odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

エルンスト・F・シューマッハー「スモール イズ  ビューティフル」(講談社学術文庫) 経済学にしては内容が薄く、哲学にしては粗雑だが、不安を持っている人々の気分と行くべき方向を示してベストセラーになった警世の署。

 10年前の初読では経済学にしては分析が甘いし、哲学にしては考えが粗雑で保守的だし、どこがベストセラーになったのか不思議に思ったものだ。今回の再読では、ある程度理由が分かった。
 シューマッハは1911年ドイツのボン生まれ。経済学を学び、のちにケインズの薫陶を受ける。おりからのナチス台頭でイギリスやアメリカに亡命することになり、戦後の経済復興計画に参画する。さまざまなプロジェクトに参加して、講演活動を行う。本書は1973年に出た。

f:id:odd_hatch:20201119090547p:plain

 なるほどテーマは開発経済学と国家による経済統制の批判。そこに資本主義と唯物主義の批判が加わる。
 シューマッハの言い分はこうだ。20世紀の工業化、都市化、科学技術の発展は唯物主義を蔓延させ、貪欲と嫉妬心を持たせることで労働の価値をなくし、人間の生活や人生を空虚、虚無、絶望、孤独に落とし込んだ。信仰や良心を失ったので、道徳的倫理的でなくなり、そこに現代の危機がある(シューマッハのあげる人間を堕落させた思想は、唯物論、進化論、社会進化論マルクス主義フロイト相対主義実証主義である。経歴からは想像つかないほどに保守的な考え)。
 ここの議論はいかにもドイツ観念論の系譜にあるもので、ハイデガーの影響をみてしまいたくなる。ことに技術に対する否定的な見方において。人間の在り方において重要なのは、観念、精神、価値、形而上学などであり、全人的な人格を獲得することが人生の豊かさになるのだという考え。ドイツの教養主義の系譜にあって、ほとんどその最後に位置づけられる本なのではないかしら。
 資本主義や唯物主義のよくないのは、自然と人間を断絶したことで、土地との関係がきれたために人間性を喪失し自然から疎外されているという。さらに、エネルギーの浪費と資源の枯渇が明らかになり、豊かな国と同じ消費活動をすると地球環境は破壊される。そのうえ国有企業の巨大化は非効率であり、生産性を停滞させている。その説明の途中で「スモール・イズ・ビューティフル」の言葉が出てくるが、多少はロハスやエコ生活、少ない消費、清貧の思想も出てくるが、主題ではない。タイトルが独り歩きしたので、本書の内容を正しく示したものではなくなった。
 なので、社会と経済の仕組みを変えなければならない。とりわけ、巨大科学や巨大プラントに代表されるようなスケールメリットを出す消費型経済を止めなければならない。あわせて組織は小型化・分散化・分権化して素人にも管理できるものにするべき。同時に第三世界の貧困と停滞を止めるために、彼らの水準にあわせた中間技術や適正技術に基づいた地元の人々の主導による開発を行わなければならない。
 以上の国家の経済介入と開発経済学に対する批判はたぶん最初期のもの。ここでは整理されていないし、実際の第三世界への開発や援助がどうなっているかの検証はないので、もう少し時間がたってからの批判書で補完しよう。
ヤーギン/スタニスロー「市場対国家 上」(日経ビジネス文庫)-1 
ヤーギン/スタニスロー「市場対国家 上」(日経ビジネス文庫)-2
ヤーギン/スタニスロー「市場対国家 下」(日経ビジネス文庫)-1
ヤーギン/スタニスロー「市場対国家 下」(日経ビジネス文庫)-2
ティム・ハーフォード「まっとうな経済学」(ランダムハウス講談社)-2
(中間技術にしろ小規模な経営形態にしろアイデアレベル。21世紀になっても貧しい国の貧しい人に届くのは、地元や土着から生まれた技術や製品でなく、豊かな国で作ったのものだ。資本と商品と金が国境を越えて自由に行き来するグローバル化において、中間技術の製品や土着の小規模資本が持続可能かというと心もとない。)

 という具合に、経済学にしては内容が薄く、哲学にしては粗雑なのであった。ただ、豊かな国の資源枯渇の恐怖と公害、貧しい国の貧困と格差(とでたらめな政治)を知って、不安を持っている人々の気分と行くべき方向を示したということで時代の書になった(1973年初出)。バックミンスト・フラー「「宇宙船「地球」号」1969年と同じような警世の書。でも、50年たつと、史的価値しか見いだせないなあ。

  

