odd_hatchの読書ノート

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森島恒雄「魔女狩り」(岩波新書) マイノリティと女性を嫌悪するプロパガンダが起こした大殺戮

 魔女という概念は古代からあったが、中世のキリスト教社会では寛容だった。懺悔を白という命令だけでおしまいになることが多かったという。それが転換するのは、13世紀の南フランスやカタルーニアなどで異端(アルビ派、ヴィルドー派、カタリ派など)が活動したこと。彼らは教義だけでなく運営方法でもローマ教会に反抗した。そこで教会は各地の領主などに命じて徹底的に弾圧し、殲滅させた。このとき、異端とされた人たちの財産は軍事行動に参加した領主たちが分捕ることができた。大財産を持つ者がいたので、私服を肥やす機会になった。一方、異端とされたのが知り合いや下民だったので作戦に参加することを躊躇する領主がいた。そこで教会は異端審問会を作り、こと異端審問に関しては領主の権力よりも強い権力を持たせた。


 異端運動はなくなったが、異端審問というシステムは残り、異端をみつけては自白を強要し、拷問にかけ、火刑に処す運動がヨーロッパ全土に広がった(ここではフランス、ドイツ、スペイン、ローマ、イギリスが主で、東欧北欧は対象外)。13世紀の半ばから、異端とされた人の中に魔女が入るようになり、14世紀魔女裁判の解放令が出て、異端審問の対象が魔女に移る。たとえば、ジャンヌ・ダルクが魔女とされて火刑になった(1431年)。魔女裁判の仕組みはフォーマット化され、とても合理的に運営された。
(本書には書いていないが、魔女への忌避感と排斥の感情が強くなった背景には、14世紀初頭のペスト大流行があるかも。ヨーロッパで人口の4分の1が減少したと推測され、社会がとても不安定な時期だった。)
村上陽一郎「ペスト大流行」(岩波新書)

 最盛期は1600年を境に前後200年の間。その間に処刑された魔女の総数は数十万から数百万人と曖昧にしか推計されない。なかには人がいなくなった村もあるほどだった。魔女であるかどうかの判断は、告発・密告・うわさでだった。当然、自分の身が危なくなれば、拷問を受ければ、他人を売る人間はでてくるものであり、異端審問者は利用した。それよりも、人体や人格を尊重したり人権を重視することはなかった。拷問は必ず行われるものであり、死刑もできるだけ苦痛を長引かせるように行われた。このような拷問と虐殺は時を越えて20世紀の絶滅収容所で再現された。誰を収容するかの手続きや判断も魔女裁判や異端審問の時と同じだった。さらに21世紀のウクライナ侵攻でも、ロシア軍が繰り返している。まことに人間は度し難い。
 この魔女裁判がもっとも隆盛に行われたのは、ルネサンス期であり、宗教改革期であった。人間尊重や文化の復活が進めらた時代に、法皇・国王・貴族および大学人・文化人は魔女裁判を止めるようには動かず、煽り立てたのだった。カソリックの側が仕掛けた魔女裁判プロテスタントの指導者は賛成した。それにカソリックプロテスタントの間でも拷問・殺戮・虐殺が行われた。この過誤から抜け出すには100年以上の時間を要し、宗教的寛容(ただしキリスト教の分派に限る)が絶対王政や近代国家の基本になった(でも政治的不寛容が始まり、『革命』に反対する者が同様の手続きで大量虐殺される時代が来る)。またこの時代は大航海時代に重なる。宗教的不寛容は非ヨーロッパの人たちに対して発動され、キリスト教を受け入れない人たちを虐殺したり、奴隷にすることを躊躇しなかった。
 なので、魔女裁判は、人びとが一時的な狂信に取り憑かれたという説明もされるが、拷問と虐殺はとても合理的にシステマティックに行われ、理性ある頭のよい人たちが進んで参加した(ガリレイ、ブルーノ、エラスムスなど異端審問の被害者は知られているが、ルターなどの知識人に扇動者がいたことはあまり知られていない)。魔女とされる人は恣意的に選ばれた少数者だった(魔女の行為として大きな壺で何かを煮るというのがあるが、堀田善衛によるとハーブ療法による薬の製造だったとのこと。悪臭がでるので村はずれの一軒小屋で一人で作業していたのが誤解された)。魔女狩りは、このような体制や権力による扇動やプロパンガンダがあり、それによって起きた大衆運動が支持するのだ。このようなプロパガンダと大衆運動による少数集団への迫害、拷問、虐殺は魔女概念がなくなってからも、次々と起きた。18世紀以降アメリカやロシアなどで奴隷売買が起こり、19世紀以降のヨーロッパが反ユダヤ主義ユダヤ人迫害がおこり、20世紀には全体主義国家が民族浄化を各所で行った。社会の構成員がリテラシーをあげても、知性ある人が警告しても、容易におきてしまう。魔女狩りは歴史的出来事ではあるが、底流にある民族や宗教差別は今でもある。むしろ現代の重要な未解決問題だ。
(1970年にでた本書はこのような社会的・政治的・経済的説明がないのが不満。新しい啓蒙書が欲しい。)
ヘイトスピーチや排外扇動をして批判される保守や右翼が、「魔女狩りだ」と反論するが、これは自己弁護のための詭弁。「魔女狩り」は、特定の小グループに危害を加えてもいいとする大衆扇動があってから、不特定多数が差別と暴力を働いて起こるものだ。ヘイトスピーチや排外扇動に対する批判には扇動の要素はない。)

 

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