odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

エラリー・クイーン「悪魔の報酬」(ハヤカワポケットミステリ) カフカの「城」のようなハリウッドで、いつまでも入城できないエラリーは城の周囲で探偵する。

倒産した発電会社の社長ソリー・スペイスが、ハリウッドの屋敷で殺された。彼は倒産にもかかわらず私腹を肥やし、欺かれた共同経営者や一般投資家から深い恨みを買っていたばかりか、正義感の強い彼の息子もまた父を憎んでいた。ハリウッドへ脚本を書くために訪れていたエラリー・クイーンの推理は、意外な真相に肉薄する。中期の力作!
悪魔の報復 - エラリー・クイーン/青田勝 訳|東京創元社

 トーキーがすでに一般的になり、かつてのように脚本なし、監督の即興演出で映画を撮るということはできなくなった(チャップリンとかフリッツ・ラングなんかを念頭においている)。そこで撮影に入るまでにスクリプトを完璧に仕上げる必要がでてきて、ハリウッドは演劇の脚本家や作家を大量に雇った。ミステリ作家も動員されていて、チャンドラーもハメットも一時期はハリウッドの仕事で糊口をしのいでいたことがある。クィーンもその一人だが、すこし異なるのは自分の創造したキャラクターを主人公にする映画が作られたことかな。「エラリー・クィーン」の名前がついた映画が4本ほどつくられたと、この本のあとがきに書いてあった。だから、上記の作家よりももう少し良い条件で呼ばれたのではないかと、妄想してみる。
 にもかかわらず、このミステリの中では、ハリウッドに邪険にされたエラリーが描かれている。ニューヨークにいたら、明日中に来いとプロデューサーに呼び出され飛んで行くと、そのプロデューサーは新人女優を口説くのに忙しく、2週間もエラリーはほったらかしにされていた。俺は仕事をしたいんだ、と悪態をついていたから、新聞社のデスクから事件を担当しろといわれ、かつ世間知らずの美人お嬢さんのおともをすることになって、いそいそと出かけて行ったわけだ。事件に介入させる方法としては面白いやり方。おまけに派手なジャケットに気障なサングラスという異様ないでたちをするのもエラリーには珍しい。それに負けず嫌いなお嬢さんの運転手を買って出て、ハリウッドをよく動き回る。
 なるほどエラリー先生はここでハードボイルドないし私立探偵小説のパスティーシュを演じているわけだ。そのころにはハメットもチャンドラーも代表作といわれるのは発表済で、またハリウッド映画も私立探偵ものをつくっていたので(ハワード・ホークスとかジョン・ヒューストンとか)その影響もあるかしら。決定的に異なるのは、エラリーはごろつきや真犯人に狙われたり暴力で脅されたりすることがないこと。当然、誰かに殴られて失神するということもない。苦悩を経て快楽に至れ、というモットーというかプロットを持っていないということろが冷静な観察者になれず、にやにやと他人の苦悩を眺めているだけ。ここは大いに不満なところ。エラリーという探偵は他人の苦悩には無関心。自分が苦悩するのは、自分の推理が誤っていたとき(「十日間の不思議」「九尾の猫」など)。ここを探偵の傲慢とみるか、理性の限界とみるか。
 事件の発端は上記のとおり。数名で出資していた発電会社が水害で破壊される(この当時はこういう社会インフラを保持するために政府などが介入しなかったのかな)。そのため会社は倒産。共同出資者の一人リース・ジャーディンは破産し、一人ソリー・スペイスは売り逃げている。殺されたのは売り逃げしたほう。この富豪には息子ウォルターがいて、親の不正(今ならインサイダー取引で立件できるか)を弾劾する。息子は倒産した出資者の娘ヴァルと婚約したいと思っている。さて、事件が起きたときに、ジャーディンがソリー・スペイスを訪れていたがそれはウォルターの変装。ジャーディンのもとにはピンクという元部下が居候して、いろいろと家事の手伝いをしている。ストーリーではジャーディンとウォルターが互いに連絡なしにかばい合っていて、警察の捜査が難航する。ヴァリはクィーンの手を借りて、事件の解決に向けて行動するというように進む。映画になりそうなストーリーだね。まあここでもヴァルお嬢さんは危険にあうことはないし、派手な冒険やアクションがあるわけでもないし、読者の同情や共感を得るわけではない。ここも不満なところ。
 さて、事件の問題はソリー・スペイスがあまりに入念に殺されていることだった。短剣で刺されたうえに、そこに塗られたゼリー状のなにかには青酸が含まれていた。刺殺と毒殺をどうして同時に行わなければならないのか。この問題をさらに哲学的に表現したのが笠井潔「アポカリプス殺人事件」「哲学者の密室」。例によって、大胆な手掛かりがさらっと書かれているので、「さて皆さん」のあとに驚愕が待っている。ジャーディンとウォルターのかばいあいも事件を複雑にしているので、彼らの行動とその理由もよく読まないといけない。ここらへんの布石の起き方とその回収は見事。
 ハヤカワ文庫では「悪魔の報酬」、創元推理文庫では「悪魔の報復」(いずれも品切れの模様)。タイトルがほんのちょっと違うので注意してください。これは1937年初出の「The Devil to Pay」という作品です。


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