 章立て。
1 現代世界(生産の問題/平和と永続性/経済学の役割/仏教経済学/規模の問題)
2 資源(教育――最大の資源/正しい土地利用/工業資源/原子力――救いか呪いか/人間の顔をもった技術)
3 第三世界(開発/中間技術の開発を必要とする社会・経済問題/200万の農村/インドの失業問題) 
4 組織と所有権(未来予言の機械?/大規模組織の理論/社会主義/所有権/新しい所有の形態)

 

<参考エントリー>
2011/12/16 バックミンスト・フラー「宇宙船「地球」号」(ダイヤモンド社)
2019/2/4 バックミンスト・フラー「宇宙船「地球」号」(ダイヤモンド社)-2 1969年

 

<追記> 著者の主張をまとめたメモがあった(2008/04/02記)

 著者の主張をあげると、
・貧困にある人には、キャッシュや物資の援助をするのではなく、労働や雇用を増やすようにするべき。キャッシュや物資を施すのでは、貧困者が自立する可能性を奪い、彼らはいつまでも支援に頼るようになる。
・だから発展途上国には、先進国のモデル(生産や流通、金融、政治体制など)を持ち込んでも成功することはない。
・まずは教育。
・小中資本による起業を推進。現地の人たちが使用できる中間技術を使用すべき。
・再生産不可能な自然財(とくにエネルギー源)の使用を適正に。この種の化石エネルギー源にかわる再生産可能なエネルギー源の開発を推進するべき。
・極端な金持ちになるな。
・資本はこれまでは「私人」か「国家」が所有するものだといわれてきたが、こういう極端な二分法以外の所有の形式があるのではないか。例としては、労働者=株主の組合形式。地方自治体が半分の株を持つことにする公私共有(このとき法人税はなくなる。株式保有割合に応じて利益を配分し、半分持っている地方自治体に法人税の代わりの配当ないし利益処分がはいることになる)など。
【「市場対国家」を読むと、イギリスにはそういう形態の株式会社があったという。1929年の世界恐慌のあと、いろいろな国でいろいろな形態の実験が行われた。しかしほとんどが挫折している。】
・国家、資本、経済のありかたについて、これまでは「自由」と「統制」の二分法で考えてきた。たとえば、ソ連共産主義はすべて「統制」、ナチスは資本は自由でその他は「統制」。対抗する民主国家はすべて「自由」。このような二項対立は正しい問題の立て方ではない。その中間のあり方を検討していくべき。たとえば上の項目の資本の所有のやり方など。

ヤーギン/スタニスロー「市場対国家 上」(日経ビジネス文庫)-1 20世紀初めの市場の失敗、後半の政府の失敗の経験を通じて、市場と国家の線引きや関係を考え直す。

  スミスやマルクスの経済学には国家が(ほとんど)登場しないが、20世紀以降、国家は市場に介入するようになる。1930年代の世界不況で市場が失敗してから。市場では利益のでない事業を国家が行うようになり、国家は福祉サービスを提供した。これは自由主義経済国でも社会主義経済国でも同じ。しかし、1970年代から国家のサービスが破綻するようになる。非効率で高コスト、変化に対応できないなど。そこで政府の機能を縮小する政治が1980年代から始まり、国家の資産を市場に切り売りするようになった。そして21世紀になってグローバル化(著者らはグローバル性という)が進み、国家と市場の関係はさらに複雑になった。20世紀初めの市場の失敗、後半の政府の失敗の経験を通じて、市場と国家の線引きや関係を考え直す。1998年刊。
f:id:odd_hatch:20201112090031p:plain  f:id:odd_hatch:20201112090020p:plain

はじめに――フロンティアにて ・・・ 1990年代のトピックは、ソ連東欧諸国の市場経済移行の混乱、東アジアの通貨危機、中国の世界市場参入、日本のバブル経済崩壊。グローバル性の特徴は、境界の喪失。国家の資産切り売りは管理能力がなくなったからだが、今度は企業の管理能力が国家を越えている。あと、リベラルはアメリカでは政府機能の拡大を主張、それ以外では政府機能の縮小を主張(ただし日本のリベラルはアメリカと同じく政府機能の拡大を主張している)。

第1章 栄光の30年間――ヨーロッパの混合経済 ・・・ 1945年WW2終戦。ヨーロッパの資本主義は失敗したというのが大方の認識。すなわち世界不況を克服できず、小資本はイノベーションを起こせず、大資本はファシズムと組んだ。なので、国家が市場に代わって計画経済を行うことが必要と思われた。そこから、イギリス、フランス、イタリアで産業の国有化と大企業の官民経営がはじめられた。石炭、電力、水道、鉄道、国際電信電話などが国有化された(一部は今でも国有化されている)。これらの国家は経済成長を達成し、福祉社会を実行する政策をとった。なので1945-1975年までを「恵まれた時代」と呼ぶことがある。計画経済を遂行する背景には、ケインズ主義とソ連の計画経済成功がある。アメリカは国内の計画経済は行わなかったが、ヨーロッパの経済支援を行う際の指針であるマーシャル・プランで各国に共同計画を作るよう求めた。EUを作る契機になる。
(面白いトピックは1947年は世界的な食料不足。ヨーロッパも日本同様にアメリカの支援を必要としていた。マーシャルプランは日本だけではなく、ヨーロッパにも適用された。)

