odd_hatchの読書ノート

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福永武彦「夢みる少年の昼と夜」(新潮文庫) 世界の完全性は失われ自分は崩壊していくしかないというロマンティシズムの小説

 1950年代後半に書かれた短編をまとめたもの。作品名の後の数字は初出年。

夢みる少年の昼と夜1954 ・・・ 母をなくし、父は遅くまで帰らない一人っ子。ギリシャ神話が好きで、体操は苦手な内向的な少年。夏休みの直前で、彼は神戸に引っ越すことになっている。彼は先生、友人、ほのかな憧れを持っている少女たちに別れを告げる。そういう暑い夏の一日のできごと。彼の空想癖は現実からすぐにギリシャ神話のほうに飛んでいく。ほこりっぽい田舎の夏よりも、ギリシャの英雄の登場する夢のほうが詳しく描写される。いろんな本を思い出す。鳩時計のクックウという泣き声で始まり、同じクックウでおわるというのは「ドグラ・マグラ」。ギリシャ神話はペルセウスメデューサアンドロメダが主要な人物だが、じつのところ夢で死んだ「愛ちゃん」に会いに行くというのはオルフェウスだ。ほとんどが彼の主観・内話で進むというのは太宰治「女学生」。こんな具合。こういう英雄に憧れ、大人を嫌悪する感情・心理に注目するのだが、同時に10歳の男子のエロスの目覚め(奇妙にサディスティックなところも含まれる)というのも注目しよう(彼は母がいないので母性と女性の肉体に飢えている)。もうひとつは、死についてであって、彼は死を「他人の死」として認識し始めているものの、「自分の死」は身にしみていない。まあ、こんな少年時代(の心理)だったなあ、とかつては共感したものの、50歳を目前にするとうっとうしくなったのは、オジサンがすれたせいかしら。あと、この少年は土門拳「腕白小僧がいた」に写された昭和20-30年代の子供。その当時の邦画に現れる少年をイメージしないといけないよ。

秋の嘆き1954 ・・・ 戦争中に大学生の兄が睡眠薬の飲みすぎで死亡。その数年後に、母も病気でなくなる。母は死ぬ前に娘(主人公)になにか告白したかったようだが、それがかなわない。10年後、婚期を逸しかけた女性が婚約中の男性に振られる。その秘密とは? サスペンス小説風にかくとこんなプロット。実際は、女性の内話で過去と現在が自由に行き来する。女性の孤独(と同時に兄と妹の近親相姦的な愛情も)が強く印象に残るが、当時の(今も?)精神疾患に対する偏見、差別が身にしみる。それにしても、この作者は、不眠の夜の孤独と実存の不条理を描くのがうまいねえ。あと、こういう嘆き節、もうすべては終わってしまった、完全な状態や幸福は過去にしかなくて、回復することはない、自分は諦めのうちに生きるしかないという感情も魅力的。これは独身男には強烈な魔術をかけるなあ。ブラームスのピアノトリオNo.1とか弦楽六重奏曲No.1を聞いているときみたい。

沼1955 ・・・ 子供(幼稚園くらい)の空想を基にした幻想小説。禁じられた沼で子供は優しい男とであう。彼を振り払って戻った先は父と母のいがみ合う冷たい家庭。夢の中で子供は沼にいき、中の島に木の枝伝いに渡ろうとする、もう少しでわたりきれるときに、探しに来た母の呼びかけで子供は沼に落ちる。事実なのか、夢なのか、読者にわかるのは子供が親を拒否したということ。

風景1955 ・・・ 結核療養中のサナトリウムで「私」は傲慢な元薬剤師と同室になる。かれは病気から治りたいと思わず、かつて人を殺したことがあると語った。私は、彼が心中に失敗したと妄想する。凡庸な暮らしで見る風景が一番と納得する。さて、どんなメッセージがあったのだかなあ、よくわからない。

死神の駆車1955 ・・・ サボり癖のあるサラリーマンが仮病で休んでいるとき、顔色の悪い子供と出会う。子供の父はタクシー運転手で酒癖が悪い。うまれたばかりの赤ん坊は布団で圧死、次男はひき逃げで死ぬ。子供はサラリーマンに、父が赤ん坊を殺すよう母に命じ、次男をタクシーで轢いたという。それが事実かわからないうちに、一家は夜逃げした。真相は明らかにならない。重たい主題を軽いタッチで描いた掌編。

