odd_hatchの読書ノート

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ジャン・ポール・サルトル「嘔吐」(人文書院)

 歴史学を学んでいる、たぶん30代の独身者がいる。彼は不意に、世界との違和感を感じてしまった。その違和感というのは事物をみたときの<吐き気>であり、自分と事物との遠い距離。それは理由をつけようとも説明できることではなく、たんに不安とか気分の悪さとか、そういうあいまいな症状として捉えられるものだ。
 で、たぶん彼は自分の将来に展望を持っていなくて、かといってこのまま歴史研究をしてもうだつはあがらないし、チャンスもやってこないだろうと考えている。なにしろ、「歴史」というのもきっと彼の<吐き気>の原因になっているはずだ。彼は歴史を自分のこととして考えることができない。たぶん、歴史としてかかれた出来事には何かの理由とか必然性があるのだろうけど、この「私」が1930年代のパリにいることに積極的な理由や必然性はないから。
 で、彼は<体験>をするために、冒険に出かけたいと考える。この冒険というのも何かよくわからないのだが、この男にとっては、いま=ここではないどこか=いつかの場所にいくことなのであろう。そのような場所はたぶんこの世界の中にないことを知っているはずで、彼の希望する冒険というのもあらかじめ失敗が予測されているのである。かような具合に、彼=作者はこの世界の重力にとらわれていて、そこからの脱出は不可能であるとすると、その違和感というのはどうしようもなくどこまでもいつまでもとりまとわりついて離れることがないということになる。たぶん主人公=作者の違和感はこのように図式化されるのかな。とりあえずこの1930年代後半に書かれた小説(のごときもの)においては、社会とか共同体とかそういう場所はまだ見出されず、単独になってしまった孤独な男の居場所というのはせいぜいアパートメントの狭い一室か図書館の中にしかない。
 こののち戦争を経験したときに、居場所がどうしてもいるということになって、ハイデガーは民族を見出した変わりに、サルトル共産主義的な<共同体>を見つけようとしたのというのは牽強付会かな。

 小説に戻ると、主人公のあいまいな想念やストーリーのない事象を書き連ねた小説というのは決して読んだことがないわけではないが(ミラー「北回帰線」「南回帰線」、ダレル「黒い本」、ジュネ「泥棒日記」など)、今回はダメだった。自分はこの小説につきあう根気をもてません。無理して読むのは20代までで。全280ページのうち、70ページまで文字をトレースしたことを報告しておしまいにする。ごめんなさい、そしてサヨウナラ、サルトルさん。

 新訳がでたというからそちらを試してみようか。いつになるかわからないけど。