odd_hatchの読書ノート

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バルザック「セラフィタ」(角川文庫)

 ノルウェーフィヨルドに囲まれた寒漁村。そこには、スウェーデンボルグが名付け親になったセラフィタという人物=天使がいた。彼=彼女は、生まれながらに霊性を持ち、天に昇ることが可能な超人であった。彼=彼女が17歳の時、牧師の娘ミンナと放浪の哲学探究者が彼=彼女に興味を持ち、神秘に触れていく。
 書かれたのは1835年。進化論の萌芽の時期であり、また近代科学もまだ始りの時期であった。そのような時代のキリスト教擁護ないしは神秘思想の発表の小説。話は単純であっても、牧師とセラフィタの饒舌で難解な神学が展開されているので、神学と科学の知識を持っている人でないとそうとうに読みずらいのではないか。それゆえにかバルザックは積極的な発表を渋っていたようであり、日本でも角川文庫(1954年)と国書刊行会(1976年)の2回しか翻訳が行われていない(自分は角川文庫の復刊で入手)。
 キリスト教と科学は、同じ根っこから生まれている。そのために、この小説の神秘思想はどうしても科学の不備を突く=科学で解決し得ない問題は神秘思想でもって認識可能になる、という議論になってしまう。しかしその後の科学の知が拡大するにつれて、神学による科学認識批判は時代遅れ(アナクロ)になってしまうのだ。だから、セラフィタの議論は、現在の創造科学あたりに近しいものにみえてしまう(創造科学の連中の知識や認識はバルザックの認識よりはるかに劣るものではあるのだが)。同じことは、エンゲルスの「反デューリング論」でも起こっている。
 たぶんバルザックの共感した神秘思想では、人間が身、心、霊の三体系になっていると考えていて、心身の不釣り合いを霊によって超越しよう、そして無限の真理に触れようということになっている。デカルトなんかは身=感性、心=理性、霊=悟性に結びつけて、霊=悟性の部分は科学や哲学などの対象外にしているようなんだ。でも、心身霊の三位一体的な考えは、その後も残っていて、たとえばヘーゲル弁証法も、正=心=理性、反=身=感性、合=霊=悟性という図式になっているのではないか、と見てみたい衝動に駆られる。

    

 セラフィタセラフィムのつながりで、以下をリンク。
笠井潔「熾天使の夏」(講談社文庫) - odd_hatchの読書ノート