odd_hatchの読書ノート

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エラリー・クイーン「盤面の敵」(ハヤカワ文庫)

 エラリイは登場すると、現在(書かれたのは1963年)では探偵小説はまことにやりにくくなった。探偵に挑戦しようとする犯人は現実にはいないし、なによりも犯罪捜査の科学化が探偵の推理を必要としなくなった、と慨嘆する。1955年以降のアメリカの経済発展と国際政治の発言力の強化は、こんなふうに古風なものをなくしていくのだった。クイーンの作品も1955年あたりのあとになると、いかに古風な探偵小説が可能かということに答えようとして、悪戦苦闘している。この作品は、その試みの意気込みとはうらはらに力のこもった輝かしい失敗作になった。
 叙述は2つ。ひとつはヨーク家に起こる事件を主にクイーンの視点で描いたもの。もうひとつは、実行犯に送られる2人称の手紙。ここで、実行犯とは別の意図を持つ真の犯人がいることが示唆されている(実を言うと、二人称であることから誰がその手紙を書いたのか早いうちにわかってしまう。それはおいておくとして)。こういう複数視点を取り入れたのが珍しい。
 原題は、「もう一方の側のプレーヤー」であって、章立てもチェスの攻防になっている(まあ、「鏡の国のアリス」だね)。こちら側というのはクイーンの側、探偵=読者の側であり、もう一方の側は犯人=作家の側であることはあきらか。こういう知恵の競い合いをチェスというゲームに見立てている。で、クイーンがやりたかったのは、この二項図式(こちら側とあちら側)の関係が実は人と神の関係でもありうるよ、ということ。奇妙なカードも最初は、犯人の頭文字らしいということになっていたが、最後にJHWHという口にしてはならない言葉であることが明らかとなる。というわけで、この探偵小説の真犯人は神であるということになる。一応補足しておくと、この神は個別であって、普遍なものではなく、現実の宗教における神とはなんの関係もない。
 あとここには、いろいろな仕掛けがある。サマリーにもある奇妙な贈り物、資産家の奇妙な遺言とそれに拘束される社会不適応者たち(直系の子孫が行方不明という設定がありながら、解決では簡単に触れられるだけ)、ヨーク家とその使用人たちはチェスの駒になぞらえられていたり(たぶんかれらの動きはチェスの動きを模しているのだろう)、「パーシヴァル(パルジファル)」という名前のぐうたら中年男が生きがいを見つけて改心する話があったり(聖杯伝説のモチーフを引用しているわけだ。そういえば1945年以降のクイーンは社会正義について言及することが多いなあ。この作品にも貧困者援助の慈善団体が重要な役割を果たしている)。かつてはこのひとつの仕掛けだけ長編ひとつ書いていたものだが、いまやこれだけ盛り込まなければならないなんて(探偵小説も不自由になったものだ)。これだけの仕掛けを持たせながらも、ひとつの主題にまとめることができず、盛りだくさんな内容が中途半端になっていて、思い溢れていながら、意に添えない作品になってしまった。残念!、というところか。