odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

椎名麟三「椎名麟三集」(新潮日本文学40)「自由の彼方に」「媒酌人」 日本人は降って下りてきた「自由」を持て余し無責任とわがままにしか使えない。

 新潮社が1960年代に出版した日本文学全集の一冊。ときにコンディションの良い品が古本屋にでることがあり、一冊100円で文庫本4冊分の小説を読むことができる。全集の中身をみると1970年代の新潮文庫はこの全集に収録された長短編を並べていったものだと知れる。

自由の彼方に ・・・ 後ろの年賦を見ると、ほぼ作者自身の出来事に重なる。すなわち、1911年生まれの青年が15歳になったとき、家庭が破綻(両親が別居のうえ、家業が破綻し、生活費もない)。自身は家出して大坂でコック見習いをして不良少年生活。1年ほどたち母の自殺を契機に姫路の電鉄に勤める。自分は共産党員であるという啓示をもって、すでに壊滅した運動を開始。すぐさま露見して地下生活にはいる。東京に出てきたところで逮捕され、数年の獄中生活。執行猶予がついたところで、姫路のマッチ工場に勤める。過酷な労働によって肺病を病み、工場主を脅し(「特高の○○刑事を呼べ」、後ろ暗いところのある工場主は示談に応じる)、金をせしめて東京へ戻る決心をする。以上が3部構成になっている。主人公は作者自身と思しいものの、彼はほとんど何も自分では考えられないと設定されている。夢想するのは「自由」であるが、彼の欲するところは自身の決断を自身の責任において行うということではなく、社会から外れたところで好き勝手に無責任にしていたいということかしら。そういう主人公にとって「自由」はどこか遠くにあって、手に届きそうであるが、決して入手できないという憧れであって、いらだたしさの源泉である。まあ、突然「共産党員」であると自分を規定するというのも、その主張に納得したものではなく、まあ自身の不足を埋めるための手段であったのかもしれない。そこに加わるのは女にだらしないことであって、女を目的としてではなく手段として(性欲とか金銭とか)見ているのであって、恋愛なぞ存在しない。重要なところは、特高に逮捕され保釈された後の人生を懲役中とみなしていることで、何が罪かは不明であるにしても、生きることが罰を受けたり負債を返すための受苦であるという認識。この認識は、作者の文学にはあらかじめ備わったものであって、それこそ「深夜の酒宴」から「懲役人の告発」までの間、何度も反復されるのである。
懲役人の告発1969 ・・・ ここでは省略。
深夜の酒宴 ・・・ ここでは省略。

媒酌人1962 ・・・ 田舎の結婚式の媒酌人になったために、家出してきたぐうたら亭主が「わたし」のうちに勝手に泊り込む。その弱弱しい態度と達者な口で妻はたらしこまれ、彼の実家に怒鳴り込みに行っても田舎の親族一同の同意を得ないとどうしようもないという。家に戻ると自室はその男に使われていて、あまつさえ作家である「私」に小説をみせる(たった3枚しかない)。そのうえ、妻は旅行にいってきなさい、といい、ますます居場所がなくなっていく。結論はないまま唐突に終わる。この厄介者を何かのメタファー、結論を先送りにすることで自分の「自由」を束縛していくなにかであるかのようであり(それが自分の外からやってきているだけになんともうっとうしい)、ウォルポールの「銀の仮面」のような恐怖小説にも思える。そのうえ、この種のどこかの家の厄介者になっている人間(まあ、ひきこもりやニートのことだ)は現在もいるということも読者に鬱陶しさを残していく。まあ、現実にあったら、初動で警察を呼び不法侵入で追い出すというのが正解になるのかな。
江戸川乱歩「世界短編傑作集 4」(創元推理文庫) 30年代の短編探偵小説。謎解きだけからハードボイルドやサスペンスなどに探偵小説が多様化。 - odd_hatchの読書ノート

両面作戦 ・・・ 今度は語り手の「私」が居候。階下の夫婦に気兼ねしているうちに付き合いをなくしてしまった。俺はここにいられるかという不安。あわせて夫は勤めを辞めて酒びたり。妻はバーに働きに出て、周辺の夫婦を集めてスワッピングパーティを宗教儀式と偽って始めるようになる。二人とも「私は自由」というが、その内実はさっぱりわからない。

勤人の休日1966 ・・・ 真っ正直な勤め人がたまたまバーの女を介抱したのがうんのつき。腐れ縁とやらで付き合い始め、ついに赤ん坊をこさえてしまったのだ。すでにいる二人の幼女は彼を混乱させ、いらだたせ、いたずらばかりする。病院にいっても女は男をなじるばかりでらちがあかない。まあ、こんなふうに「女」にいじめられる男の話。

 彼の主題が「自由」というのはわかっても、では「自由」というのがどういうことをいうのか判然としないのが、彼の小説の特長なのだな。小説の主人公は「自由」をしきりと口にするが、せいぜい「タバコ吸っちゃいけないのよ」「うるせ、おれの自由だ」という中学生なみのわがままで、無責任を合理化する、エゴイスティックな観念(ですらない甘えとでもいう心情)。おいおいおまえら、内心の自由と、所有の処分の自由を混同するなよ、共同体の中では義務があってそのあと自由なんだぜ、などというようなものいいさえ無効になるようななにかぐずぐずな溜りに陥るようだ。作者がロックやホッブスなどを知らないとは思えないし、教会のいう「自由」もこんな教えではないだろうし、いったい彼の「自由」っていったいなんなんだ。
ガルシン「赤い花」所収の同名短編も「自由」を主題にしていて、考え方は二人で似ている。)

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