odd_hatchの読書ノート

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福永武彦「死の島 上」(新潮文庫)-1 問題を起こした女性の動機をミソジニー男が探る

 相馬鼎(かなえ)という25歳前後の出版社編集者がいる。下宿住まいであり、会社と下宿を往復するような生活にあるが、野心はある。いくつかの主題とモチーフを使って小説を書きあげることだ。完成すればたぶん日本の文学史になかったものができる。と思いつつも、小説は断片ばかりで、いっこうに全体を表さない。
 というのも、相馬はある美術展である絵に惹かれ(ベックリンの「死の島」のような印象をうける)、たまたまそこにいた作者の女性とであう。企画が進行中の本の装丁に使えると考え、作者の下宿を訪れた。そこは豊島区のアトリエ村(実在。池袋駅から徒歩10分くらい)だった。そこに戦争未亡人が下宿をしていて、画家は美学生の女性とルームシェア(という言葉はない)していた。画家は27、8歳、学生は20歳前後か。当時(昭和30年代初め)としては珍しい暮らしぶり。彼女らに興味を覚え繰り返し訪問する。しだいに相馬は二人に惹かれるのを感じるが、どちらをと決めることができない。そうこうして一年。 ある朝、相馬に電報が届く。二人が広島で自殺未遂をして危篤。相馬は仕事をうっちゃって片道16時間かかる汽車にのって容体を確認にくことにする。
 事件はこれだけ。それを文庫本二冊で900ページもあるような大長編にした(1971年)。それも主要登場人物はこの三人。数人の関係者(相馬の同僚や上司、下宿先の未亡人など)はでてくるが、テーマにはかかわらない(まあ、彼らの行動性向に影響を与えているかもしれないが、詮索する必要はない)。では三人だけでどのように長編にしたかというと、過去の出来事を思い出したり、相馬が書こうとしている小説(登場人物は彼女ら)や画家の意識の流れなどの断片を現在の記述に割り込ませること。そうするとあるできごとを複数人が解釈しているように見せて、現在である相馬の三人称一視点の記述を補完・強化するようにしているのだ。というのも小説内小説も意識の流れも相馬が書いた文章であり、彼女らの内面は相馬の想像力のうちにあるものだから(会話はある程度の客観性をもっているだろう)。相馬は、二人にもっとも近しい人物であるが、自殺未遂の原因を思い当たらない。そのために、なぜ彼女らが事件を起こしたか理解できない。そこで、記憶や自分の書いたものを参照して、動機を解明しなければならない。広島到着までの16時間で、相馬は解決にいたることができるか。そのような探偵小説的構成をもったサスペンス小説なのだ。
 問題を起こした女性の動機を男が探るという主題で、最も近いのは夏目漱石の「明暗」。「明暗」の津田はなぜ婚約者が約束を破棄したのかと探るのであったが、こちらはもっと切実な問題だ。でも、男が理解できない女性の行動の動機を探ることでは同じ。ことに相馬には警察が出てくるかもしれない事件性がある。そうすると、相馬は重要参考人であり、彼女らの行動を陳述しなければならない。小説はその予行演習といえるが、回想と記憶と想像力から見えてくるのは、相馬自身の立場だ。この事件において、彼は探偵であり、証人であり、なにより犯人であるかもしれない。彼女らを懐疑するのは、自分自身の怪物をみいだすことであるかもしれない。
(被害者であるかもしれなければ、稀有な一人四役トリックが成立するがそこまでにはいたらない。ジャブリゾ「シンデレラの罠」、都筑道夫「猫の舌にくぎを打て」、ソポクレス「オイディプス王」など)。
 しかし、津田同様、相馬も自分自身の怪物を見出すことはできないだろう。というのも、福永武彦のほかの小説の主人公とおなじく相馬も強いミソジニーパターナリズムを内面にもっているからだ。ことによくあらわれているのが、自分の小説の構造を説明するために、当時(小説内の昭和30年代初め)聞くことが難しかったシベリウスの先見性を説明するところ。自分のSPやLPを持ち込み、セシル・グレイの本を片手に(調べると、『近代音楽の巨匠』が1950年に邦訳されている)滔々と説明する。相手の質問を無視するように、自分の関心を重ね合わせる。女性の言い分を遮るようなやりかたはマンスプレイニング。また約束を取り付けていないのに、下宿の周りに行って、偶然を装って会おうともする。見た目で処女か非処女かと鑑定する。とくに目の付いたのはこれら。
 相馬は二人のうちのどちらを愛しているのかわからないというが、彼のやろうとしているのは二人に対する支配欲・征服欲を満たすことに他ならない。自分の言うことに、彼女らが従順になり彼女らに尊敬されることを目的にしている、俺はそのように読んだ。
 なので、相馬はこのように言われても、その重要性を理解できない。

萌木素子「相馬さん、あなたは物を真剣に考えることが出来ないの(P224)」

 水村美苗「続 明暗」で、清子が津田につきつけた一言と同じ。女性が男性に支配されるような時代において、この一言は最も強い拒絶の言葉であったと思う。それを相馬はへらへらと聞き流す。
(以上の相馬の行動性向は、俺自身にも当てはまることだ。相馬がやってきたダメな行動と同じことを過去にしでかしたことを思い出して、恥ずかしさで顔が赤くなってしまった。)


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2022/10/27 福永武彦「死の島 上」(新潮文庫)-2 1971年
2022/10/26 福永武彦「死の島 下」(新潮文庫) 1971年に続く