odd_hatchの読書ノート

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フョードル・ドストエフスキー「悪霊 下」(新潮文庫)感想-2 雑感:神懸かり、好色な男の地獄行き、分身

2024/10/22 フョードル・ドストエフスキー「悪霊 下」(新潮文庫)感想-1 「悪霊」のひとたちは、ラスコーリニコフの後継者か彼に使嗾された人たち 1871年の続き

 

 補足。ドスト氏の小説に共通するテーマとのかかわりについて。


 神とのかかわりについて。キリスト教をしっかり考えたわけではないので、メモ程度に。
 「罪と罰」のラスコーリニコフは人間と神の掟を踏み越えて、新しい人間になろうとした。その際に神をなくしてしまったのだが、ソーニャやポルフィーリィらがあなたには神が生を用意してくださったというのを聞いて、神に帰依にできたかは不明だが聖書を再び読むことができるようになった。神とのかかわりには紆余曲折があった。この道をたどるのが「罪と罰」の物語ともいえる。
 さて、「悪霊」のひとたち。キリーロフは自分が神になれるという信念があった。シャートフは民族が神になるという信念があった。マトリョーシャはスタヴローギンに凌辱されて、神を殺してしまったと嘆く。そのスタヴローギンはチホン僧正に神をなくしてしまったと告白する。それぞれが神との関わることにつまづき、小説が始まってからおしまいまで変わることがなかった。というか自殺するか(三人)、暗殺するか(一人)になり、呪われた人、最後の審判神の国に入れない人になってしまった。
(そうすると、「悪霊」の人たちはラスコーリニコフの構想を発展させるべく現れたのだが、ことどとく失敗してしまった。神を踏み越えて新しい人間になることはできないことであるのかもしれない。とすると、次の道は神を踏み越えることを試すことはせず神を愛することで新しい人間になることなのだろう。その道は次作「カラマーゾフの兄弟」で検討される、とみていいかしら。)

 

 スタヴローギンは淫蕩で好色なのだが、ドスト氏の小説にでてくる好色な男とは趣きが異なる。典型的な好色はフェードル・カラマーゾフやスヴィドリガイロフだが、かれらは目に付く女に手当たり次第だった(少女趣味や障害者をもとめるなど多少好みはあったとしても)。でもスタヴローギンの場合は、他人の愛人や妻、婚約者などを狙って奪い取る。下宿先で父が折檻する娘、シャートフの妻、ステパン氏の婚約者、マヴリーキーの婚約者など。ペテルブルク時代には「秘密好色クラブ」の会員であったらしく、そこでの交情はよくわからない。でも彼の遍歴をリスト化すると、寝取りという傾向があるとみた。ドスト氏には自分の恋人や妻を他人に奪い取られるというキャラがたくさんいて、彼の失意を丹念に描いたり、平静を装う様を滑稽に仕立てたりしたのだが。他人の物を奪う、他人が大事にしていることを損壊することに快楽を感じるのはとても奇妙な行動性向。
(好みをつけないドン・ファンや理想の女性を探し続けるカサノヴァとは違った欲望の持ち主。カミュの「シーシュポスの神話」を参照すると、ドン・ファンは好色と背教の罰で地獄行きになったという。スタヴローギンはドン・ファンと同じ好色と背教の持ち主なので、ラストシーンは地獄行きを示しているのだろう。)

 

 ドスト氏の小説ではしばしば主人公の分身が現れて、とても似ていながら異なる行動をとって、主人公を苛出せたり、思想の不備をついてきたりしたものだ。それこそ「分身(二重人格)」の「新旧」の主人公から、「罪と罰」のラスコーリニコフとスヴィドリガイロフ、「カラマーゾフの兄弟」のイワンとスメルジャコフまで。本書ではどうか。上にあげた例では、主人公と分身は陽と陰に分けられる明確な差異があったものだが、「悪霊」ではそれにあたりそうな陰陽のキャラはいないようだ。でも、スタヴローギンをみると、彼の雄弁と他人支配はピョートルに、自殺嗜好はキリーロフに、暴力性向はフュージカに別れて現れている。
 この分身たちは、スタヴローギンの一部だけをコピーしているうえ、スタヴローギンの人格に圧倒されている。彼と対峙するには力不足で、批判も突き刺さらない。小説の現在の時間のなかでは、スタヴローギンはそれぞれと数回会っただけで(キリーロフとは一回だけ)、深い議論にならない。分身者が一方的にまくしたてるだけで、スタヴローギンは取り合わない(そりゃ以前に自分で考えていたことをそのまま繰り返してくるだけなのだし)。なので、スタヴローギンの全体主義は掘り下げられない。ラスコーリニコフよりも踏み込んで思考したのに、それを越える議論や対立する論点を提示するものがいなかった。
(上のテーマとからめると、スタヴローギンの淫蕩と好色に対応する分身はいないようだ。スタヴローギンに妻を寝とられたシャートフがそうなのかもしれないが、小説では久しぶりの再会でいきなりぶん殴り、そのあとは一回あっただけ。シャートフは妻を寝とられたことを知らないまま死亡した。淫蕩と好色のテーマも深められないままだったなあ。)

 

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2024/10/17 フョードル・ドストエフスキー「悪霊 下」(新潮文庫)感想-3 ツルゲーネフのニヒリストと「悪霊」のニヒリスト 1871年に続く