odd_hatchの読書ノート

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エラリー・クイーン「Yの悲劇」(新潮社)

 30年ぶりに再読。今回は宇野訳の創元推理文庫版でなく、大久保康夫訳の新潮社版。昭和32年刊行のもの(新潮文庫と同じ)。
 1932年発表の高名な小説なので、サマリは略。中学3年の時が初読だが、このとき犯人をあてたぜ、イエー。スゲーだろ。え、そんなことは聞いていない、そうですかそうですね。
1.非常に広い家で起こる話と思っていたが、せいぜい二部屋くらいしか登場しない。ハッター家のロビーとどこかの談話室。ときどきヨークの閉鎖された実験室。ハッター家以外ではレーン氏の邸宅くらいが描写されるに留まり、小説世界はとても狭いことに驚いた。創元推理文庫版では家の平面図が書かれていたから、それに影響されて、広大な舞台で起こることと印象していたかもしれない。クィーンは「ローマ帽子の謎」でデビューしてから一貫して都市を舞台にしていた。「田舎の一軒屋敷で起こる連続殺人」というのは、イギリスで盛んにかかれたし、ヴァン・ダインが「グリーン家」で大成功を収めたのだった。ということは、これはクィーンの挑戦だったのかもね。俺にもオーソドックスな探偵小説は書けるぞ、っていうような。閉鎖されているヨークの実験室で足跡が見つかるというのも、怪談に出そうな趣向だし。
2.にもかかわらず、ヴァン・ダイン氏のものほど退屈しないのは、プロットが緊密で遊びの、余分な描写がほとんどないこと。この緊密さというのは、ちょっと他に考えられない。たしかにこれは3幕の舞台というべきだろう。
3.とはいえ、高名な舞台役者であるレーン氏が、影のように希薄な存在になりうるかというと、それは現実的ではなく、彼がスピリチュアルな存在として舞台にいることはできないはず。だれも彼がハッター家にいることに意識していないなんてねえ。役者=探偵=観察者は難しいのじゃないかな。これがリアルに思えるのは、文字で書かれた世界だからかな。
4.発表はたしか1932年と記憶するが、恐慌の影響を微塵も感じさせない。ひとりの脇役が、市井では就職難であることがかかれている程度。それ以外の人物は、多額の資産もちで放埓な生活を送っている。これはミステリが現実逃避の物語であること、およびそれを当時の読者が期待していたことを表すのだろう。実際、1930年代の不況下であっても、クイーンやヴァン・ダイン、クリスティ、カーという人たちはそのことを描写してこなかった。
5.だから彼らに対するアンチ・テーゼのように、すぐ下の世代のミステリ作家はクイーンとはまったく別の路線でミステリを書いたのではないか。アイリッシュやハメット、チャンドラーらのように。この人たちの作品には、それが書かれた社会状況が作品に反映されていた。当時の不況状況が主人公たちの不安感や焦燥をさらに強めていた。
6.優れている。しかし、1945年以前の作として。一種の文学的余韻、あるいはのちのクイーン問題を予感させるエンディングが、評価を高めている理由か。

 昔話を少々。この国でベストミステリーを選出するとなると、たいてい上位にいたので、たくさんの翻訳があった。創元推理文庫鮎川信夫)、角川文庫(田村隆一)、新潮文庫(大久保康雄)、講談社文庫(平井呈一)、ハヤカワポケットミステリで読むことができた。その後、集英社文庫、角川文庫(新訳)がでている。他にもいくつかの探偵小説全集とか少年向けリライト版など含めるとさらに多数。これだけたくさんの翻訳を読めるというのは、他に思いつかない(ドスト氏の「罪と罰」くらいか)。入手しやすさだと、創元推理文庫になるのだろうが、個人的には詩人が訳している田村隆一版にすこし興味がある(ときどき古本屋でみかけるが、文字が小さすぎて読む気をなくしてしまうのだ。自炊して大画面で読むかなあ)。あとは平井呈一訳。江戸弁のエラリーを読めるかもしれない。(追記:読めました。エラリー・クイーン「Yの悲劇」(講談社文庫)-1
 あと、Ellery Queenも「エラリー・クイーン」「エラリー・クィーン」「エラリイ・クイーン」などいろいろな表記がある。最初に読んだのが創元推理文庫なので、この書肆の表記にならうことにする。