odd_hatchの読書ノート

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エラリー・クイーン「エジプト十字架の謎」(創元推理文庫)

 以前感想を書いたのを訳と版を変えて再読。
 ウェスト・ヴァージニア(ニューヨーク市から自動車で片道3-5時間くらいか)の片田舎で、偏屈な小学校教師アンドルー・ヴァンの首なし死体が見つから。交通標識に縛り付けられて、Tの形に見える。たまたま検視訊問を聞いていたエラリーは興味を示すが、解決には至らない。
 それから数か月。今度はニューヨークの会社経営者トマス・ブラッドが、自宅のトーテムポールに縛られた状態で発見される。首がなくなっていて、外目からはTの字に見える。どうやら書斎でだれかとチェッカーをしている最中に襲われて、死後移動されたようだ。死者の妻や支配人夫婦は、屋敷から見えるハドソン川の中州に住み着いた新興宗教兼裸体主義者の集団に悩まされている。この新興宗教は最初の事件でかかわりのあった狂人(もとは歴史研究者であったらしい)に率いられていて、しかもその片腕になっている男は20年ほど前にアメリカに移ってきて、今は行方不明になっているクロアチア人ヴェリャ・クロサックだった。そのうえ、屋敷の隣人のイギリス人夫婦は、ヨーロッパ諸国で指名手配を受けている強盗・詐欺のグループ。警官の監視が緩んだら、いずこともへ消えてしまった。
 世界周航航海にでていた共同経営者の一人スティーブン・メガラがニューヨークに戻り、被害者と自分を入れた三人が兄弟であり、東欧の血の復讐の掟によってずっと行方不明のクロアチア人に狙われていると明かした。最初に殺された小学校教師は山小屋に住む偏屈な老人と入れ替わっていて無事だった。警察が監視と保護を提案したが二人とも拒否して、自宅や船に引きこもる。進展がないのにいらだったメガラは使用人と二人で船に残って、クロサックをおびき寄せようとする。しかし逆襲にあいヨットのマストに首のない状態ではりつけられた。次のターゲットは最後の一人ヴァンであるが、彼の潜む山小屋で首なし死体で発見された。クロサックの逃げ出した後があり、エラリーたちは4つの州を横断する大追跡劇を行うことになる。ディーセンバーグを運転するエラリーは、山小屋にあったラベルのないヨードチンキの瓶を見て、ようやく犯人と真相に思い当たる。
 とても荒っぽいまとめにするとこんな感じ。知的パズルとしては完璧。複数の類似した事件があり、無関係であると思われたのがリンクされていて、隠されていた過去があらわになる。事件の関係者に見られる愛憎の相克で、だれもが犯人になりうる可能性を持っていて、しかし決定的な証拠がない。でも探偵ただ一人が誰もが見落としそうなもの・ことを見出し、真相に到達する。このプロセスはみごと。最後の自動車、飛行機、ないし電報と電話などを駆使した追跡劇もこの時代では最高のスピード感であった(ネットも、携帯電話も、テレビもない時代だからね)。
 その一方で、動機の物語はどうにもふるめかしい。東欧(クロアチアモンテネグロ)出身者の復讐譚。なるほど作品発表(1932年)の18年前というと、第1次大戦が起きた年であり、数年後のロシア革命で東欧・ロシアの亡命者は大挙して西側諸国に流れたのだった。この事実があるから当時のアメリカでは亡命者グループは珍しいものではないにしろ、背後の物語は血の復讐であり、財宝の強奪であり、と19世紀初頭に戻ってしまう。「モンテ・クリスト伯」「ルコック探偵」あたりにはふさわしい話が20世紀の大量消費の時代にあるのはどうも。まあ、探偵小説の一面はヒーローによる聖杯の探索というロマンティシズムであるのだが、どうにも古いなあ(そのうえ、東欧亡命人に対する偏見があるのもどうかと思う。この偏見は「ガラスの村」では克服されているのだが)。
 ただ、この小説がほかの国名や悲劇のシリーズと異なる独自性を持つのは、最後の2ページにある。作者と読者の壁が書物の形式を通じて解体されて、読者の現実と作家の存在とフィクションが地続きになることろ。この壁はなかなかこわしがたいのだが、この小説は稀有な成功例。本編には上のような言いがかりをつけられても、この結末には喝采を送るしかない。