幻影1955 ・・・ 結核で死にそうな女が学徒出陣した男に毎日手紙を書いている。かつて戦争の悪化のなか、心中しようと約束したから。二人とも生き延びた。男からの返事はない。死の直前に、男が見舞いにくる。女は約束の心中を迫るが男は応じない。のちに男が自分の側の心理を語る。男は観念的な死を前にして、女を幻影にして生きるよすがとしていたが、自分の死を目前にしたとき改心した、生きるために生きるのが重要。男の観念が空虚で鼻白むなあ。大岡昇平とか武田泰淳に、戦争の現場はそんなものではないと一喝されそう。男の告白を語らせず、単に開封していない大量の手紙を見せるだけで終わらせたらどうかしら(ガルシア=マルケス「予告された殺人の記録」を自分が模倣してみただけ)。

一時間の航海1956 ・・・ 春の時化のとき、揺れる小さな客船で大学生がきれいな娘と出会う。内気な学生は娘に声をかけるが、娘は学生を無視する。そこから始まる学生の妄想。始まる前に終わった恋愛を詠嘆調で描く。客観的になると、学生の妄想乙、というところ。

鏡の中の少女1956 ・・・ 画家とその娘。画家は職業人、娘は天才。娘は鏡に映った映像をみながら、鏡に映ったキャンパスに絵を描く。彼女は新進の画家を愛しているが、彼は答えず、鏡の中の少女(自分自身)が彼の愛を奪ったと考える。結末のよくわからないリドルストーリー。戦前の探偵小説にでもありそうな、あるいはジキルとハイドかドリアン・グレイの肖像みたいなドッペル・ゲンガー奇談。作者の文章は絵を描くのにむいていないなあ。心理の、はかなげでたゆたう移り変わりを描くの慣れているので、音楽を書いたら一級品になると思うのだ(実例は知らない)。絵を説明するのがうまいのは堀田善衛
(とはいえ、著者は画家に関するエッセイをたくさん書いているのだし、小説の主人公には画家が多い。作者の好みと自分の読みが一致しなかったらしい。)

鬼1957 ・・・ 今昔物語にいわく、ある若者貴族がさる女房に懸想して、逢引したところ、あいにく館に部屋はなく、離れにとまることになった。夜半もすぎたときに、若い女官の姿をした鬼が現れ、若者は遁走する。翌日、女房は死亡した。この怪異譚を論理的に解き明かして、人間の心理の暗黒を暴き出す。「鏡」がテーマになっているので、やりたい人はラカンなんぞを持ち出してもよい。

死後1957 ・・・ 生活に疲れた哲学教師。蜘蛛が巣を張る様子を眺めて生と死の観念をもてあそぶ。えーと、当時であれば実存主義の文学化みたいなものに読んだのだろうけど、もう自分には饒舌で退屈なおしゃべり。たしかにかつてはこんな風に「実存」を考えたものだ。その気恥ずかしさがおもいだされて、もう読めない。

世界の終わり1954 ・・・ 夕焼けをみて死のことを考える。「死後」と同じ感想でもう読めない。


 福永武彦は真性のロマンティスト。すでに世界は終わっている、幸福は過去にあり、そこには戻れない、憧れの人はすでに(会う前から)去っていてもう二度とあうことはできない、世界の完全性は失われていて、これからは自分は崩壊していくだけ、そんな(シューベルトとかマーラーが持っていた)ロマンを言葉で定着しようとしていた人。この感情は、自分にも確かにあったのであって、ロマンティシズムを自分の感情をみなしていたときには、たしかに自分のことをそのとおりに描いた人と思っていた。でも、自分が変わってしまって、ロマンティシズムの感傷癖が鼻についてきたときにはもはや再読できない。ああ、俺も年をとったなあ、若いころはこんなこともあんなこともできたのに、という別のロマンティシズムも生まれているが、それは福永のロマンティシズムとは無関係。言葉と死者は不変だ、でも読者である「この私」が変わってしまったということ。
 この作者は物語の一貫性というか、結末ときっちりつけるとか、読後にもやもやをのこさせないというか、物語の形式を整えるということにかけては職人。前半くどくなりすぎ、後半ははしょるというのがよくある短編のあり方なのだが、この人にはそういうところはない。明晰に展開し、ちょうどよいところで物語は完結する。この短編集にあるもののいくつかが探偵小説に似ているように、戦前のエンターテイメントをよく読んで、それを咀嚼して、書いているのだ。このわかりやすさは、たぶんほかの「戦後派」文学者の中ではきわだっている。(逆に言うと、そういうエンターテイメントを読んでいる人にとっては、福永のは冗長ということになる。みかけは難解そうにみえるが、それほど深い思想というか思索をかいているわけではない。別のところでも書いたようにこの人の保守性、パターナリズム、女性蔑視というのが目立つ。パターナリズムの持ち主でもいいのだが、この人はみかけはやさしくて、同情を書いていながら、心底は蔑視であるというが透けてみえるのがいやなのだ。)


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