第2章 巨大さという問題――アメリカの規制型資本主義 ・・・ 20世紀初頭の革新主義は規制による経済統制をおこなった。州を超えるビジネスがあり、連邦政府でないと対応できなかったなどが理由。世界不況で市場の失敗と独占による弊害が非難されたが、ヨーロッパのような国家統制経済にはならなかった。国有化より規制、集中と合理化より反トラスト、計画経済より権限分散で対応。しかしWW2で企業による統制がうまくいき、一方政府による統制は悪評。以後経済成長にあってケインズ主義が持続する。しかしインフレと失業の問題が起こり、政府規制に疑いがもたれる。そこに石油ショックとドルの金兌換制度の廃止で問題は拡大する。

第3章 運命の誓い――第三世界の台頭 ・・・ WW2のあと、第三世界宗主国から独立する。宗主国は政治的には手を引いたが、経済的な影響力を残した。その際に参考になったのが、開発経済学と開発機関。第三世界は市場が小さく資本が乏しいので、政府が投資し計画で統制するべきであるというもの。開発期間は投資と工業化支援を行う。さまざまな形態の国有企業ができたが、政府の非効率と縁故主義がはびこり、ほとんど成果をあげなかった。独裁国家では国家の私物化が行われた。1970年代にはベトナム、中東産油国などで反米になる国家ができる。
<参考エントリー>
杉本良男「ガンディー」(平凡社新書
メルル/ブノアメシャン他「カストロのモンカダ襲撃・エジプト革命筑摩書房」(筑摩書房)

第4章 神がかりの修道士――イギリスの市場革命 ・・・ 1970年代、イギリスの「社会主義政策」は企業の不効率、ストライキの頻発による社会インフラの危機、高いインフレなどに陥っていた。どの政権も社会主義政策を変えなかったが、1979年に首相になったサッチャーは違った。ネオリベマネタリズムを推進し、国有企業の3分の2を民営化した。石炭、北海原油、ガス、テレコム、航空、鉄鋼、電力、水道など。これらのサービスの不効率は消え、市場原理が働き、企業は国際的な競争力をもつようになった。といって彼女の政策はほとんど全面的に不支持だった。流れが変わったのは1982年のフォークランド戦争。ここで勝ち、アルゼンチンの独裁政権が倒れたことで支持者が増えた。サッチャーの政策に追随する国がでた。
(本書では経済政策、そのうちの国有企業の民営化だけしかないので、ほかの政策が失敗したり、保守化が進んだことも評価に含めること。失業問題は深刻だったので、下級階層には極めて不人気。それを背景にフーリガンが誕生したり、人種差別が横行したりもしていた。)

 

 WW2後の自由経済諸国では、社会主義的な政策がとられる。1930年代の世界不況で財閥が富を搾取し市場が失敗したと思われ、戦時下の国家統制経済がうまく働いたのが大きな理由。戦争による生産財の破壊と資本の不足という事態では、巨額な資金を用意できるのは国家のみであるとすると、そこに権限を集中し、市場をコントロールすることが必要とされた。実際に、復興期にあっては政府主導でうまくいった。しかし、市場規模が大きくなって、私企業が潤沢な資金を持つようになると、政府や党あるいは運営する諸団体が生産をコントロールすることの弊害がでてくる。それがもっとも強くあらわれたのが、イギリス(とソ連)。そこで、国家の経済介入を少なく(同時に国家の公共サービスと民営化)するネオリベラリズムが1980年代に台頭する。
 同じく国家の経済介入で発展途上国の経済をよくしようとする開発経済学と開発機関も、アフリカやアジアの諸国に投資と援助を行った。でも、自立した経済を作れた国はまずない。かわりに、そのような援助のない国が経済発展を遂げるようになる(韓国、台湾、シンガポールなど)。そこで開発のやり方にも懐疑と検証が必要とされた。
 戦後の経済政策を図式的にまとめるとこのようになるか。

 

2020/11/16 ヤーギン/スタニスロー「市場対国家 上」(日経ビジネス文庫)-2 1998年に続く

ヤーギン/スタニスロー「市場対国家 上」(日経ビジネス文庫)-2 アメリカと西ヨーロッパ以外の国。戦争による荒廃と不況から脱出するには、国家の指導と支援が必要だった

2020/11/17 ヤーギン/スタニスロー「市場対国家 上」(日経ビジネス文庫)-1 1998年続き

 

