odd_hatchの読書ノート

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井上清「日本の歴史20 明治維新」(中公文庫)-2

2021/04/05 井上清「日本の歴史20 明治維新」(中公文庫)-1 の続き

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 明治のゼロ年代で注目しなけらばならないのは、征韓論。明治政府は開国を実行したが、それは幕府時代からの諸外国の圧力、影響にあったため。英仏は日本を領土化しようとはしなかったが(俺の偏見では、国内に殺傷道具を持ち歩く潜在的なテロリストが横行していて、特産品もない生産性のない土地であったのが理由)、ロシアは樺太や千島列島の領有を主張していて、明治政府は国領であるとしたが交渉ははかばかしくいかない。そこで、対ロ交渉を一時棚上げにすると、対韓交渉に変えようという意見が出て、そこで征韓論がでてくる。征韓論の出所はよくわからないが、大政奉還前から国学者に唱える者がいたらしい。尊王攘夷の思想は排外主義になり、軍事・技術・生産力などにおいてかなわない西洋には卑屈・従順でありながら。そうでない非西洋に居丈高になり暴力的になる。今でもネトウヨ尊王攘夷であるのだが、もとをたどると志士の時代にまでさかのぼるのであろう。そして「朝鮮の排日侮日行為」が頻発しているというデマが流され、英米が征韓を扇動するなどして、気運が高まる。これが政策論争になったのは、欧米使節団が渡欧中のころ。留守政府の主となった西郷・板垣・副島・江藤・後藤などが主導。陸海軍の相談なしに準備を進め、西郷が渡韓するところまで進んだ。渡欧から帰国した岩倉・大久保・木戸らが反対(木戸はもともとは征韓論者。西郷が進める士族独裁に反対なので、ここでは反征韓論になった)。そして政治的寝技の駆け引きがあり、征韓論者は敗北し、全員が辞表をだして野に下った。重要なのは、西郷の征韓論に反対した政治家は侵略や植民地化を放棄したわけではなく、官僚独裁が成立したあとは、琉球・台湾・朝鮮を植民地化していったのだった。台湾の侵略は大久保が進めたのだし、大久保の子分筋だった伊藤博文がのちの初代朝鮮総督になったのがその証左。以下に詳述される朝鮮施策は、この時期の征韓論を踏襲していったと思う。
海野福寿「韓国併合」(岩波新書)
高崎宗司「植民地朝鮮の日本」(岩波新書)
 日本の排外主義と民族差別は根深く克服できていないのだが、その根っこを探るとここまでさかのぼるのかと驚き、あきれる。といって嘆いていても仕方がないので、できることをやっていく。
 さて、野に下った西郷らは薩摩にこもって、徴収した税金を中央に収めず、独立したかのような動きをする。藩が独自に政治と経済をつかさどった最後の体験。九州の士族反乱を制圧することによって、中央の独裁政権は地方の自治を認めない政策をしていったが、その遠因はここにある。もともと中央の独裁政権は少数によるものだったので、地方叛乱は恐怖であり、その裏返しで制圧は過酷であり、以後一貫して地方を敵視し、自治や独自財源を認めない。民衆、大衆に基盤を置かない独裁政権の表れといえる。
 明治のゼロ年代は、明治政府の財源難と大衆の不支持(と蔑視・嫌悪)があり、貧乏人への施策は厳しかった。そのために、大政奉還以前よりも一揆・打ちこわしなどが多く起きた。それは個別に弾圧された(おそらく大名・上級士族への厚遇から治安担当や軍が出動したのだ)。多くは生活不安によるものだった。これが共和主義や議会制の要求になって、没落士族・上層農民・都市民などの運動になるのが、自由民権運動
 具体的な事件や年号を書かずに抽象的・図式的な明治ゼロ年代のまとめになってしまった。欧米使節団や西南の役がだれがどこで何をしたというのはあまり興味がない。
(クーデターを遂行した後、実行者が永久革命派と権力強化派に分かれ、後者が前者を駆逐する。イギリスやフランスの革命であったことだし、ロシア革命ナチスでもあった。それが「明治維新」でもみられた。革命に限らず他の集団でも見られることかしら。)