odd_hatchの読書ノート

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エラリー・クイーン「エジプト十字架の謎」(ハヤカワ文庫)

 欧米探偵小説の黄金時代を飾る作品。1932年作。もちろん今日の捜査状況から見れば甘いところやいけないところが多々ある(いくら被疑者が鼻持ちならない奴だとしても、私怨で叩きのめしてしまうのはいけないだろう、ヴァーン警視)。にもかかわらず、最後の謎解きの明快さで幻惑されてしまうのだ。

ウェスト・ヴァージニアの片田舎で起きた凶悪な殺人事件はT字で彩られていた。T字路に立つT字型の道標に磔にされたT字型の首なし死体、そしてドアに描かれたTの血文字。古代宗教的狂信やヌーディスト村、中部ヨーロッパの迷信から生まれた復讐者などを背景に第二、第三の殺人が起き、そのつどエラリイの推理は二転三転する。近代のあらゆる快速交通機関を利用して、スリル満点の犯人の追跡がくり広げられる。
エジプト十字架の謎(エジプト十字架の秘密) - エラリー・クイーン(移転しました)

 かつて読んだときには、陰鬱な時期のころかと思ったが、それは最初の殺人のところだけで、あとは太陽さんさんのニューヨークの出来事だった。だから後半の追跡劇が爽快なものになる。自動車、鉄道、飛行機(本編中にはボートがでてきて、当時の交通手段がすべて登場する)による追跡は、無声の冒険映画を踏襲したものだ。古くは「ジゴマ」であるし、「キーストン・コップ」の集団喜劇であり、「幌馬車」、「駅馬車」などの西部劇だ。自分が思い出したのは、ハロルド・ロイドの喜劇映画「猛進ロイド」(1924年)で、クライマックスはニューヨーク中を巻き込んだ馬車と自動車の追跡劇。実のところ、上記のような捜査の不備が目に付いていたので、今回はこちらのほうが面白かった。
 さらに気に入ったのは、15行くらいの最後のシーン。ここで読者は唖然とし、すこしばかりむっとして、ついには呵呵大笑するに至る。これはわれわれ読者が小説の物語世界に突然放り込まれたことによる。探偵が職業的な作家であり、しかも手にしている本の著者名と一致していることが生じさせたことだ。このとき、探偵名=作者名というレッド・ヘリングは、最高のトリックを達成している。実のところ、私小説の中の事件に込められたトリックや謎解きはさほど面白いものではなく、むしろこの最後にこめられたトリックのほうが現代的である。読者を物語世界に引き込んでしまうやり方は、戦後になってずいぶん出てきたものではある。

    


2016/11/22 エラリー・クイーン「エジプト十字架の謎」(創元推理文庫) 1932年