俺は高橋和巳の小説は日本の教養主義者を描いたものだと思う。日本の教養主義は以下のアイデアに基づく。なので、小説やエッセイの主題になっている社会主義と共産主義運動、組織論、政治と文学はかっこにいれたほうがよい。なにしろ21世紀にはそれらの運動はないし、当時のような党はないし、問題設定もないし。1950~60年代の問題設定に引きずられると、この人の小説は回顧趣味にしかならない。
そうすると高橋は戦争に「遅れてきた青年」であり、敗戦と焦土が深刻な開始地点である。たいていの主人公は戦時中の体験がトラウマになっていて、自分を焦土にするように行動する。もうひとつ、富裕層エリートで健康な石原慎太郎の対極にある作家であることも重要。実際に小説で、主人公たちは健康で裕福で葛藤のない知的機エリートは敵愾心があるかのように嫌っている。あとこの人はストーリーテリングが上手。細部に拘泥してどんどん物語を広げてしまうが、最後には平仄を(つじつまを)合わせて「完」「終」をつける。似たような細部拘泥と大風呂敷は武田泰淳もそうだが、この人は収拾つけられずに未完にしてしまうのと好対照。
でも、以下の論文やエッセイは、俺のようには読まない(1980年初出だが、個々の論文は1960年代に書かれた)。齟齬を感じながら読むことにしよう。高橋和巳は1971年に39歳で没したので、論文を書いているほうがたいてい彼よりも年上。
苦悩教の始祖/穴の開いた心臓(埴谷雄高) ・・・ 1952年の血のメーデー前後の運動家は「苦悩教」で「憂鬱なる世代」。埴谷の高橋評より、一目見た印象で人格や性格を妄想する埴谷の嗜好のほうが立っている。
高橋和巳論(秋山駿) ・・・ 同世代の評論家によるもの。高橋和巳の出発点は敗戦と廃墟。浮浪児の立場で生の意味を考える。人間の存在は孤独(他人に無関心)。高橋は社会や生活に無関心(親密な家族、共同生活は出てこない)。加えると、ほとんどの男はパターナリズムでミソジニーなので、女性蔑視を容易に行う。
九年ぶりの悲の器(寺田透) ・・・ 小説は「正木典膳著『わが解体』」の趣き。正木の行動は権威主義的でありえない(大学への警官導入手続き、名誉棄損裁判など)。悲劇志向で喜劇的でない。それをやったらぶち壊しになるので仕方ない。(生活嫌悪、女性嫌悪も指摘すればよかった。)
憂鬱な作家の憂鬱(本多秋五) ・・・ 「憂鬱なる党派」のキャラたちの行動や破滅志向は「わからない」「ありえない」。最後の三章もつじつまあわせで駆け足。でも読みだすとけっこうおもしろいとのこと。
新しい二つの破滅物語(野間宏) ・・・ 「わが心は石にあらず」は愛の物語。「堕落」は国家論の胚胎。(いやいや、作家とキャラのミソジニーを指摘しないでどうすんの?)
エッセイ(武田泰淳/椎名鱗三/駒田信二/木下順二/江川卓/五木寛之) ・・・ たぶん河出書房の「高橋和巳作品集」の月報に収録されたエッセイ。江川卓:「悲の器」の女性たちはドストエフスキー「罪と罰」の女性キャラをモデルにしていて、それゆえに強い実在感がある。五木寛之:作家にはユーモア感はなかったが、屈折し交錯した荘重で悲痛な文体の中に結果的なおかしさ、滑稽感が現れる。
述志(桶谷秀昭) ・・・ 「捨子物語」「悲の器」評。特に面白い指摘はない。
「かつて三島由紀夫と対談の際、東大安田講堂の攻防戦で、学生たちが一人の死者も出さず、投降したのを、あれは西洋の精神であって日本人の魂ではないと三島由紀夫がいったのにたいし、しかしそこに戦後の価値がよかれあしかれ日本人の精神に定着したのだといったのは高橋和巳であった。」(P82)
藤木久志「刀狩り」(岩波新書)で、日本人は占領軍による武装解除に応じることで、日本人は武器を所有しようとはしない、問題解決に武器をしようしないことをコンセンサスにしたと指摘している。高橋和巳の評価はこの指摘に一致する。
ユートピアの眺望(遠丸立) ・・・ 「邪宗門」は宗教ユートピア小説。性の自由、自殺の自由、情念の浄化をめざす。男性的原理を否定し、女性的原理の優位で成り立つ。ただこれらのユートピア構想は弱い。なお作家の情念や観念と文章表現が一致する天啓が訪れたのは日本文学では夏目漱石「明暗」、埴谷雄高「死霊」、高橋和巳「邪宗門」だけという。
(教義を語り信者を獲得する教主がそうそうに逮捕されて宗教運動はほとんど記述されないので、ユートピア性はあまり感じなかったな。後者はたとえば小栗虫太郎「黒死館殺人事件」、大江健三郎「同時代ゲーム」、井上ひさし「吉里吉里人」、筒井康隆「夢の木坂分岐点」も入りそう。「純文学」くくりだとそういうのはほとんどないねえ。)
昭和時代の文学評論は低調なものばかり。自意識や自我を問題にする批評は21世紀の読み方には合わない。
河出文芸読本「高橋和巳」(河出書房)
2024/02/19 河出文芸読本「高橋和巳」(河出書房)-2 「議論はブッキッシュで空疎な一般論におちてい」った。 1980年に続く