犬が父親を殺した。突然訪ねてきた若い娘の言葉に、エラリイ・クイーンは興味をそそられた。玄関先に送りつけられていた犬の死体と、その首についていた脅迫状が宝石商のヒルをおびえさせ、死に追いやったというのだ。しかも、彼の共同経営者ブライアムの寝室には、数百匹のアマガエルが投げ込まれた。二人を死ぬほどおびえさせるものは何か? そしてブライアムが頑として語ろうとしない二人の過去とは? 姿なき脅迫者に挑戦するエラリイの推理が冴える! 題名を「種の起源」になぞらえ、ハリウッドを舞台に展開する記念碑的名作。
(裏表紙のサマリ)
このミステリを読む前に知っておいたほうがよい情報がある。簡単に書くと、イギリスの博物学者ダーウィンは、地質学者ライエルの著作を読んで、生物の進化のアイデアを得た。博物学研究のビーグル号に乗り組み、世界一周の航海に参加し、ガラパゴス島その他の調査を行う。帰国後、インドネシア諸島で博物学研究をしているウォーレスから生物の進化に関する自然選択説を提案する手紙を受け取る。そこでダーウィンは自分の考えを早急に発表する必要を感じ、1848年に「種の起源(On the Origin of Species)」初版を出版する。
さて、本書にもどることにして、エラリーはハリウッドで執筆をしようとしているが例によって書けない。そこに、美貌の令嬢(死語)が訪れて、父の死を調査してくれと依頼された。上記のような次第。父の死は自然死であるものの、犬の死体と脅迫状が他人の意思を思わせるからというもの。何かの手紙を読んだ人物が恐怖におびえるがその理由を決して語らないというのは、ドイルの「踊る人形」か。捜査の矛先は共同経営者ブライアムに向かう。彼のところにも別の脅迫状が届いていたのだった。彼は下半身麻痺の障害者。性格は粗暴。若い(とはいえ40代前半)妻はもう20年も連れ添っているが、夫婦間の間もまた不審。ブライアムが雇う秘書を妻に与えて、欲求不満を紛らわしているというのだから。また妻の連れ子は成人しているが、樹木の上に小屋を建てて気楽なヒッピー風の暮らし。美貌の令嬢とは昔からの知り合いで、エラリー達との捜査に参加する。ブライアムの秘書は1年前に雇われたが、記憶喪失でそれ以前の記憶を持たないという。まあ、こういう具合に事件の関係者の間が、不穏当というか常識外れというか家族のたがが外れているというか、まあミステリ的には興味深い関係になっている。なんか、ロス・マクドナルドの病んだ家族を見ているみたい。そこに加えてエラリーは若い妻に惚れるものだから、これもまた立派なレッドへリングになっている。この作は1951年初出なのだが、すでにライツヴィル3部作(「災厄の町」「十日間の不思議」「フォックス家の殺人」「ダブル・ダブル」あれ、4つだ)と「九尾の猫」を書いているので、人物描写が格段に冴えている。カリカチュアである人物はまずいなくて(ブライアムとエラリー本人と事件を担当する警察官くらい)、それぞれの抱えている問題が次第に明かされていく描写はすばらしい。
さらに、ブライアムの過去というのは(小説の半分あたりで明かされるのだから書いておいても大丈夫)、彼とヒル、さらにアダムという3人の冒険譚。たまたま宝石の山を掘り当てたブライアムとヒルは共謀してアダムを殺害(というのが誤っていることも判明)、発掘した宝石を元手にロサンジェルスで宝石商を開き、現在の富を得たのだった。こういう冒険と復讐譚が背景にあるというのは、なんかドイルの長編を読んでいるみたい。ドイルだと現在の事件が解決した後に語られるのだが、この小説では事件の動機を理解させるために、現在の事件が進行中に語られる。こちらのほうが分かりやすい。
通常、この小説だとクイーンの創始した「奇妙なプレゼント」という趣向で語られる。たしかに、首輪・アマガエルの死体・財布・倒産した会社の株券という何の関係もなさそうな事物がブライアムに送られ、短気である割には小心なこの男もまた恐怖におびえる。彼には事物の関連を読みとおすことができるのだ。同じ読みとりができるのは、エラリーひとり。それでいて彼の解読を聞くと、関係者全員が納得する、そうだったか? 「さて皆さん」のあとはエラリーの長話に誰一人口をさしはさまない。というのも、その解読は事物の後ろ側のある意図を読み取ることであって、その真偽を実証的に検証することができないのだ。関係者とわれわれ読者は神官の宣託をきくごとく、エラリーの長広舌に耳を傾けなければならない。まあ指摘された犯人が「その通り」と宣言することでエラリーの「正しさ」が検証されたことになる。とはいえ、エラリーの推理というか解読というか秘術というか、それもまた有効ではないことが明らかになる。すなわち自白しない犯人、探偵の推理に沈黙で答える犯人は、本当に犯人であるのか(すなわち事象を起こさせる原因であるのか)が不明になるということだ。これはのちの「盤面の敵」でも繰り返されるテーマ。すこし妄想をたくましくすると、この世界に起きていることから神の意志を読み取ろうとする試み、すなわち西洋哲学の正しさにも関連してくる。デカルトからしばらくは、人間の理性は神のそれと一致する(ただし、時間空間に限定的な人間の認識には限界があってすべてを認識できない)ということでこの問題を解決しているのだが、さて、神は人間の祈りに沈黙で答えるとすると、どうなのか。この作で提起した問題は相当な深さを持っているのだよ(と言いたいわけだが、西洋哲学は途中から神を棚上げして理性を考えているので、「問題」にはしていない)。
とはいえ表層の単調さのおかげで評価は高くない。個人的には「盤面の敵(人によっては作者の代表作のひとつ)」よりこっちだな。品切れ中との由。
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