odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

秦郁彦「南京事件」(中公新書) 東京裁判では1937年南京アトローシティの膨大な証言が採用され朗読されている。

 自分が読んだのは1986年初版のもの。2007年に増補版がでて、「南京事件論争史」の章が追加された。
 「南京事件」は史上三度あるが、ここでは1937年末から翌年初めにかけてのものを扱う。「南京大虐殺」「南京アトローシティ」などの呼称もあるが、ここでは「南京事件」、場合によって「アトローシティ」を使う。「アトローシティ」は残虐行為を意味し、マサカー(虐殺)より範囲が広く、強姦・略奪・放火なども含み、組織性や計画性のニュアンスに乏しい。

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ジャーナリストの見聞 ・・・ 1937年12月の南京事件。日本の記者は記事を自粛し、本土のメディアは祝賀のみであり、欧米のメディアは別の事件に熱中した。わずかな記事や本がでていた。

東京裁判 ・・・ 敗戦後の東京裁判では主訴因のひとつが南京アトローシティだった。主責任は松井石根とされ、死刑。中国のB級、C級裁判では数名が死刑になった。事件から約10年が経過していて、被告を探すことや証人になる人を特定するのが困難だった(そのうえ当時は共産党軍と国民党軍の内戦中)。
(「東京裁判史観」という新語が裁判当時に作られたとのこと。軍閥、財閥、官僚、言論人、右翼などの共同謀議による侵略戦争が遂行されたという見方。なお、東京裁判では南京アトローシティの膨大な証言が採用され朗読されている。)

盧溝橋から南京まで ・・・ 1936年の日中戦争勃発から1937年11月までの素描。日本軍のダメなところばかりが目に付く。士官・下士官の資質低下、軍ごとの勝手な専行と独断、激しい戦闘による兵士の意識変化、装備・物資不足。すでにこのころには「略奪強姦勝手放題」の状態になっていた。南京戦前月の上海戦で多数の被害を受けていた。

南京陥落/検証―南京で何が起きたのか ・・・ 12月1日から翌年1月末までにかけてのできごと。胸糞の悪い行為が書かれるのでサマリーは作らない。

三十万か四万か―数字的検討 ・・・ 南京は国民党政府の首都であったが(なので外国公使館があり、事件も目撃者がいた)、蒋介石他が移動した後であり、陥落時には軍の司令官もいなかった。難民の流入と兵士の派遣があって、統計はほとんど残っていない。それでも兵士と市民合わせて数万人の死者がでたと推測される。負傷者や家屋をなくした被害者がどのくらいになるのか見当もつかない。

蛮行の構造 ・・・ 日本軍の構造的な問題。以下の感想で触れる。

 

 宣戦布告なく日本は中国と戦争状態にはいり、一時停滞していたが、1937年7月の盧溝橋事件を発端(ネタ)にして国民党軍との全面戦争にはいる(ちなみに国共合作が破れて、共産党軍は長征で廷安に移動完了)。首都陥落という成果を上げたいために、急速な移動を陸軍は行う。その速度に補給が追い付かず、また現地調達が命令されていたので、徴発を名目に略奪が繰り返された。上海陥落で戦闘は終了すると期待していた軍隊は裏切られたために、規律が急速に悪化。物資・食料の不足で気が荒くなり、徴発→強姦→殺害→放火が常習になり繰り返される。南京城は国民党軍の抵抗のために、被害が拡大し、なかなか陥落しない。国民党軍が抵抗をあきらめ、日本軍が無規律に入場したとき、大虐殺が数か月にわたって行われる。
 なぜこのようなアトローシティが起きたのかを著者は考察する。
 まず兵士について。凱旋や帰還への期待が裏切られて犯罪が頻発する。徴発から始まる蛮行、虐殺を繰り返すことで慣れて不感症になり、行動がエスカレートする。それを扇動する上官の存在もある(新兵に捕虜を殺させるという「訓練」は下士官からの進言で実行され部隊に広まったという。平岡正明「日本人は中国でなにをしたか」潮文庫)。補給が追い付かず、徴発もうまくいかない軍隊は入場時に水や食料の不足があり、イライラして攻撃的になっていた。軍の司令部からは軍政や占領の計画がなく、師団長や部隊長などからアトローシティの命令が下ることもあった。本土の司令部からは国際的な非難(南京に外国公館があり、現地の外交官から報告されていた)に対処する善処指示があったが、現場で無視された。
 中国に駐屯する日本軍は満州事変以来、本土の司令部の命令を無視する風潮があり(無謀なことをしても追認されるという認識が蔓延)、戦功を得るための「下剋上」の現象が起きていた。軍隊の問題を解決する自律能力が不足していた。日清、日露戦争のころにあった国際感覚が欠如し、他者に配慮する行動をしなくなった。「南京事件」、アトローシティは数か月で自然鎮静したが、なくなったわけではない。あまりの強姦の多さに慰安所を作らなければならなくなったのであり、それでも戦地の強姦は減らない。強奪、放火、強姦はその後も行われ、「三光作戦」として日本軍の非道を示す言葉として定着する。
 戦地の異常事態における一時的な行動とみなしもしたいが、関東大震災朝鮮人虐殺が行われたのと照合すれば、近代日本人の精神や社会制度にある人種や民族差別が根にあるのは間違いない。戦地でないところで、かつ補給が十分あるところでも、新兵や植民地兵士などへの差別や暴力は日常的に行われていたのだ。
 21世紀になって、日本国内でヘイトスピーチヘイトクライムが多発する事態を見ていると、南京事件(アトローシティ)を起こさないと自信を持って言える状態ではない。過激なレイシストが虐殺を実行する旨の発言は各所で起きている。となると、組織的・計画的に虐殺を起こすことは難しいといえど(派閥抗争があって組織化されないだろう)、衝動的・突発的に実行する可能性はあり、極めて高い蓋然性にあると思う。となると、その再現を止めることは日本が軍隊を持たないということでのみ実現するだろう。
 衝撃的な内容であるが、読まねばならない本。
(この感想では事件が「まぼろし」であるとか「なかった」とかいう議論はしなかった。すでに「あった」で結論がついているから。「あった」以外の議論は歴史捏造なので、検討の対象外。)