏音楽や効果音を出していた。
(ほぼ同時代のイタリアのオペラでは楽師席は舞台の手前。シェイクスピアは張り出し舞台で、オペラは額縁舞台。)

 17世紀前半に作られたイタリアオペラを復元した時の画像。観客席から舞台を眺めている。舞台の手前に楽師がいて、舞台の上のバルコニーに合唱隊(コロス)が配置。
モンテヴェルディ歌劇「オルフェオ」。アーノンクール指揮チューリヒ歌劇場。1978年。

9.舞台には上の滑車から天使が降リる装置が設けられていた。舞台には下から亡霊や魔女がでてくるセリが設けられていた。
(天使が下りる装置があるから、デウス・エクス・マキナ機械仕掛けの神)の言葉が生まれたとのこと。)

10.外舞台を覆う屋根には天球図がかかれ「ヘブン(天国)」と呼ばれた。舞台の下は「ヘル(地獄)」と呼ばれた。芝居は天国と地獄の間の人間世界を舞台にしていた。

11.芝居は聞くもの。当時は「芝居を聴く(ヒヤー・ザ・プレイ)」といった。内面は独白や傍白のセリフで語られる。他人の内面を示すためのセリフが語られることもある。(行間に込められた思いはない)。

12.台本にはト書きがほとんど記されていない。座付き作者がいて、座付き演出家がいるから、台本に記載する必要がない。台本が出版されることはまれ。公演ごとに改訂・修正・追加・カットが行われ、シェイクスピアの戯曲も後年になってから出版されたので、さまざまなバージョンがある。のちにバージョン違いを校訂して決定版の戯曲が作られた。19世紀後半から20世紀初頭にかけて決定版で上演する試みがあったが、それだと5時間越えの長い芝居になるので、1950年以降は適宜カットして上演するのが普通。

13.セリフ回しは今よりも早く、約2時間で上演したという(早口であるとか、セリフを食い合うとか。なるほどオーディオブックの朗読では3時間かかる作品が舞台上演では2時間ちょっとで終わる)。

 

 という具合に、シェイクスピアの作品を読むときに21世紀の劇場や設備などを思い浮かべると、間違いや勘違いが生まれそう。
 また当時の観客は文字を読めなかったかもしれないが、セリフに出てくる言葉への反応や喚起されるイメージは21世紀の我々のそれをはるかに凌駕していたのではないか。「ロミオ様、あなたはなぜロミオなの」というセリフで引き出される観客の感情は現代の我々よりもはるかに深いのではないか。空っぽな舞台であっても、俳優のセリフと簡単なしぐさから、とても鮮明なイメージを持つことができたのではないか。そこには舞台の約束があって、親や先輩などから教えられたりすることで、読み取りの能力を高めたのであろう。舞台を見る技巧はきわめてすぐれていたのではないか。
 「ロミオとジュリエット」にはゼッフィレッリの映画(1968年)があるが、中世イタリアの都市を再現した動画よりも多くの情報を当時の観客は得たのではないか。見て読み取る能力は19世紀以降衰えたような気がする(なので芸術作品は饒舌になり、細部の指示やト書きが増え、照明や効果音などを加えて、観客に与える情報を増やす)。
 加えると、シェイクスピアは初演から400年途切れることなく上演され、親や初等教育から教わり、長じては素人劇として上演するという伝統をイギリスは持っている。たった一度の読みで極東のアジア人がシェイクスピアの何ごとかを語ろうとすると、大いに気おくれがするのだ。

 

(といいながら、さっそく素人読みを披露してしまうと、「悲劇」「喜劇」も現代の意味でとらないほうがよい。四大悲劇と言いながら、「オセロー」の、「マクベス」の死に対して悲しみや同情の涙を流すことはない。「ハムレット」や「リア王」にでてくる道化役の言葉遊びに観客は哄笑することもある。「喜劇」だからといって人が傷つけられないわけではない。近代や現代の眼で見ると、カテゴリーと内容と一致しないのだ。主人公が最後に死ぬのが「悲劇」、主人公が最後に結婚するのが「喜劇」、苦難にあっている主人公が最後に救済されるのが「ロマンス劇」、くらいの感じでいいと思う。)

 

〈追記2024.1.4〉

放送大学舞台芸術の魅力」の「世界の古典演劇-シェイクスピアはなぜ「古典」なのか-」を視聴。いくつかメモ。
・1642年のピューリタン革命で、都市の演劇はすべて禁止されてしまった。そのため、シェイクスピアなどのイギリス演劇の伝統はいったん途絶える。
・革命終了後の1660年に演劇が再開される。そのときにはフランス古典演劇が流行していたので、シェイクスピアは古いものとされて顧みられなくなった。
シェイクスピア再評価が始まるのは、没後100年以上たってから。フランス古典演劇のルール(たとえば三一致の法則)から自由な演劇として見直された。