odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

サルトル/ボーヴォワール「文学は何ができるか」(河出書房)

 1964年、サルトルが「言葉」を発表した際、スキャンダルが起きた。すなわち、

「『ル・モンド』紙は、女流記者ジャクリーヌ・ピァチエによるサルトルとのインターヴィュの記事を発表したが、このときサルトルは、「飢えて死ぬ子供を前にしては『嘔吐』は無力である」、「作家たるものは、今日飢えている二十億の人間の側に立たねばならず、そのためには、文学を一時放棄することも止むを得ない」

と発言して話題を呼んだ」。この発言は大きな反響を呼んだ。この国でも大江健三郎がこの問いかけにこたえようとするエッセイをいくつか書いているくらいに。そのうえこの年にノーベル文学賞を受賞したが、サルトルは拒否して注目を集めた。
(ちなみに、1966年に来日してこの国の知識人にル・モンド誌インタビューの真意を問われたとき、「聞いてくれるな(超訳)」とうやむやにした。サルトル/ボーヴォワール「サルトルとの対話」人文書院
 そこで、雑誌「クラルテ(アンリ・バルビュスの雑誌を戦後復刊したもの)」で、この問題を扱うパネル・ディスカッションを開いた。編集長が提議したあと、7人の文学者が持論を述べるというやりかた。そのなかにサルトルボーヴォワールがいた。

 さて、ここでの提議は「文学はいまなお現実の力を所有しているか」。これをコミュニストの立場で考えようというもの。この背景には10年前に死亡したスターリンの文化統制政策がある。大勢の文化人、文学者がソ連共産党に粛清されて、それに批判しないものはいないが、さりとて「社会主義リアリズム」のような革命やコミュニズムに奉仕する文学を否定しきれないのである。
 この問いかけは、ソ連や東欧の共産党政権が崩壊した後にはとても奇妙にみえる。マルクス主義(というより20世紀を主導したレーニン主義)では社会主義社会の実現、その途中で経過する革命を実現するのが重要なミッションであり、この達成プロジェクトに参加するものは「革命家」になって生活や労働を放棄してでも活動に全力を注がなければならないとされる。そのうえ、大衆は常に遅れているので、「革命家」という前衛が大衆を指導し教育しなければならないとされているのだ。1960年代には「知識人」であるときには、レーニン主義社会主義革命に参加ないし共感する人が多かった。なので、彼らは自由主義社会の「表現の自由」とレーニン主義の「革命家」をどうにかして折り合いをつけようとする。
 この問いは21世紀に見るととても奇妙。たとえば「飢えた子供の前で文学はどのような意味があるか」に対しては、1)飢えた子供の現実をレポートし読者を救済活動に促す文学を書く、2)販売した文学の収益の一部や全部を飢えた子供に提供する、3)文学の仕事を終えたあとに飢えた子供を救済する活動に参加する、などやれることは多々ある。
 レーニン主義の革命家は24時間365日を革命に捧げるように要求しているから、生活と労働と活動がごっちゃになってしまうが、市民は生活と労働と活動は区別してめりはりつければよい。飢えた子供がいるという現実と文学をつくるという労働を直結する必要はない。文学者に限らない創作者が自分の創作物でもって政治にコミットする必要はない(やりたい人はやれば。でも過去の創作を見ると、政治にコミットする目的で書かれた創作物にろくなのが生まれていないので、成果を出すのは困難だと思うけど)。創作者や文化人がその仕事において社会や政治と特権的にコミットできると考えるのはやめたほうがいいんじゃない。こと政治へのコミットにおいて「ほかの人のやらない自分だけのユニークなやり方で参加する」と表明した人は、方法を考え続けているせいか、何もしないことが多い。そんなことをするより、だれでもできる活動を無名でやったほうがいい。プラカを掲げる、集会に参加する、ビラを撒く、知り合いに語りかける、選挙にいく、選挙の応援をする、そういう活動をする人を支援する、やることはたくさんある。
(それに「文学と政治」という問いかけにすると、その問いに冷笑的な人々、賛意を示さない人々が活動に参加しない理由を作り出すことになる。いわく「活動に意味はない」「活動しても社会は変わらない」「活動すると権力者の利益になる」などなどの無限のいいわけができる。だから、社会を変える志を持つ側は、宣伝や説得の際にやるかやらないかの二分法で問い詰めてはならない。)
 というようなことを2013年以降のアンチ・ファシズム、アンチ・レイシズムの運動の中で読み、聞き、見てきたので(上の考えは自分のオリジナルではない。さまざまなひとの書き込みをまとめただけだ)、この本の主題は自分にはどうでもいい。文字を読んでも上滑りして、ひっかかるところがなく、途中で読むのを止めました。

<追記>
 少し別のことも。ヨーロッパでは、市民革命が起きるごとに、文章を書ける人が重要な役割を果たしてきた。パンフレットに政治的な主張をコンパクトにまとめ、それを集会や酒場などで読み上げる。そういう運動がたぶんイギリス17世紀末あたりから起きて( 夏目漱石「文学評論 1」(講談社学術文庫))、各国で政治危機や市民運動が起きるごとに他の国でも行われるようになった。そうすると、文章を書くことで市民の知識向上や啓蒙などに参加することになり、文章を書ける人は運動を方向付ける重要な役割を負う。それが19世紀前半の小説革命で継承されて、とくにフランスでは作家の重要な役割とされた。イギリスは18世紀以降は比較的安定した政治体制になっていた一方で、フランスの19世紀は数十年おきにパリで蜂起が起き、政治体制がそのたびに代わるような変動の時期だったから。なので、その時代の作家には、政治家でもあった人がいたし、市民の啓蒙を自分の使命と考えるものもいた。バルザックユゴー、ゾラなど。
 サルトル第2次大戦中のレジスタンスにかかわっていたし、上のようなヨーロッパやフランスの知識人の歴史を強く意識していた人。当然、フランスの作家や著述家などの運動と役割を意識していて、継承しようとしていて、そこから、「文学は何ができるか」の問いが出ているのだろう。
 この国の「知識人」は市民の啓蒙や権力批判運動の中から生まれてきたとはいえない。そのような体験の蓄積もない。そのあたりの事情の違いを無視して、この国でサルトルの問いを問うのは意図の誤解が生じているのかもしれない。
(この国の「作家」「小説」の誕生は、柄谷行人「日本近代文学の起源」講談社文庫、岩波書店)を参考に。これを読むと、政府による近代化や中央集権化の政策の反応として、小説ができていったというようにみえる。)