 上巻の後半は、アメリカと西ヨーロッパ以外の国々をみる。WW2以前から資本に乏しく、金融制度が不十分で、自国内の技術革新が見込めない国々は、戦争による荒廃と不況から脱出するには、国家の指導と支援が必要だった。なので、いずれも国有企業をもち、政府指導による産業育成が行われた。

f:id:odd_hatch:20201112090031p:plain  f:id:odd_hatch:20201112090020p:plain

第5章 信認の危機――世界的な批判 ・・・ 1980年代、社会主義政策や国有企業の不効率や赤字など悩む国では、国有企業の売却や規制緩和などが行われた。イタリアやニュージーランドなど。東アジアの新興国が開発のモデルとみなされるようになった。また、国際金融でも国境をまたいだ投資をする新興市場ファンドが生まれる。投資額は10年で数倍になった。それは市場をグローバル化したが、同時にリスクのグローバル化でもあった。たとえば、1980年代のメキシコの債務危機ケインズ主義が主流であった時代に、ハイエクフリードマンらの新古典主義経済学が生まれ、支持者が増えた。

第6章 奇跡を越えて――アジアの勃興 ・・・ WW2の東アジアをみる。どの国も日本の占領で大ダメージを負ったので、国家主導の経済開発が行われ、ある程度のところで市場経済に移行する。しかし政治体制に大きな変化はない。まず日本が経済成長。その後、1998年時点で成長が著しい国として、韓国、台湾、シンガポール、マレーシアを概観。健闘中の国としてインドネシア、タイ、フィリピン。市場経済に移行中のベトナム。「アジアの奇跡」とか「NICS」などで注目された。これらの国に共通性はないが、注目するのは、経済の自由主義と政治の権威主義一党独裁と権力内の抗争、腐敗、格差、差別など。一方で、華人ネットワークや教育、高い貯蓄率、エリート層の統治など。政治エリートやテクノクラートなどの官僚が高学歴で、読書や勉強に熱心だった。
(本書は1997年の東アジアの通貨危機までを扱っているので、アジアの経済発展が続くかは懐疑的。しかし、21世紀になると、それまで日本が経済の牽引役だったのが脱落して、中国が牽引役になった。10年ごとに不況が起こるが、持ちこたえて成長している。日本だけが脱落。あとこれらの国は政治の民主化に問題を抱えている。これについては言及がない。)

第7章 黒い猫と白い猫――中国の変貌 ・・・ 毛沢東死去後の中国。すでに二度も失脚していた鄧小平が巻き返す。その際に、産業の国有化を止め、労働者農民にインセンティブを与え、市場経済に移行する開放政策をとる。保守派との抗争などで頓挫しそうになることもあったが、1989年の天安門事件で政治的指導力を発揮し、実権を握る。1992年の不況のあと、市場経済に移行。イギリスが植民地にしていた香港が1998年に中国に返還される。1980年以降、観光・貿易で栄え、とくに金融センターとして経済の中心になった香港は中国の「一国二制度」を実行できるか。
(それから20年たって、香港の「一国二制度」は危うくなり、雨傘革命などの市民運動がおこり、親中派による弾圧がおきている。本書によると、鄧小平は1980年代にハイエクフリードマンを読んで内容を肯定したとのこと。経済の自由主義と政治の権威主義という特徴は特に中国に著しい。鄧小平のこのエピソードはそれをよく表していると思う。政治の権威主義から脱却しているのは2017年に市民運動で大統領を辞任に追い込んだ韓国くらいか。でも東アジア諸国では、ネトウヨ的な極右がある程度の勢力をもっているので、警戒は必要。)

 

 1998年時点で日本経済をみると、バブル経済の破綻のあと不況が続いているが、その理由は金融システム(とくに銀行)の危機にあり、製造業でも相殺できていないことにあるとする。発表直前に銀行への公的融資が決まったばかりで効果がわからなかったから。とりあえず銀行はおよそ10年で融資を返済したが、さて日本の銀行は効率的になり、製造業は持ち直したか? アジアの金融センターの役割は上海やシンガポールに移り、日本の製造業は中国や台湾の企業の傘下に入って持ち直し、ITシステムではアメリカに大きな後れを取っている。自動車産業だって、電気自動車の開発や自動運転システムでは十分な成果を上げていない。それに代わる新しい産業もない。しかし権威主義的保守的な経営と政治はより強くなり、国民の教育水準は下がり、イノベーションベンチャーも生まれない。2020年に読み直すと、あのころは酷い不況と失業率だったがまだ希望を持てたよなあとため息をつく。

 

2020/11/13 ヤーギン/スタニスロー「市場対国家 下」(日経ビジネス文庫)-1 1998年に続く