odd_hatchの読書ノート

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エラリー・クイーン「ドラゴンの歯」(ハヤカワ文庫)

 カドモスはギリシャ神話にでてくる英雄で、エラリーによると、シドンの国王で、テーベの都の創設者でギリシャに16文字のアルファベットを取り入れた人物で、探検にでかけてさまざまな困難や危険な目にあったが、そのばかげたことのひとつにドラゴンの歯を蒔かねばならぬ仕事があった。一本一本の歯からはトラブルの芽が出た(P82-3)とのこと。トラブルの芽は神話によると武装した男たちで、カドモスが男たちの中に岩を投げ込むと、互いにきりあったという。
カドモス - Wikipedia
 この情報は知らないでもよいが、キャドモス・コールが18年間乗り続けた船の名がアルゴノート号で船長がアルゴスという名であるとすると、この種のギリシャ神話のエピソードを思い浮かべることになり、それはいくぶん主題に関係している。すなわち、キャドモス・コールは莫大な財産を残したのだが、その遺言書が奇妙で、二人の姪にすべて譲るのだが、1年間は同じ館で暮らすことと、生涯結婚してはならないことを命じていた。いずれかに違反すると、相続の権利はなくなり、もう一人に全額が行くことになる。これはゲーム理論のとおりに、総取りをねらって何事かたくらむ愚か者を呼び込むのであって、それこそドラゴンの歯にほかならない。

 さて、この相続に預かるのが貧乏なハリウッドの女優ケリイであって、両親をなくした20歳の彼女は探偵ボー・ラムメルに見つけられ、もうひとりの姪マーゴと暮らすことになる。表面上はなごやかであっても、ケリイは命をねらわれる(馬の蹄鉄がはずされていて事故を起こすとか、駐車スペースに閉じ込められて一酸化炭素中毒で死に掛けるとか)。探偵ボーはエラリーを詐称してこの家に入ることになり、遺産管理の弁護士グーセンスとともに、ケリイとマーゴの保護に努める。そのためにボーは二人にアプローチ。それぞれと愛を語らうことに成功する。
 探偵ボーがマーゴといちゃついているにケリイは心騒がせられるが、ついにはボーの求婚を受け入れる。そしてハネムーン先のニューヨークのホテルで、行き先を告げていないはずのマーゴが現れ、彼女を嘲笑し、相続の権利をなくすようにしむけたのはあたし、秘密の協力者がいるのよ、といわれたとたんに、射殺された。部屋にはケリイの所有で盗まれた拳銃が投げ込まれ、それを手にとるところにホテルの従業員があつまってくる。
 途中には探偵ボー(彼はエラリーの古い友人で、いっしょに探偵事務所を開いていた)とケリイのロマンスが挿入され、すっかり二人のわかいカップルの苦難と危険に心奪われる。その結果、どうしても奇妙な遺言をめぐる従姉妹同士のいさかいという具合に事件を矮小化してみてしまうことになる。しかし、マーゴが詐欺師であるとか、キャドモスの遺産をすこしばかり受け取ったエドモンド・デ・カーロスの奇妙な関係が明らかになるたびに、事件の様相はまた一変してしまう。ここら辺の論理の展開は見事。そして、真相があきらかになったのちに、事件の様相の重要な証拠や証言が最初の50ページの中に書かれていることを知り、それをすっかり忘れてしまった自分に腹を立てることになる。さらに、エラリーは虫垂炎でしばらくの間、ベッドの上にいることになるのだが、それさえも事件の解決に関係していることがわかる。
 事件の関係者は少ない。重要な人物はせいぜい8人。彼らを描写するだけで、この複雑さを隠すのだから、まあすごいこと。事件の進み方はのちの「緋文字」「三角形の第四辺」でくりかえされる。奇妙な遺言に多額な資産、それを相続するひとりの若い娘というモチーフは「ダブル・ダブル」でくりかえされる。そんなことを思い出しながらも、あまりに現実離れしたおとぎ話であるのが、この探偵小説の弱点であるのかも。次作が「災厄の町」で、より人物描写をリアルにしていくのだから。そういう点では、探偵小説黄金時代の最後の輝きである。1939年作。不況も戦争も影を落としていない。